文武不相応とは

「文武相応、文武不相応の定義とは」について
考えていた。勿論意味は分かっている。身分や
収入等現在の自分の立場にあっていない暮ら
しをすること。ようはお金もないのに贅沢品を
身にまとうだとか豪遊して暮らすこと等。
あとは言動や態度などが立場に見合っていない
ことも指すらしい。これってどうなんだろう。

何が言いたいかというと、度を越えた貧困状態に
置かれた背景のある人にも言えるのかなと。
現実的には言える。資金が乏しい余貯蓄や収入が
ないのであれば豪勢な暮らしなどできるはずが
ない。お金を借りたり必要な生活費から使えば
自分の暮らしが苦労するだけだ。

でもそういう人もいる。見栄の為なのか、取り
戻したい過去の人生の為なのか。無理をしてでも
時には借金をしてでも外観の体裁を保とうと暮ら
す人がいる。私はそれだ。
単に浪費癖もあるので己の怠慢と言われればそれ
もあるのだが、自分の幼少期の貧困家庭に生まれ
育った環境がそうさせていると思っている。

多分こういう人は多い。
失った人生を取り戻したい、あの頃味わった
苦汁を塗り替えたい。みじめな自分をもう見せた
くない。そういう考えのもと虚勢を張っている
人も多いはずだ。私は完全にその思いに捕らえ
られて生きてきた。今もそうである。
だからとても見栄を張る。人に弱みを見せられ
ないわけでもないが友人の前ではよい恰好を見
せようと虚勢を張る。
仕事も暮らしも全て充実。完璧を演じようと
する。SNSなどがその典型例で、表向きに公開
しているアカウントでは良いことしか書いて
いない。全てが上手くいっている。
そう演じているのだ。

大人買いという言葉があるが、それらは20歳を
超えてやりつくした。子供の頃に変えなかった
お菓子やアイスのちょっと高いもののバカ食い。
欲しいと思った服や鞄、靴は生活費を削って
でも買った。
とにかく執着心が異常だった。欲しいものは
必ず即座に手に入れないと気が狂いそう
だった。
どうしても買えないときはそのことで一日中頭を
支配されるくらいだった。
どんな手段でも手に入れたいのでそのうち借金を
するようになった。
クレカで購入したりキャッシングをしたりした。

足りなくなった生活費は月末に姉に借金を
したりもした。とにかく駄目な人間だった。
家族も家族で相も変わらず貧乏で一人も恵
まれた人はいなかった。
父親は生涯、社会保険すらない工場勤務で
60歳で定年退職し、年金は月に6万程度しか
ない。兄も姉二人も早々に結婚したが、兄は
チンピラとなり警察からの連絡はしょっちゅ
うだった。子供もいたが二年ほどで離婚し、
今は行方も知れない。
上の姉は3人子供を作ったが常にお金がなく、
中卒の旦那の稼ぎは手取り20万に満たなかった。
そのため朝も夜も姉が働く中、子供たち二人は
中卒となり一人は土建業に。唯一高校を卒業
した女の子だけは卒業と同時に家を出て就職し
一度も顔を見せに来ていない。
つまりそういうことだ。
下の姉も貧困で年下の旦那とできっちゃった
結婚した。旦那が大学中退で就職した企業が
ブラックで倒産。
収入もなく同じく姉は昼は保険の営業、夜は
スナックで働いていた。当時はおむつを買う
お金もなく、上の姉や父にお金を借して欲しい
とよく連絡が来ていた。

つまり貧困家庭の連鎖は生まれた子供にも
続く。いやそんなことはない。努力で変わる。
そういう人もいるだろうし実際その通りなの
だろうがその努力をする機会や方法もわからず
に人生が過ぎていくのだ。
親と同じ末路を辿る貧困家庭は多い。
それらを彼らの努力不足だけに一任していいの
かと当事者の私はいつも考える。
上の姉の子供二人は男の子で小学校までは
普通に学校に通っていた。ただ学業の成績は
よくなく、そう言った部分も家系によく似る。
親も勉強ができないので教え方がわからない
のだ。小学校高学年あたりになってくると
次第に難儀する。
効率的な勉強方法と環境も整っていないので
次第に苦手になっていく。勿論周囲について
いけなくなるのだが、己らもそうだったので
親もそこまで深刻にとらえない。
まあそうだよな・・となる。
とくに姉の場合は夜も働いていた為、子供らが
姉の監視下に置かれることはなく。
中卒の旦那は仕事から帰るとひたすたお酒を
飲むかゲームをするだけだったので彼らを見て
あげられる者がいなかった。
結果、二人とも同じように夜に出歩くように
なり同じような境遇の友人らと過ごすように
なっていった。次第に中学校にも行かなくなり
卒業はしたものの高校は卒業せずと言う感じ。
二人とも体裁の為に一応誰でも入れる高校には
進学したが案の定、半年絶たずで退学した。
もう一人の唯一高校を卒業し就職した女の子も
進学した高校は商業高校だった。
今は学んだことと全く関係のない引っ越し屋の
事務をしている。

