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今、フィリピンでキチママと暮らしてます。(第二期)(15)

海辺のリゾート  (最終話)


キチママの住んでいるスコーターエリアにまた通い始めるようになって数週間が経っていた。


その日もサリサリストアで店番をしているキチママが年末はスービックに行きたいと言ってきた。

スービックは私が住んでいるパンパンガの隣にあるザンバレスという州にある海沿いのリゾート地で、そこに日本人が経営しているホテルがあり、日本食のレストランやビーチとプールがあるそのホテルをキチママは気に入っていた。

キチママと一緒になってから子供を連れて毎年一度は訪れていたが、コロナになってからすでに1年以上行ってなかったのだが、ワクチンも打ったことだし、子供の外出も許されていたということもあり、


「いいよ」


と言って、私はすぐネットでホテルの電話番号を探して、年末年始の3日間で部屋を予約したらキチママは子供のようにはしゃいでいる。

娘も「プール、プール」と喜んでいたし、

年末まで1か月以上あったが、それを励みに仕事を頑張ろうと私も思った。

長く鬱状態になっていたキチママは最近、機嫌がよかった。

それは間違いなくサリサリストアの運転資金を出してもらい、自分で安定した収入を得られるようになったことからだと思うが、精神状態が安定してくると必ずと言って良いほどまたあの面倒な質問をしてくるのだが、その質問というのが「Do you love me?(私のこと、愛してる?)」だ。

はっきり言って、1番返答に困る、やっかいな質問だった。

せっかく安定してきているキチママの精神を逆撫でして機嫌を損ねると私も余計なストレスが溜まるのでいつも適当に返事をしていたが、今回は「最近、私に興味がなくなったように見えるんだけど、浮気でもしてるんじゃない?」と、そんな被害妄想を言ってくる。

今の生活にキチママは大満足しているだろうが、私は今の現状全てが嫌だった。そしてこの状況を望んで作り出したキチママを許すことができなかった。

とくに今年に入ってから、キチママの精神状態の悪化と身勝手な行動の結果どれほど辛い経験をしてきたのか、きっと彼女は考えてもみないだろう。もちろん、そんなことを言ってもキチママは理解できないし、何一つ変わらないだろう。ただ一つ言えることは状況は年々悪くなる一方だということ。だからもうキチママには何も言わない。言っても状況がさらに悪くなるだけだ。


そんな本心とは裏腹に、表に一切感情を出さない私にキチママは「隠し事=浮気している」と思っているようだった。


この人の頭の中はお花畑なんだろうな。そんな人に何を言っても無駄なことはわかりきっていることだ。だから「もちろん、愛してるよ」と私が答えると、「Talaga?(ホントに?)」と少し疑うように、照れ笑いするキチママがいた。

そのあとキチママは息子を寝かすため、店番を私に任せて部屋の奥に入っていった。

最近私は休みの日にサリサリストアの店番をやっている。朝から晩まで近所の子供達が1ペソのキャンディを買いに来るのを待ってる、そんな1日を送っている。その間ふと、考える。


一年はあっという間に過ぎ去る。

このまま、どんどん歳をとっていくんだろう。

キチママと出会って、もう6年近くの歳月が流れていた。一緒に住むようになり、娘が生まれその娘も今年4歳になった。

コロナが起きる前は生まれたばかりの娘を連れて、3人で色んなところに行ったな。本当に楽しかった。

それでも一年の半分以上は喧嘩してた気がする。私も悪いところは確かにあったけど、今考えてもキチママがやってきたことのほとんどが理不尽そのものだった。

コロナになって、ロックダウンになってヤヤさんもいなくて、何処にもいけないどころか、家の外に一歩も出れない時期が何ヶ月もあって、お互いストレスためながらも、ケンカしつつも、「今は大変だけど家族で力を合わせて頑張ろう」とお互い励ましつつ家族3人で暮らしていたあの頃、確かに愛し合っていたと思うし、そんな生活が幸せだと感じていた。だから二人目の子供ができたときも、納得ができたんだ。

でもロックダウンが終わって、お互い普段通りの日常に戻っていくと関係はどんどん悪化していった。

キチママの精神状態がさらに悪化していって、私が働いてる会社の人と揉めるようになって、私に言うことを聞かせるために私の友人や上司に迷惑をかけたり、私の人間関係をめちゃくちゃにしようとしてきたその頃から私はキチママに対して強い憎しみしか持たなくなっていった。

年末から私に何も相談しないで叔母の子供たちを育て始めて、今年の3月にキチママが犬のことで娘を連れて家から出ていって、それから翌月に息子が生まれた。それからいろんなことがあったけど今はもう10月だ。来月11月、そしてクリスマスを迎える時期になった。早いもんだな。



その日の夕方、ちょうどキチママの家の近くの公園で出店が出でいたので、キチママと娘、そして息子をベビーカーに乗せて親子4人で出かけようとしたら、太郎もついてきた。もう親子だけでどこかに行くことなんてこの先ないのかもしれない。

子供たちに出店でオモチャを買ってあげ、家に帰る途中、キチママが突然

「久しぶりに喧嘩したいな・・」と変なことを言ってきた。

「喧嘩をしたい」とキチママがいうときは大抵すでに私と喧嘩する理由があるときで、その時は喧嘩する理由が何も思いつかなかったが、実は私が知らないところで私たち家族を巻き込んだ大きな喧嘩がこの先待ち構えていようとは、私はこの時全く想像していなかった。


「俺は絶対やだ。だってめんどくせーから」とぶっきらぼうに答えたら、

「ふふふ」と含み笑いをするキチママに嫌気がさした。何か隠しているようなそんな笑い方だったからだ。

もういい加減にしてほしい。

この人のおかげでどれだけ辛い思いをしてきたんだろうか。

フィリピンという、日本とは全く異なる環境、法律があるこの国で、キチママと別れて子供を引き取るという選択肢すら私には与えられていない。

だからこれまでも、そしてこれからも子供たちと会う権利を失わないように、キチママの機嫌を損ねないように暮らしていかないといけない。

例えどんなに理不尽なことをされても、自分は絶対間違っていないと思っても、プライドを捨てキチママに許しを乞い、子供と離れ離れの暮らしを耐え忍んで生きていく方法しか今は見つからない。


だから、もし神様がいるのなら、この人に天罰が下りますように。

でなければ、この世界は理不尽すぎる。


子供の頃から理不尽なことをされて育ったキチママは、大人になって周りの人に理不尽なことしかできなくなった。

キチママを見てるといつも思う。

理不尽が理不尽を呼び

理不尽は連鎖する。

それが今、私の人生を大きく狂わせてきていた。



第2期

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