すごいの言葉の裏には葛藤があるのでは
この仕事ができるなんてすごいね。
こんなことができるなんてすごいね。
海外にいて、なおかつ完全英語環境で仕事をしているとよく言われる。
特にワーホリに来たばかりの人ならなおさらだ。
英語もそんなに話せないし、バリスタは憧れるけどできない〜
なんて言う。
そんなの私だって同じなわけで、なんなら面接の時に現地の人に英語力もなくスキルもなく働けるわけないじゃん。なんて言われた。
そんな私も今ではオールラウンダーのバリスタだ。
そこまでのことをできるなんて去年は思っていなかったし、そもそも今の自分自体を去年の今の自分はなれているのは心配していた頃だろう。
でもさ、とりあえずやってしまえばっていう考えがある。
単純イージー人間だからできるのかは知らないけど、やり続けていたらなっていた。そんな感じ。
ただ、それがすごいことなのかはどうかはわからないけれど、少なくとも日本でも全部できることだったし、それを未開拓で未熟な場所で挑戦する機会を自分で作っただけ。
多分多くの人は”すごい”と言う言葉を使っても、それは自分には挑戦する勇気がないだけと言っているように聞こえる。
罵倒され続け、それでも諦めなければいつかは夢は叶うはず。
もちろん、何事にも境界線を作ることは大事だと思うけど、する前からやらないのは、結局のところ、ただのわがままな理想だ。
挑戦しなければ、それはただの理想で終わり、いつの間にか遠い線引きを無意識のうちにしている。
今の私は、永住権をかけて大学に行き直すためにIELTSに挑戦していて、来年のラテアートチャンピオンシップに挑戦しようとしてる。
勝てば運を引き寄せていた。
over5.5の結果を取れたら実力が叶っただけ
たったそれだけのこと。
でもやらなければわからないし、本当に自分が求めていたものかはわからない。
でも、その行為に意味があるのであればやろう。
それだけ。
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