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自分のいたかもしれない場所

わたしは、少しだけ霊感めいたものがあって、何も見えたりはしないのだが、感じたり、成仏できない方々をつい請け負ってしまうことが幼少期から20代前半ぐらいまであった。今でも時々そういうときがなくもない。

病院を何個まわっても治療法がわからない原因不明の目の病気になって、親戚の霊媒師さんに解いてもらったりしていた。どうも母方の方が霊感持ちのようで、家を出て自立するようになっても20代の前半の頃は実家に帰ると理由の分からない失神を繰り返した。なんだかよくわからない激しい悲しみが時折激しくやってくると、そういう方の浮かばれなかった想いのようなものが原因のときもある。

目に見えないけれど、その辺りにいつもいらっしゃるものだから、もらわない方法は「わたしには何もできません!!!」と強くはねのけることだと、母にはよく言われる。母も少し霊媒力がある。

これは、感受性ともつながっているので、ヘビーな症状になるときもあるけれど、それがまわりまわって創作力につながる場合もあるし、簡単に言えば人助けなのであまり憂うな、ということである。

インドのチベット圏(ラダック)に行ったときに、なんだかとてもなつかしく、魂の喜びを感じた。地球の歩き方を読んでるだけで、行きたくてしょうがなくて、あの荒涼とした土地の感じと人々の雰囲気などに魅了される。
ラダックには1ヵ月滞在したけれど、まだまだ足りなくて住んでもいいとはじめて思えた場所。南米やほかのアジアの国へも行ったけれど、こういう感覚はほかには覚えがない。
食べ物も大好きで、中華があっさりしたような料理でインドのカレーは飽きても、チベット料理はずっと食べれそうな気がした。ラダックを歩いているときよくチベット人にも間違われるほど、わたしはチベット顔のようで、そこもなんだか縁を感じる。

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昔、自分がいた場所に行きたくなるのは、後ろでわたしを守ってくださる方や先祖や前世に由来するという。
勘だけど、わたしはチベットにいたんだろうか。

最近、またあのきらびやかなゴンパをよく思い出してはまた行きたいと頻繁に思っている。むかし、チベットで修行でもしてたのかな。

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