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イルカも泳ぐわいみたいに

仕事を辞めた。昨日からは私はフリーだ。
仕事を辞めるということはおそらく人生の一大事だ。辞めるには辞めるに相応する理由があるはずで、事実自分の中にその理由は存在する。

そして久しぶりに文章を書いてみようと思った。

書きたいことがあるというような熱意があるわけではない。
かつてはTwitterで世間へ政治や文化への怒りをぶちまけそれが誰かに見つかって炎上したり恋愛したりそんな時代もあった。
仕事の世界で実績をあげて会社の中の地位や業界での立場が確立してきた頃にはその暴れん坊だったTwitterも忙しさにかまけて卒業し、いつの間にかクローズドなコミュニティとしてFacebookを選んでいた。
それがさらに会社を変えたときに断ち切りたい人間関係もあったものだからFacebookも開店休業となり自分から発信するSNSというものは無くなった。

そしてその会社を辞めた。

気づけばSNSで自分を表現する言葉がなくなっていた。
言葉というより感情か。

ツイッタラーの頃は安倍晋三の2度目の総理就任を全力で応援したり、TPP反対のためにSNSをフル活用してさらには有楽町にデモにまで出かけた。とにかく何かに怒っていた。それが自分の思想を磨くことだと信じていた。
それが自分の仕事が忙しくなり、やりがいが生まれ、立場が生まれ、楽しくなり。それって等身大の社会への繋がりだと自分で定義づけしたり。身近にいる人たちが大切になって社会に喧嘩を売る時間が惜しくなったみたいな。ただその一方で政治や文化には関心を維持したいといいながら情報を得る時間がなく浦島太郎になったり。

人生はひたすら充実していたし楽しかった。が、自分を表現する場が仕事場しか無くなった。といえば聞こえがいいが、ビジネス用語でしか自分を表現することができなくなったとも言えて。

長文が全く書けなくなっている自分にどこかで気づいていた。だって、ビジネス用語でホテルの売り上げの上げ方とか書いても絶対つまらないしね。それはビジネスの相手との人間関係の体温があって初めて生きる言葉なのだから。

そしていろいろあって仕事を辞めた。

だから久しぶりに何かをSNSで書いてみようと思った。
きっとあの頃のような政治に怒るとかマスコミに怒るとかみたいなネトウヨの残骸のような感情が蘇るだろうか。

今はそんな熱量はない。
そしてあの頃駆使していたようなキャッチーな語彙も持ち合わせているとは思えない。

最近一番興味を持っている人物は加納愛子だ。お笑いコンビの片方。
加納さんの言葉選びがあまりに秀逸で笑いはもちろんのこと、快感すら抱く。
そんな加納さんの著書『イルカも泳ぐわい』にこんな一節があった。

「ふと、自分の中で退化しているものはあるだろうかと考えた。  
精神面でそれはあった。不思議なことにそれは「成長」の皮をかぶっている。「前ほど腹が立たなくなった」ということだ。」

—『イルカも泳ぐわい。』加納愛子著

https://a.co/ecDlZ9X

先ほどから述べていることとリンクするその文章に感激。
そうなのである。
結局「前ほど腹が立たなくなった」のである。
加納さんはそれを「成長」の皮と言っているが自分の中ではそれはひたすらに戸惑いでしかない。

ツイッタラーの時代もビジネス邁進時代もベクトルは違えど燃えたぎるような怒りの感情は爆発していた。この1年でその感情が急速に萎んでいくことを感じている。そして自分は40歳になった。

自分は今日からのこの文章たちを「怒り」へのリハビリとして書くのか、「成長」日記として書くのかわからない。

が、ちょっと書いてみよう。

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