「VR上の自分が小説化される事によって魂が救われた」という出来事について

cluster」内のイベントで聞いた「Vtuberの演者の過去を題材にした小説によって、演者自身の魂が浄化された」という話が衝撃的だった、という話をしようと思う。

小説化を行った「sun」さんによる5分ほどのプレゼンテーションだった

あみのθさぷりというメタバース上で活動しているVtuberのメンバーで(現実世界でもともと幼馴染だった)フェニル・アラニンさんとリジンさんを題材にした小説が現在twiiter上で連載中で、イメージイラストや朗読動画の公開も順次行われてるとのこと。
(「あみのθさぷり」の活動内容や朗読動画についての詳しい内容はsunさん自身が執筆したバーチャルライフマガジンの記事がわかりやすいと思う)

小説はお二人の過去に取材したものだが内容は相当に暗くて重いものになっている。
VRC内で収録されたwebラジオでこの小説が紹介された際、司会者の方が過去の二人を取り巻く状況について「社会問題を煮詰めたような(困難さ)」と表現されていたが本当にその通りと感じる)

これだけでもしんどいのに小説本編で語られてる状況はさらに重かった。詳しくはtwitter上の#フェニルθリジン のタグから(モーメント機能はtwitter側の不具合で使用不可)

だが、モデルとなった二人からは「自分たちの過去を小説として描かれることで魂の浄化作用があった」という発言があった、という。

ひとつ上の画像を含め、sunさんのtwitterより転載

そのことについて別のVtuberの方に話を聞いたところ「小説執筆の過程において『ナラティブ・アプローチ(物語によって問題解決を図る手法)』に近いことが起きたのではないか?」という意見を得ることができた。

……というのがsunさんのプレゼンテーションの趣旨だった。

「ナラティブ・アプローチ」。僕自身聞き覚えのない言葉だったので検索して出てきた説明を読んでみた。
アプローチ法の詳細やメリットについての説明は省略するとして、その基本的手法と具体例を挙げると以下のようになるようだった。
(参考:ナラティブ・アプローチとは―意味と実践法、その効果を解説 - 『日本の人事部』 (jinjibu.jp)

1. ドミナントストーリー(悩んでいる人を支配している「物語」)を聞く
 
相談者「会社で部下に嫌われているんです」
2. 問題を外在化する(問題となっている「物語」を自分から切り離して捉えなおす)
 
カウンセラー「このお話に名前をつけると何になるでしょう?」
 相談者「『部下の指導をきちんとできないダメ上司』でしょうか」
3. 反省的な(問題について省みた)質問をする
 カウンセラー「具体的に誰があなたを嫌っているのですか?」「部下に嫌われる原因となるような出来事があったのですか?具体的にはどのような?」
4. 例外的な結果を見出す
 
相談者「そういえば、部下が自分に相談することが良くあったように思います」
5. オルタナティブストーリー(代わりとなる「物語」)を構築していく
 
カウンセラー「相談されているということは、部下はあなたを信頼しているのではないですか?」
 相談者「そうかもしれないですね。私は部下に嫌われているのではなく、実は信頼されているのかも」

「なるほど、これは『フェニルθリジン』の小説執筆におけるプロセスに代入可能だ」と感じた。事実、sunさんのプレゼンテーション時の写真を見返すとsunさん自身が上記の「ナラティブ・アプローチにおける基本的手法」に則した分析・解釈を行っていた。

語句に多少の相違はあるが内容は同じとみなして良いと思う


「自分の過去の『オルタナティブ・ストーリー』を小説という形で描いてもらうことで過去についての新たな視点を得ることが出来、心理的に癒された」
という話なんだな、と理解はしたが、それでも僕が感じた動揺は消えなかった。特に「Vtuberとしての自分の話に落とし込むことによる『問題の外在化』」の部分において。


先ほどの要約で示したように、僕は「問題の外在化」について「問題となっている『物語』を自分から切り離」す行為と理解している。

問題が自分と切り離せずに内在化しているときは、問題を自分の一部と捉え、「ダメな自分」と自分を否定する方向に向かいます。そこで、問題に対して「名前をつけてもらう」などすることにより、問題を外在化させます。

ナラティブ・アプローチとは―意味と実践法、その効果を解説 - 『日本の人事部』 (jinjibu.jp)

そして、「フェニルθリジン」は初回における描写でもわかるように「VR上で活動するVtuberの女の子たちの物語」だ。VRと現実世界の境界はあいまいに描かれているが、「Vtuber自身とその演者」を切り分けるようなメタフィクション的な描写は存在しない。存在しないまま「二人が幼少期に出会ってからの物語」が進んでいる。

「過去の自分に起こった出来事をVtuberであるフェニル、リジンという存在に起こった物語の題材とすることで『問題の外在化』を図ろうとしている」

そう自分は解釈して、驚いた。驚いた点は二つある。

・Vtuberという(第一号が生まれてから5年ちょっとの)比較的新しい存在が心理的問題の解決手法として使われている事
・Vtuberとしての自分が「私であって私でない」別の人格として扱われている事

特に「『Vtuberとしてのキャラ付け』と『演者の人格』は完全に分離されている」という初期のVtuber観から抜け切れていない僕にとって、後者のような観点があることは驚きだった。ましてやそれが心理的問題解決のためのアプローチ手法になりうるなんて、と。

しかも、sunさんによればフェニル・リジンの両氏以外にも同様の事例が存在するという。

プレゼンテーション後にsunさんからお話を伺ったところ、上記以外にも似たような事例があるらしい

ひょっとしたら、Vtuberに限らず『VR上の人格』に自らの心理的問題を落とし込み、他者に小説化してもらうことで解消・克服を図る事例って今後増えていくのか?」と感じた。「メタバース」が認知度を増し、VR上で活動する人が増えれば増えるほどこの傾向は強まるのでは、と。

実際にどうなるかは分からないし、そもそもsunさんのように「VR上の人格を生き生きと描写した物語を作成できる人」でないとこのような「VR上の自分の人格の話に落とし込むことによる『問題の外在化』」は実現できないという話かもしれない(sunさんの作品の特徴について、僕は「フェニルθリジン」以外の作品もいくつか読んだ上でそう解釈した)

ただ、VR世界とVtuberの「はじまりのおわり」が明確に見えるようになった今、sunさんの小説にまつわるこのような出来事は「はじまりの次の世界」のあり方を予想する手がかりになるのでは、と感じている。

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