人知れず背負う君。いつの日かきっと。
今はまだ心の準備ができていない。
心の中の私がそう言った。
涙が止まらなかった。
今の私の人生を歩む時に、目の前を過ぎていく人たちはきっとそれなりに俗に言う”普通”と言う人生を送っているのだと思う。
今回は、その外側の話ではなく内側の話を少しだけ。
そもそも”普通”という言葉自体が世の中をステータス化したのではないかと恨むことがよくある。
もちろん、ごく”一般的”という言葉であれば平均という感覚で重みを感じないのだけれど、”普通”という言葉がどうしても受け入れない。
私が私であることを理想化し、実現させなければと無意識に意識化させられている。
実現したいではなく、させなければならない、と。
題名にも書いたように、今回は深い話を今すぐ話せる状態ではないので遠回しに書いているのだけれど、ろくに食事も通らなくなるくらい思いつめたのは人生初ではないかと思う。
人には生まれ持って、感情というものを持ち合わせている。
でも時に欠落している部分が自分にはあることをひしひしと感じている時があった。
別に自分に必要がなければそれでもいいのかも知れないけれど、他の人には持ち合わせていることが一般的で、誰しもが当たり前の感覚だから私にないことに気づくことは絶対ないのだろう。
それを当たり前にあるように見せて振る舞う自分がいた。周りに合わせつつも、どこか心から楽しめない自分。でも周りが楽しんでいるのなら、その感覚は持ち合わせているものなのだろう。
だから、話を振られても感情の起伏は存在せず、ただ相手を傷つけるようになってしまうことも多々起こりかける。
感情を持ち合わせていない感情を作り出すということは、多分1%くらいの確率でできるくらい難しい。
だからきっとそうだろうという偽物の感情を作り出して、みんなと同じ感情を持ち合わせているかのように麻痺させている自分もいた。
そう、その感情の表面上の笑顔の裏側はただの真っ黒な世界だった。
矛盾が自分の楽を崩壊に導き、そしてその矛盾にすがる自分もいる。
何か言葉にすがらないと、これ以上真っ黒な世界を歩いても出口が一向に見えないからだ。
もはや吐き気と涙の連続の日々が続いていた。
決して他の人には見せないために、もう1人の私を作り出し、仮面を被った偽物の私で今日も笑っている。みんなから見て、強い私を演じるために。
きっとそれも限界がきていたのだろう。そしてそれが涙の理由。
心という面でのありのままを出すのは、まだまだ難しいようだ。
言葉に出そうとすると、涙が出るくらいなのだから。
でも、きっといつか、いつの日か言葉に出せる時がきたらいいなと思う。
この相談を友達にしたことで、ありのままの自分を受け入れる覚悟が少しだけできたみたい。
全てを認めて、仮面を外したありのままの自分をさらけ出すことができたら、きっとそれは本当に強い自分になれた日。
だから、もう少しだけは私はただの弱い人間。
でもそれもまた自分なのだ。
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