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THE FIRST SLAM DUNK見てきた話

THE FIRST SLAM DUNK見てきました。
この感情をどう伝えればいいのか、端的に言えば「めっちゃよかった」なんですけど、めっちゃよかった、で終わらせたくない。語彙の敗北、完全な敗北です。
でも、よかった……って呻いてるだけだと何も伝わらないので頑張って具体的に伝える努力をしてみます。
制作サイドの話は何も入れてないので見当違いなこと言ってるかもしれないけどそう思ったんだ~で流してもらえると助かります。
いや……ほんと……作ってくれたすべての方に感謝をささげたい……ありがとう……ありがとう世界……

私は最初は全然見る気はなかったです。
やっぱり昔見てたアニメの印象があまりにも強く、キャストが変わるって聞いてその違和感に耐えられるかが気になってたことが理由です。
それが、割と趣味の合う上司(※元バスケ部・旧アニメ視聴勢・基本的に寡黙)が珍しく「あれは見たほうがいい」と推してきたので、じゃあ見てみるか……となんとなくで今更足を運んだんですが、見る気ないとか言ってて本当にすみませんでした。もっと早く見ておけば良かったです。

具体的なストーリーは割愛。公式や映画紹介サイトを見てください。
というか、これを読んでくれてる人は見た人間の呻き声を聞きたい人だと思うのでストーリーもわかってると思う。
私は前述の理由から情報を全然入れていなかったので、リョータが主人公だってことも山王戦やるってことも上司から聞くまで知りませんでした。
必要最低限の情報しか知らない状態で見せられた『宮城リョータ』の物語は、私が知っていたリョーちんと重なるようで重ならない、そこにあったのはまったく新しいスラムダンクの世界でした。
というか冒頭からめちゃくちゃ重い。
やめろ、フラグを立てるな。これ以上この家から何を奪う気だ。
どうしようもない「現実」がいきなり頭の上から降ってきて息苦しい。
一人で部屋で見ていたら呻いて頭を抱えていたと思う。
誰も悪くない。悪くないけどこれは……しんどい……という過去と、現在のめちゃくちゃ熱量と躍動感のある試合が交互に重なって展開される画面。
静と動、過去と今の対比、それがちょうどいい配分で繰り返されてクライマックスに帰結していく構成は本当に見事。
というかこれ今全部「そうだったのか」って気づいて書きました。
見ている間にそんなことを考える余裕なんてなかったです。
始まった瞬間から物語に取り込まれて、あとはその中にどっぷりと沈んでいく。こんなに物語に「没入」したのは久しぶりでした。
「自分」と「物語」しかない。時折「自分」すら存在していない、余計なことを一切考えない時間。めちゃくちゃ気持ちいいです。
すごい……作品の力がすさまじすぎる。

余計なセリフが全然ない。無駄な説明なんて一切ない。
極限までセリフをそぎ落としてるのに、物語の展開はちゃんとわかるしだからこそキャラクターは生きている。
実際現実に生きている自分たちは、考えていることの3割も実際の言葉にしていないと思う。
でもコミュニケーションが取れるのは、ちょっとした表情だったり、視線の動きだったり、しぐさだったり、お互いが持っていることがわかっている情報だったり、そういうものを無意識に読み取ったり考慮したりして言葉を選んでいるから。
それをそのままスクリーンに乗っけても前提条件が違うからわけがわからなくなるはずなのに、その「リアルな会話」を「アニメーション」としてスクリーンにのっけている。ええ……こんなことできるの……匠の技じゃん……
これも今書いてて、言葉が少ない分、天気や背景、音が効果的に使われていて、全てのカットに意味があるから言語化できなくても読み取れてるんだな……ってことに気づいた。
リョータの回想シーンは「なんとなく薄暗い」イメージがすごくある。曇ってたり、雪が降ってたり、どこかハレーションやセピアがかっていたり。
その中でとあるシーンでばーーーっと目の前に開ける沖縄の美しい景色がすごく印象的だった。まっすぐな白い道、その先の青い海と空。でもこれは『リアル』な景色ではなくてもう『存在しない景色』っていうことが説明されなくても伝わってきて……だめだ、書いてて涙出てきた。
心情と天気や風景をリンクさせるってよくある手だけど、やっぱり効果的だし上手く見せられるとこうなるのか~~~~~……良い演劇はすべての場面に意味があるけど、それを映画で見せられた。ただでさえめちゃくちゃ質のいい試合を一本見せられてるのに、意識していない部分の情報量が多すぎる。でも作中では「それを読み取ってください」なんて気配は一切ない。そりゃーーーーー見終わった後ぐったりするわ。思っている以上の情報を私たちは無意識に受け取っていて、この後味になってるんだな……「浴びる」ってよく言うけど、こういうことなんだと実感した。世界を浴びた。

