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ブランドは今、どうマスに拡散するか

いくら限られた人にしか所有できないことを売りにしてきた高級ブランドと言えど、ビジネスチャンスは逃したくないわけであり、金を出してくれるのならホームレスにだって服を売りたいのがホンネというやつだ。

かつてのコムデギャルソンの店員なんかは、てめえには似合わんからやめとけ、と言わんばかりの接客をしていたどころか実際に「お客様にはあまりお似合いにならないかと思います」と堂々と言ってのけていたという噂があるが、今ではそのギャルソンすら結構金のない若者とかファッション感度の高くないニワカファッショニスタを取り込みに行っているぐらいである。

かつて盛り上がったディフュージョンライン

高級ブランドがどうやって金のない奴や感度の低い奴を取り込むかというと、安いアイテムを出すのが一番だが、それをやってしまうと高いものを頑張って買っている奴らがキレるので、じゃあ安いアイテム専用の、ブランド内のコーナーを作りましょうということで、ディフュージョンラインというのが一時期色んなブランドで盛んに立ち上げられていた。

有名なところでは、アルマーニやマークジェイコブスなんかが昔ディフュージョンラインで荒稼ぎしていた記憶がある。ディフュージョンラインなんてカタカナでカッコよく呼んでいるが、詰まるところ“入門コース・初心者コースであり”、目につきやすいところにロゴやブランド名が入っていて下品なことこの上ない。

ところで今は、各ブランドでディフュージョンラインが廃止されたり、本ラインに統合されたり整理が進み、入門用のラインを設けるブランドというのが少なくなったように思う。

本ライン着用者が必死でバカにしていたディフュージョンライン

ディフュージョンラインの役割というのは、入門用と申し上げた通り、普及、認知拡大であると思ってもらってほぼ間違いない。
価格は本ラインの数分の一ほどの値段で展開していたところもある。さらに、通常の本ラインなら絶対に入らない若年層向けファッションビルにショップが入居したり、本来なら絶対に掲載しない若年層向けファッション誌に広告を出したりする。

そのような特徴があるため、情報量の少ない学生などが本ラインと混同してディフュージョンラインを着用していることがあり、そんなコーデをネットやSNSに投稿して袋叩きにあって泣きを見る、というようなことが数年前のネットでは散見された。

そんな場面でフュージョンライン着用者をバカにしているのは本ライン着用者で、「我々は本物の〇〇(ブランド名)ユーザーやぞ! ディフュージョンライン着てこっちの世界にきたつもりになってくれるな!」ということかと思う。

確かに僕もディフュージョンラインには否定的な意見を持っていた。
なぜなら本ラインが欧米先進国や生地や繊維の有名産地で生産するのに対し、デュフュージョンラインは発展途上国の工場で生産されていることがほとんどで、デザインも本ラインはメインデザイナーが担当していて、ディフュージョンラインはライセンスを与えられている企業などが行っている場合が多いからだ。

結局ブランド名を冠していながら品質もデザインも別物ということがよくあり、それならディフュージョンラインと言っても結構な金がかかるのだから、本気で作っているドメスティックブランドやファクトリーブランドに同程度の金額を出した方が遥かに有意義じゃないかと思っていた。

綺麗事とディフュージョンライン

入門用。ニワカ向け。と、ディフュージョンラインを断罪するようなことばかり言ってきたが、ブランドのビジネス的には重要な役割を果たしていたのが現実的なところだというのは僕にもわかる。

ファッションオタクの中でも(良くも悪くも)タチの悪い層に支持されているコムデギャルソンは、実に17ものブランドラインを持っていて、そのうちいくつかは明確にディフュージョンラインであった。
特に目のついたハートマークが有名なプレイコムデギャルソンは非常に有名で、一時期ギャルソン社にとって大きな資金源だったことは間違いないが、キャッチーで気軽にギャルソンを着用している気分が味わえるプレイギャルソンが一般層にも売れて金を稼いで来てくれるために、本丸であるコムデギャルソンやジュンヤワタナベなどで攻めたランウェイショーを展開でき、ブランドの世界観が維持できるという側面もある。

ただ、ギャルソン社や川久保玲には盲信する信者も多いが、プレイのような明確な廉価ラインをいくつも展開しながら、CEOであり川久保の夫であるエイドリアンジョフィが「ディフュージョンラインは嫌い」と言ったり、ファストファッションが勢いをつけ出した頃に川久保が激安ジーンズ批判をした割に、ギャルソンの下請け会社が労働者を違法労働させていたことが発覚した際に、あくまで下請けの責任であるとの理由でギャルソン社は関知しない旨のコメントを出したり、2008年にはH&Mとコラボしたりと、結構二枚舌なところがある。

川久保を筆頭にギャルソンのクリエーションが業界にも一般のファッショニスタにもリスペクトされているのは重々承知だが、ほとんどの服にロゴが入っていて安くて、昔川久保が否定的だったオンラインで購入できるBLACK Comme de Garconsなどを展開していて、「我々の最優先事項はクリエーションだ」などと嘯くのはどうかと思う。

今、各ブランドはディフュージョンラインをやめて、ディフュージョンアイテムで普及を図る

ちょっとギャルソン批判のようになってしまったが、まだラインを分けているだけ良心的かもしれない。

ディフュージョンラインのカラクリなどがネットによって一般消費者にも知れるところになったため、アコギなビジネスをしている印象がブランドイメージ悪化を招くと判断してか、最近はどこのブランドもディフュージョンラインをやめてしまった。

だがその一方で、各ブランドが本ラインで、ブランドの名前が即座にわかるようなアイテムをリリースするようになった。

ブランド名や、理念を端的に表したキャッチコピー、或いはロゴを前面に押し出したTシャツやパーカーといったベーシックアイテムをラインナップすることで、元々のデザインや世界観に惚れ込んだファン以外や新たにファッションに興味を持った層にリーチすることを試みている。

ナイキがリリースする、ロゴをデカデカとプリントしたパーカーや、同社のキャッチコピーの『JUST DO IT.』をプリントしたトラックパンツなどが分かりやすいかもしれない。
ナイキは必ずしもファッション感度が高い人が支持するブランドではないが、イメージとしてはナイキのあの手のアイテムを、本来そういう分かりやすいアイテムには手を出さなかったブランドが次々と“手を染めて”しまっている、といった感じだ。

僕はそういったアイテムを、皮肉を込めて『ディフュージョンアイテム』と呼ぶ。

元々ディフュージョンアイテム的なものがなかったブランドでも、展開を始めて売り上げを伸ばせば「ビジネス的にも成功を収め……」などと言われてファッションメディアから礼賛されるのだから始末が悪い。

ディフュージョンアイテムの波は百戦錬磨の海外メゾンでも抗えないところまで来ていて、というか海外ブランドからそのトレンドが始まったのだと思うが、バレンシアガが大々的にアイテムにブランド名を“掲出”し出した当たりで決定的となった。今ではフェンディもディオールも見境なくロゴアイテムをリリースしている。
久しぶりにつけたテレビでのバラエティで、宮川大輔が『HELMUT LANG』と明記されたTシャツを着ていたのを見たときには唖然とさせられた。


バレンシアガのロゴが入ったアイテムを身に付けるのは、今やファッション感度の高い層には恥ずかしい行為だろう。ディフュージョンアイテムの展開は短期間で成果が出るが、やりすぎると後の陳腐化も避けられない。

このロクでもなくやはりロクでもない世界の目を瞑ってはいけない部分を目を見開いて見た結果を記してゆきます。