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「恥ずかしい」は経済成長の敵

日本人は、勤勉でも、優しくも、奥ゆかしくも、ない

今無作為に選んだ日本人2000人に、日本人の性格の印象をアンケートしたらどんな傾向になるんであろうか。
ステレオタイプな答えとしては、「勤勉」とか、「優しい」とか、「奥ゆかしい」とか、そんな感じの回答をする人が結構いそうだが、ご冗談は吉村作治である。クフ王の謎は一生解けない。

吉村作治はいいとして、俺の日本人に対する印象は真逆だ。

なぜ「勤勉」、「優しい」、「奥ゆかしい」の真逆だと思うかというのを一個づつ明かす。

まず「勤勉」。これは俺の職場の人たちがあまり勤勉に見えない点から真逆だと思う。

俺はデスクワークをやっているのだが、隙あらばネットサーフィンばかりしている。さらにオフィスの周りの人を見渡してもそんなに忙しく働いている人を見かけないし、みんな割とほとんど定時に帰る。ということは結構業務に余白があるということだ。

毎日毎日きっちり8時間の時間配分を完璧に行っている人もいないだろう。にも関わらずみんながみんな日がなPCを眺めて、時に「む〜」とか「やや、これは」とか言って何かしている風に振る舞っているということは、余白の時間とはいえ真っ暗な画面を見ているのも決まりが悪いので、ヤフーのトップやツイッターのブラウザ版程度は見てても不思議じゃないのである。つまり、俺と同じようにネットサーフィンをしている怠け者は結構いると推測できるにも関わらず、誰もそういう人を非難しないというのは、そこまで人に厳しくしていると自分自身も結構行動を制限されかねないということで、「なら俺も適当にネットやっとくわ」みたいになっている人が多いと思われる。

にも関わらず業績が悪くないのが不思議なのだが。

次に「優しい」であるが、俺が日々目にしている他人というのは全然優しくなく、電車で人より広くスペースを取って周囲に狭い思いをさせて得々としている人や、絶対に人に道を譲らない猪のような人、それから駅や路傍で具合悪そうにしている人を見て見ぬ振りしてポケモンを獲るなどしている人ばかりだ。

最後に「奥ゆかしい」であるが、これはもう各種SNSを開けば一目瞭然で、誰もが自分のコンテンツ、いやコンテンツと言える物はわずかで、自分のちょっとした思いつきを褒めてもらおうと競いあったり、どうやったら家の婆さんが孫が一度好きと言ったものを永遠に買ってくる、程度の話を拡散できるかみたいなハウツー話を求めたり、とにかく奥ゆかしいなどとは真逆だろう。

しかし、このように、自分さえ良ければいい、というような傾向の人が増えているような感じのする日本であるが、昔からある「恥ずかしい」という価値観については依然として強く残っているのである。
「恥ずかしい」価値観は強力で、これだけ自分らしく生きようみたいなことが叫ばれている昨今の日本においても、なかなか「恥ずかしい」を超える動機が生まれないのは面白い点だ。

恥ずかしいから休まない

俺は冒頭、会社には働き者のように見える、隠れ「怠け者」がたくさんいると申し上げたが、怠け者が本来の姿を見えなくしている要因の一つは、休まないことだ。

彼らは、会社では怠けつつも、代休を消化しなかったり、時には有給を捨ててまで出勤する。なおかつ、人よりも遅く退勤する人すらいて(まあ俺の会社の残業は本当に大した遅くならないのだが)、オフィスの鍵管理まで任されていたりする。
なぜ、本来怠け者の彼らが、休日を犠牲にしたり超過勤務したりしているのであろうか。

それこそが、恥ずかしいからに他ならない。

彼らは普段怠けているだけに、業務上の成績や結果といった指標にはコミットできていない。営業活動その他の仕事においては、業務上の目標に対するリサーチや下準備のようなものがなければ結果を手にすることはできないからだ。怠けているように見えるのに結果を出せたら、それはただの天才である。

つまり、怠けているくせに結果が出ていないことを恥じる彼らは、企業に貢献できていないことをなんとか誤魔化そうと、他の人より多く会社に来てみたり、長く会社にいてみたりすることによって、なんだか頑張っているような気がしないでもないみたいな雰囲気を出すことに粉骨砕身しているのである。

