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今まさに崖っぷちにあるのは「戦術における日本人の貧しさ」だ

今はどうかわからないが、昭和の時代の学校教育は、常に「一種類の優秀な人材」「その他の素直に従う労働者」を作るためにあったと感じる

一種類の優秀な人材とは「記憶力の強い人材」のことだ

歴史を学ぶ実りは、どの時代にどのような立ち場の人間がどのような行動をして結果どうなったか?という物事の経過を学べるのが本来だ
つまり自分ではできない経験をシミュレーションし、自分であったらどうするか?という俊敏さと、物事の導き出す「大衆の動向」「世の流れの癖」のようなもの、いわば「森羅万象」を見出す学びとなる

しかし、中高と試験に出るのは年号と出来事のタイトルそして人物名だ
まるで職業別電話帳を暗記するようなもので、これでは想像力・洞察力が育たない

美術もそうだ
教師の領域を超える作品が出ても、教育の範囲内に戻され小さな枠に嵌められる
これでは天才は大学に入ってからでなければ見出されないし、多くはその前に諦めてしまう

経済社会にでると、特に今は調査は出来ても解決が出来ないというジレンマに陥っている
銀行や中小企業診断士が行う事業評価で現状の良し悪しは明確になっても、そこから好転させる術もノウハウもない
銀行には企業を診断する部署があり、中小企業診断士が3万人近くいて、商工会議所が全国津々浦々まで設けられていても、この30年、不景気は続き中小企業は著しく減っている

企業への投資も、銀行が貸し出すような石橋を叩いて渡るような慎重さでは、アーリーステージの事業は育たない
そもそも、日本の投資の世界には、未来のある種(シード)を見出す力もない
投資ではなくまるで貸し出しの審査の様だ

何故出来ないか?
日本教育の枠に縛られているからだ
枠に縛られている安心感に満足する人々で経済が構築されているからだ

昔、有名なコンサルタント先生の秘書から聞いたことがある
「問題解決したら仕事が無くなっちゃうだろ」
そんな枠のまま、変わらないから中小企業が育たない
それを管理する者も、冒険して給与を減らしたくないから何もしない

最近は景気が上がって補助金が要らなくなったら補助金支援が出来なくなって困るよ なんて声も聞こえる

何か根本から間違っていないか?

間違っていないか?という考える教育を受けてきたか?

30年たって、みんなやっと解って来た
いろんなものが、古くて使えないんだと

政治も政党も制度もノウハウも教育も
与えられたものをただ受け入れるのではなく
もしかしたらもっともっと良い手段があるかもしれないと
解って来たんじゃないか?

国の成長って、こんなめんどくさい過程を過ごさなけりゃならないんだな

常識外れの僕ならどうするか?是非投稿を見てください

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