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【句集のこと】パーティは明日にしてから1年ちょい

句集『パーティは明日にして』を出版してから、1年と3ヶ月が過ぎた。
出版する過程とその後について、書いていけたら良いと思う。


2020年の11月頃に出版社の書肆侃侃房さんに、句集の出版はできるのかメールフォームで問い合わせた。すぐに返事が来て、出版は可能とのこと。原稿は完成しているか、ページ数や本のサイズ、何句載せる予定かを訊かれる。原稿はできていなかったけど、1ヶ月後に出せること、ページ数は約150頁、歌集と同じサイズでソフトカバー、350句くらい載せることを伝えた。


11/4から12/4までの1ヶ月で俳句の原稿を作ってメールで送った。最初の1週間で俳句を選び385句に。あとの3週間で章立てと並び替え。この作業が楽しい。このときに急遽創って入れた句もある。2021年以降にゲラを見て少し入れ替えたり修正もした。あとがきは、その後の2月末に書いた。


これまでの句は賞の応募や雑誌の掲載用のものがパソコンに残っていたので、ひたすらコピペして集まった。昔使っていた携帯電話は充電しても電源がつかずお釈迦になっていたが、パソコンにデータがあったので助かった。章立ては自分の持っている句集を参考に、だいたい6つくらいかなと思った。


1章、ひかり は75句。俳句雑誌「奎」に載せた句が多めで比較的まとも。無季もある。3月生まれで好きな季節なので3月から始めたかった。


2章、水 は何でもありの78句。水族館や動物園の吟行句が多いかな。水なら何でも受け止めてくれる。


3章、エナメル は大学生の頃の76句。ちょっと表記を変えたり少し推敲した句もある。なんかギラギラしているのでエナメル。一番エネルギーを感じる。


4章、絵の具 は高校生の頃の24句。表記もそのまま。今だったらひらがなにひたいところもある。もともと俳句を始めて兼部する前は美術部だったので絵の具。


5章、たぶん は54句。2章と同じく何でもありの雰囲気だけど、大阪北部の地震を詠んだ句も入っている。


6章、艶 は78句。ちゃんとしてる。
ひかり水エナメル絵の具たぶん艶、とつなげると17音になる。


章立てや載せる俳句を他の人に見てもらったりはしなかったけど、不安よりも楽しみのほうが大きかった。

500や1000句載っている句集と比べると少ないかもしれないけど、少ないページ数で多く載せてお得感を出したかった。150ページと最初に決めたので1ページに3句載せた。ちょっと珍しくて良い。余白もちょうどいい。


最後の385句目が七夕の句なのは、ポケモンの図鑑ナンバー385がジラーチのため。151句目に「よろこび」という言葉が入っている句を配置しているのは初期のポケモンのエンディング曲の「ひゃくごじゅういち」の影響。251句目はそのままセレビィが入っている。これもセレビィの図鑑ナンバーが251のため。

フォントは未来を感じたので、UDデジタル教科書体を使用させていただいた。自分の句は達筆なフォントでは合わないと思っていて、誰にでも読みやすいものであってほしかった。文字も大きく読みやすい。何度もゲラの確認をするときも疲れにくくて助かった。表紙は明朝体のほうがお洒落だったので明朝体。

表紙は高校生の頃からの友人の田中夏子さんへ依頼した。もともと2020年に自分の句をモチーフに描いてもらったイラストが14点あって、ひとつひとつが可愛くて小さい額縁に入れて壁に飾りたかった。もともとの絵を活かせて夏子さんへの負担も少なくしたかった。私が描いた表紙のイメージは額縁に入れた絵が整列していたけど、うまくばらけさせてくれて、帯を巻いてもすべてが隠れない。壁の色は白すぎない卵の殻みたいな色でよく見ると壁っぽい加工もされている。色合いもパステルカラーできれいに印刷されていて、春に出版できたのもよかった。

神野紗希さんが寄せてくださった帯文も素晴らしく、帯を見て興味を持っていただけたなら嬉しい。帯の色も出版社の方が一番上の花飾りと合わせてくださったのだと思う。帯ありもなしもどちらもデザインも気に入っている。


表紙に載っているイラストの元になった俳句は、以下。
右上 しんどいを言えない大人桃温む
左上 クロワッサンの層の多くて梅雨に入る
右中 コーヒーゼリー誰にも触れず終わった日
左中 寒いねと言い惑星の色を塗る
右下 昼の月あれラブホテルだったのか
左下 うさぎ寄りあえばうさぎをゆるしあう
裏表紙 洋梨を剝くパーティは明日にして

念のため出版社の方に「表紙にラブホテルが載っていますが、大丈夫ですか」と訊いたら、大丈夫とのこと。


タイトルの『パーティは明日にして』はおめでたいものにしたかったため。カタカナも漢字もひらがなも入れたかった。パーティーなんじゃないかと思われがちだけど、最近は『デリシャスパーティ プリキュア』も放送されているのでいいかな。この表記は2013年頃に創ったときから変わっていなくて、俳句の中に線が二本あると間延びしてしまう気がする。


タイトルの意味は俳句からの引用で、めでたい、くらいしか最初はなかったけど、楽しいがずっと続いてほしいという願いもある。未来のことはわからないけど、明日くらいは楽しむことができる。


句集を出版して、俳句関係の方以外にも届いたことは大きな変化。
文芸春秋に掲載していただいたり、フアッション雑誌の『FUDGE』に書評を書いていただいた。フルーツポンチの村上さんに読んでいただいたり、アメトーークの読書の回に表紙が見切れたり。短歌をされている方にも読んでいただけた。

句集は特別なものではなくて、書店でたまたま見つけて出会ってほしい。自分の句が誰かのおまもりみたいになったら、最高だと思う。

私の句を明るいと言ってもらえることが多く、それはそれでありがたく確かな感想だけど、ずっと明るくはないと自分では思う。暗くなりすぎないように明るい季語を選んでいるというのはあるかも。

句集を出した理由としては、好きなものがたくさんあって、ひとりでは抱えきれなくなったので一旦開放したかったのかもしれない。ほとんどが賞に応募して落ちた句たちだけど、私は好きな句なので、いつか光を浴びてほしかった。


俳句にすることで、これまでのことを肯定できる。進学先やバイト先、サークル、職場など違う選択をしていたらまた違う経験をしてまた別の俳句が生まれたはず。


そもそも、俳句をここまで続けていなかったり、俳句を創っていなかったかしれない。高校時代に俳句を教えてくれた先生が口語現代仮名遣いを良しとしなかったら(もちろん古語、歴史的仮名遣いが駄目というわけではない、むしろ好き)、俳句を始めてすぐの16歳のときにUNISON SQUARE GARDENの音楽に出会わなかったら、大学生の頃に関西俳句会「ふらここ」に入らなかったら、社会人になって俳句雑誌「奎」の同人にならなかったら、今の自分の句はない。

すべての出会いに感謝している。

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