自立しすぐに家を出て、己だけで生計をたてて
いる彼女は本当に偉い。
よほど家を出たかったのだろう。子供時代を
恨んだと思う。万年家にいない母親。
一度も与えられなかった自分の部屋。
(2部屋しかない家で常に襖は開け放たれ親と
一緒の空間。子供たちのプライベート空間は
ベッドの上だけだった)
彼女だけはもしかしたら、お金持ちにはなれ
なくとも普通の人生を送れるかもしれない。
早々に負の連鎖と縁を切ったので。

余談だがうちは借家の長屋のぼろ家屋で2棟
繋がっており、私の住んでいた実家と姉の
住んでいた家は繋がっていた。
姉は仕事でいなかったが私や私の父親が
一緒に暮らしていた為、子供たちの様子は常に
見ていた。姉の旦那から子供たちが虐待を受けた
などの記憶はない。なぜなら私の父親の独裁制の
せいで我が家と姉の家を繋ぐ部屋のドアも一日中
開かれたままだったからだ。姉の家族はある意味
私の父親に常に監視され束縛され、常に暴言の
狂気に浴びせられていた。始まりは父親であり、
父親からの家系の負の連鎖なのだ。

お前は子供らを気に留めなかったのか、姉の
子供たちに何かしてやれなかったのかと
問われると返す言葉もない。だがなかった。
私は安月給のフリーターをやりながら実家で
(父親からの暴言狂気の虐待はあったが)
子供たちにおもちゃを買い与えていた。
その頃わたしはお金で解決、お金で満た
されることしか考えておらず、精一杯の
私なりのやり方で姉の子供たちに自分が
幼少期や学生時代に買い与えられなかった
ゲーム機や服、喜びそうなものを与える
ことで己と同じ思いはさせないぞと考えていた。
自分が惨めで苦しい思いをしてきたからこそ、
姉の子供たちにはそんな思いを味合わせたく
なかった。
また私の父親からの暴言威嚇などの虐待も
絶対に子供らには与えさせないと決めていた。
父親の孫たちに対する暴言は例にもれず酷くて、
私の見守れる範囲内では守ってきたつもりだが、
やはり働いている時や家にいないとき姉も居らず
旦那もまだ帰ってきていないときの私の父親と
孫たちだけの空間は地獄だっただろうと思う。
そういったことも子供たちを夜間遊びに出歩く
生活にさせてしまった原因だった。
学校へ行かないのも、中退してしまうのも止めな
かった訳ではなく説得などもしていたがどうする
ことも出来なかった。彼らをこの負の環境から
抜け出す道しるべを示してあげられる者は
誰もいなかった。

当時働いていた上場企業の部長に面談で、姉の
子供の話をする機会があった。実はその頃姉の
子供が夜中に友人と近所の公園で会っていた
ところ輩に絡まれ金属バットで追いかけられ
殴らる事件が起こった。
姉の子供は命からがら近くの家に助けを求め保護
されたのだが、殴られたときにある指の
第一関節が粉々に砕けてしまった。
私は後からその事件を聞かされ、逃げている
犯人を許せないという気持ちと心底怖かったで
あろう甥っ子のことを思うと仕事中もつらくて
仕方なかった。例によって父は自業自得だ、
ざまあみろと本人に言うなどおよそまともな
人の言葉をかけずにいたので余計に憤っていた。
甥っ子は学校にこそ行かず夜に出歩いていたの
だが、学校に行かず遊んでいただけで喫煙を
するとか、飲酒をするとか犯罪をするとかその
ようなことは一切なかった。
学校に行かないのも高校中退も良くないこと
だが、かと言ってそれ以外に特質してなにか
悪いことをしていたわけではなかった。
喧嘩にあけくれることもなかった。
ただ近所の公園で友達としゃべっていただけ
なのだ。そして輩に人違いをされて因縁をつ
けられ追い回された。
褒められた人生でもないが、わたしはどちらか
と言うと自分を含め周囲の大人に責任があると
思っており、彼を違う方向に導くことができない
でいた負の家系に原因があると思っている。
当時この事件について面談があった際に、部長に
話したところ侮蔑の顔をされ、まあそういう子は
そういう目に遭うってことだよ。うちの子は
絶対に夜中に外に行かせないからね。そういう
育て方をしたってことだし、そういう目に
遭っても仕方ないねと言ってのけたのだ。
部長の言葉がまっとうな人生を歩んでいる
者側からの真理をついた発言なのだとしても
私には許せなかった。
一部上場企業本社の広告宣伝部の部長に、
暇さえあればインバウンド偵察だと言って
経費で毎週海外旅行に行くような勝ち組の
高齢男性がこの最初から底辺、負のループの
家系に生まれ、逃れようがない歯車にいれ
られた人間の気持ちがわかるわけがない
のだと。
上流の人間には上流の苦悩があるのだろうが、
少なくともお前にはこの苦しみは耐えられまい。
土台が、生まれたステージが違うのだからと。

