見出し画像

決断の瞬間

いつも思う。往々にして何か発想が浮かぶ時は移動の時のような気がする。吉田拓郎がラジオで自分の中で何かを決断するときは「朝ではなく夜だった」と言っていた。自分はそうなのだろうかと振り返ったが夜に人生の一台決断をしたことはない気がする。拓郎さんのようにギターやお酒のイメージが漂う空気で大きな決断をしていればそれはとてもカッコ良かったはずだが、自分にはそういう環境も経験もないなぁ。

しかし決断を繰り返してきているからこそ今の自分が存在しているので、振り返ると決断の瞬間というのはあるはずなのである。そこで浮かんできたのは〈移動の時〉。高校の時、卒業後は東京を目指すと決めたのは(実際はそうはなっていない)東京へ行く新幹線の中だった。松たか子の『サクラフワリ』を聴いていたのを強烈に覚えている。あの曲はどこか遠くへ想いを馳せる曲なのだ。まさにあの時自分はサクラフワリのごとく東京へ想いを馳せていた。それ以外にも無茶なイベントを開催しようと決めたのも車の運転中。ASKAさんの『FUKUOKA』がかかっていた。隣に座っていた女性にこの曲を褒められたことも大切な思い出だ。

と、思い出話をしていると“決断は移動中”とともに気がついたのは常にそこに音楽があったことだ。決断した瞬間に聴いていた音楽がこうして思い出すことができる。これってごちゃごちゃした玩具箱から探したいものをすんなり見つける時の目印みたいだ。

ドラマのように劇的な瞬間に主題歌が流れるみたいな超かっこいい経験はないけど、なんだかんだで自分の人生の大切な瞬間には音楽が鳴っていた。そういえば大学受験センター試験の前の日にはCHAGE and ASKAの『NO PAIN NO GAIN』を聴いていた。2時試験の時は福岡のホテルのテレビから本邦初公開の『この愛のために』(CHAGE and ASKA)のPVを見て不思議と合格を確信したし・・・そうことばっかり覚えている。

話が少し逸れた。決断の瞬間の話だ。決断の時には移動と音楽があったということはその両方がある時は自分は何かを決断するのかもしれない。と考えながら振り返ると移動も音楽も1日の相当の部分を占領している。移動している時には音楽は付き物だ。

景色が移ろいながら音楽が鳴っている。この瞬間が自分の頭の中が一番クリアになっているのかもしれない。であるならばこれからも移動は繰り返されるしその時にはきっと何かの音楽が鳴っている。その瞬間に何かしらの決断が行われ、自分の人生が変わる。

これは楽しみだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?