働く目的は賃金か
物心両面の欲求、マズローの欲求5段階説について記しましたが、
(参照 https://note.com/kid839/n/nc1829a75bad9 )
(参照 https://note.com/kid839/n/n9411bba69279 )
賃金のためだけに働いている、と強く考える人に再確認して欲しいと考え、それに関する記事を載せます。
仮に、自分または自分の大切な人が、次の仕事をさせられたら、皆さんはどう考えますか。耐えられますか。
「穴を掘ってください。土で穴を埋めて下さい。同じ所を掘ってください。土で穴を埋めて下さい。同じ所を掘ってください、、、、」
これを繰り返すことを強要される仕事です。
穴を掘るのは、穴を埋めるためであり、
穴を埋めるのは、穴を掘るためです。
つまり、建物を造るとか、道を補修するといった付加価値を生む仕事ではなく、ビジネスや社会貢献としての目的は全く無いのです。
何のために働くのか。
私たちは、仕事を通じて誰かの役に立ち、困り事を解決することで快適さを提供し、その対価として賃金を得ているのです。
そのために教育と訓練を重ね、腕を磨き、足で稼ぎ、必要な努力をして、お客様や仲間と共に成長しています。
成長できたことを嫌がる者は存在せず、成長を実感できることは、生きる喜びで、これはお金を払って得られるものではありません。
過去に掲載した「リーダーへ30の質問」の「No.22」に働き甲斐について触れていますので、参考にしてください。
(参照 https://note.com/kid839/n/n2bca20d15dc9 )
また、強要されて仕事をすることも純粋とは言えません。
目的目標を共有し、手段は自分で考えたいものです。
(参照 https://note.com/kid839/n/ndf46c2e3825a )
あれこれ指示されることは煩わしいと感じることもあり(但し指示待ちが良いと考えるケースもあり)、また失敗した時に他者のせいにするものです。
従って、穴堀だけではなく、指示どおりに仕事をすることと、仕事のヤリガイの関係も再考しておきたい部分です。
このようなことから、働くという事は社会との接点であり、且つ指示待ち人間ではない自分らしさを発揮する舞台でもあると思うのです。
私たちは、働くこと、家族と生活することで、理性を保ち、他者に迷惑を掛けないように暮らすことが身に付いているのでしょう。
また自分で考えて働くことで、自覚と責任感が高まり、仕事を通じて成長するものです。
一方で、正当な賃金を得られない事も不純ですが、続きは次回とします。
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