あとは、もう、すごすぎてどこがどうすごいとか言えない、完全にこちらの貧弱な語彙を殺す試合シーン。
私が話すより見たほうが早いから見て。すっごいから見て。
3Dのアニメでこんな迫力と緩急ってつけられるようになったんだな……って感嘆した。セルだと時間や労力の兼ね合いでできないことをおもいっきり贅沢にできるし、やってる感じがする。
3Dだからこそ手描きだとコストの問題で難しいだろう「井上先生の絵がそのまま動いてる」感じを再現できてるんだなあ……
フルCGアニメってあまり好きじゃなかったけどもう全然違和感もないし、これだからできる表現方法って位置にまで到達してたんだ、って身をもって知って反省した。もうセルの代替手段ではないんだな。頭が古かったです。

いい意味で「アニメっぽくない」画面の作り方も新鮮で個人的にすごく好きだった。
かといって完全なリアルな視点というわけでもないし、ドラマとも違うし舞台に近いけどちょっと違う……なんだろうこれ。
試合中にちょこちょこ引きの絵で見せられる場面があるのだけど、端々で花道たちが面白いことやっていたりするのにカメラは寄らない。その視点が「実際に試合を見ている観客としての自分」の視点に近くていいなと思った。今私は広島の体育館でこの試合を見ている……ぼーっとしてたら大事な場面を見逃してしまう。どこを見るかは自分で決めないといけない。

たまたま見た回がドルビーだったのも良かったんだと思う。
その回しか時間が合わなくてなんとなくで選んだんですが、あれは、すごい。ほんとに体育館にいる臨場感だった。どしゃぶりの雨が上から降ってきて体を包んでいる。そんな音のニュアンスがわかる。ドリブルの音もバッシュの音もボールがゴールを通る音も気持ちいい……スラムダンクASMR……全然心は休まらないけど……

原作は読んでいたので各キャラのバックグラウンドはわかっていました(映画で明かされたものは除く)
その上で、展開していく物語を、試合を見ていると「これはバスケの試合だけど、レゾンデートルの獲得と結実の物語なんだな」ということを強く感じて泣きそうになったというか泣いた。
それぞれに多かれ少なかれ抱えている葛藤、わだかまり、過去、悩み、そういうもやもやしたものが、ひとつの試合を通じて昇華されていく。
「もうひとりじゃない」「ここにいてもいい」「この瞬間のためにここにいる」そう思える場所が、瞬間がここにある、見せてもらっている。
確かにそこに「生きている」人間が、奥行きのある世界がそこにあるって、そうそうないことで、すごく幸せなことだと思う。

ここまで考えてこんなめんどくさいこと考えなくても美味しいものは美味しい、でいい気がする、って思った。多分そういうことを考えなくても「めちゃいい」ものになってるのが作り手の圧倒的な技量ってことなんだよな……すごいな……
今日二回目を見てくる予定だけど、最初に感じたことが変わるのか、深まるのか、でもとりあえず初見のわーーーーーー!!!って気持ちを残しておきたかったから走り書きしました。
全然まとまってないし読みづらいうめき声ですが、誰かに「わかる」してもらえたら幸せです。
あーーーーーーー面白かったな~~~~!!!!!!リョーちんは幸せになってくれ~~~~~~~!!!!

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