逆にいえば、結果さえ出していれば少々の遅刻を咎められることもないし、休日返上で営業活動に当たった部分などは、代休申請時に上司から「ゆっくり休んでください」とか気を遣われさえする。

しかし、上でも述べたが怠け者はオフィスの鍵を持たされていることがあり、これは、プロジェクトなり営業活動が佳境を迎えていてガチで遅くまで会社にいなきゃならない人には結構ありがたいことだ。
エアコンを切ったり戸締りを確認したり給湯室に出しっぱなしのカップなどがないか確認するのを怠け者の人に任せて、自分はひと段落着いたらスッとオフィスから出られるのだから。
案外、総務の人間はそういう点を見抜いて、怠け者の人に鍵を託しているのかもしれない。なかなかの采配ではないか。

恥ずかしいからでかいクルマに乗らない

日本産の車というのはコンパクトさとか取り回しの良さが売りになっている商品が多い。実質的な軽専門メーカーが2つもあるし、毎年の新車販売台数の上位はたいていコンパクトカーだ。

これは、日本の国土が狭いせいもあるが、もう一つ理由がある。

それが「恥ずかしい」からだ。

日本でデカい乗用車に載っている人というのは、大概が大柄な人や見栄っ張りな人である。そういう人の車というのは威嚇的な運転が目立つし、そういう人の大半は口癖が「ぶつかったら死ぬのは向こうだからな」なのだ。
そういう発言一つとっても、豪快な事を言ってワイルドな人だと思われたい心理が透けて見える。
つまり、恥ずかしいという心理的傾向が強い人はデカい車を選択しない。

コンパクトカーなどの割と小さなサイズが好まれる日本の自動車市場が、恥ずかしいという観念がいまだ日本に根強い事を示している。

おじさんなのにオキンタマが見えそうな丈のショートパンツを穿いてセントラルパークをジョギングしたり、オタクですら毎晩パーティに参加してキレキレのEDMに身体を揺らしてテキーラショットを一気飲みするような、恥を知らぬ国アメリカでは、道路には基本的にトヨタのタコマやフォードのタンドラしか走っていないと聞く。

恥ずかしくて熱射病に

近年の日本の夏というのは、もはや、東南アジアや南米の陽気である。
なおかつ厄介なのが、日本というのは海に囲まれるなどの様々な地理的要因から、湿度も高く夏の不快指数というのはとんでもない国である。

夏場はクールビズが普及し、普段スーツのサラリーマンもジャケットを脱いでネクタイを外し、軽装で営業活動を行うこともだいぶ一般化してきた。
が、しかし、温暖化のせいなのか、ここ数年の関東の夏の異常な暑さというのは、いっかなクールビズでも対応できるレベルを超えた暑さになっており、毎年何人も救急搬送され、甚しき場合には死者も出る。

最近は男の日傘なるものが登場し、ビジネスウェア姿のサラリーマンが日傘を指して歩いている光景もわずかに見かけるが、なぜもっと手軽な方法を取らないのだろうかと、俺なんかは不思議に思う。

手っ取り早く強い日差しの被害から身を守ろうと思ったら、サングラス以上に最適なアイテムはない。

ポケットに入り、着脱が楽で、日傘のように人混みでも気を使う必要がない。こだわらなければ1000円ぐらいから手に入る。それに、人は目から日焼けするとも言われており、目から入った紫外線が体内にメラニンを生成して日焼けしやすくなるという研究もある。サングラスをかけるだけで、かなりの暑さ対策になるとも言う。

こんなに良いことづくめのサングラスだが、なぜ真夏のビジネス街にサングラスをかけた人を全くと言って良いほど見かけないのだろう。

もうお分かりかと思うが、「恥ずかしい」からだろう。

きっと、スーツにサングラスをかけると、逃走中と言うテレビ番組の追いかける人のようになるとか、恰幅が良くて強面の人はアウトレイジみたいになるとか、そのように心配して、営業の支障になると思っているのだと思う。

しかし、サングラスなど、訪問先に着く直前に外してポケットに入れれば良いだけなのだが、彼らにとっては、道ゆく他人にどうみられているかが重要なのだ。

普段は他者に対して圧倒的に無関心なのにも関わらず、なぜかそのようにおかしなところで気を揉むのか。

日本人の不思議な特徴である。

このロクでもなくやはりロクでもない世界の目を瞑ってはいけない部分を目を見開いて見た結果を記してゆきます。