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明日なんてどこにもない

明日はどっちだ、と聞くと、あたかも「明日」という時間がどこかにあって、「今日」にいる自分はそちらに向かって進んでいくようなイメージがする。

でも実は、「明日」などという時間はないのかもしれない、と考えてみるのもおもしろい。

今日が終われば「明日」という、まさに何かに囲まれた限定的な時間があって、明日になれば、自分はその限定的な時間の中で何かを行い、考え、感じ、そしてまた、次の「明日」に進んでいく。

そんなことは幻想で、未来のどこにも、時間のどこにも、「明日」などという限定的で確定的な時間の枠は存在しない。「明日」は今日の時点ではどこにもなくて、今日が終われば、次は自分の好きなところに進んで行って、そこで好きな「明日」を自分自身で作っていく。

その自分で作る「明日」では、自分が好きな場所で、好きな人たちと一緒に、自分で考えて、自分で好きなことをして、一日を終える。

「明日」は、あらかじめ時間のどこかに存在していて、世界中の人たちがみんな同じ「明日」に向かって進んで行って、同じ「明日」の中で、今日と同じ一日を過ごすのではなくて、「明日」などどこにもなくて、それは各自で自ら作り上げていくもので、それはどこに作っても、どんなものを作っても、どのように作ってもいい。

そうやって自分で作ったものが、自分の「明日」になる。

そんなふうに考えてみると、とても自由な気分になる。

簡単に言えば、明日は、それぞれの人が、自分で選んで自分で作り上げるものなのだ。

明日はどっちだ、と言って「明日」を探すのではなく、何もないところから自分で作っていく。

だから、自分の「明日」と他人の「明日」は、全く別の場所にあってもいいし、全く別の物でもかまわない。

そう考えて、今日一日を過ごす。

そしてその今日も、昨日の明日であることを自覚する。

たまには、そんなことを考えてみてもいいかもしれない。


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