話は最初に戻る。文武不相応の話だ。
姉に昔、もっと収入に見合った暮らしを
しなさい。
文武不相応よと言われたことがある。
その通りなのだ。私が悪い、本当に。
そしてそれは自分でもよくわかっている。

だが求めているものが高級マンションに
住みたいとかブランドものが欲しいとか、
海外旅行をしたいとか習い事がしたい
みたいなセレブな生活がしたいわけでは
ない。
見合っていない浪費は認めるが、ただ基準を
普通の家庭や暮らしに向けてみるとむしろ
当たり前の暮らし、いや低水準なのだ。

わたしはガスもなるべく使わない。その為2年
ほど湯船にお湯は張っていない。真冬でも
38度の温度で凍えそうになりながらシャワーを
一回一回止めて使っている。
洗い物も基本的にはお湯は使わない。
調理は卓上コンロを使って使用する分だけ
ボンベを買っている。
暖房機はエアコンとサーキュレーターは
回しているがヒーターなどの機械は電気代が
凄すぎて使えない。
昨年からは灯油ストーブを取り入れ自転車で
遠くまで漕いでは、市内で一番安い灯油を
週に2度買いに行く。
灯油も高いけれどエアコンだけでは寒い。
電気代よりは安いのだ。
化粧品や服にも全くお金をかけなくなった。
今は無職の為休んでいるがジェルネイルも
マツパもヘアカラーも全てセルフで行う。
基礎化粧品は半年に一度買うだけだ。
服は今年に入り一度も買っていない。
買うのは生活用品と、うさぎのご飯や
身の回りのもの、食費だけだ。

これでも無職の私には贅沢かもしれない。
でも働いていた頃、ネイルもマツパも
美容室も通っていたが莫大な金額をかけて
いたわけでもない。
それらだって普通の生活をしている人には
普通の暮らしなのだ。何が言いたいかと言
うと一般的な暮らしですら私には贅沢に
なってしまい文武不相応となってしまう
こと。今は稼いでいないので当たり前なの
だが、そもそも生まれた土台やステージが
違うことがもう負の連鎖の始まりであり
不公平であると思ってしまう。
生まれた時からそれなりの暮らしが用意
されていた家庭で育った子と、大学まで
行かせてもらい一人暮らしの初期費用まで
出してもらえた人。
なんならいくつになっても実家暮らしで、
生活費をいれずとも食事が出てくる人まで
いる。私は母が亡くなった中学生から
誕生日プレゼントを親からもらったことは
ない。生理用品もお小遣いから自分で
出していた。
高校の定期代をお願いすれば本気で嫌がられた。
お昼代がなくて食べられないときは、ダイエット
だと嘘をついて昼休みを過ごした。
もちろん高1の15歳からバイトはすぐに始めた
ので出費は自分で出せと言われた。
父親は、夜はぼったくりのスナックに行き毎回
4万円ほど使っては真夜中に泥酔して帰宅、
中学生の私に介抱をさせるような人間だった
のでそれこそ身の丈にあっていない暮らし
だったと思う。
月曜の朝に父親から命令され、父の会社に
電話して二日酔いなのに仮病で父が休む連絡を
させられるのが苦痛だった。
中学生にそんなことをさせる親が本当に
嫌だった。

文武相応ってなにかね。貧困に生まれたら
一生底辺でいろよってことなのかね。
そう思わずにいられない。
もしも私があのまま上場企業や、昨年辞めた
会社に食らいついていれば一応普通の人に
近い生活はできていたのかもしれない。
まあそういうのを手離して9カ月も無職を
やっちゃうところもわたしのせいだし、
まともな道をいつも選べないところも
負の家系の連鎖故なのだろうな・・
(最後はきっと言い訳にしか聞こえないだろう
けど、まともな選択を選ぶ能力がないってこと)



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