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今、フィリピンでキチママと暮らしてます。(第二期)(10)


キチママの兄


その週末、キチママの家にいくと、真新しいバイクが1台止まっていた。誰の?とキチママにきいたら、「私の♡」と嬉しそうだった。それにキチママの兄(仮)一郎のバイクも新しくなっていた。

なぜ金がないのか?長らくその答えを探していたのだが、ここでようやく理解できた。

その答えはどうやら、キチママは自分と兄のためにバイクを一度に、2台、ローンで購入したからだったが、キチママにそんな大金あるはずもなく、間違いなく養育費から出したと思う。


ただ、ローンだから、毎月払わないといけない。だから今まで以上にお金が必要になり、当時無職でオンラインビジネスもやめ、保険の代理業もやめてしまったキチママはビジネスをしたいと思っていて、そこからサリサリストアをやりたいとなったが、そのためにもさらに資金が必要だったので、突然「いっしょに住みたい」と今までと手のひらを返したようなことを急に言い出したのだ。

キチママは今までもそうだったが、一度まとまった金を手にするとなくなるまで使わずにはいられないというところがあった。

計画性が全くなく浪費するキチママはいつも私が送っているお金をすぐに使い切ってしまい、前借を繰り返すので毎回支払いの日になると金額が半分以下になっていることがお金の管理が全くできないことを物語っている。

お金を貯金したり、投資をして将来困ったときに使おうという発想がないのだ。この人たちにあるのは常に「今」しかない。「今」が良ければそれでいいのだ。

それはキチママが引っ越した家で穴が開いている屋根を見て、「雨が降る前に直したほうがいい」と言った私の言葉に対して「今は雨は降っていないからいい」と答えたキチママの叔母のように。


バイク以外にも経済的な困窮を招いていた理由として、叔母が浮気して、キチママが叔母と絶縁したことで、当時叔母が兄一郎に経営を任せていたインターネットカフェを閉めることになり、それ以来一郎が無職になってしまい、キチママに経済的に依存しないと行けない状態になっていたことも大きい。

もちろん、一郎への経済的支援を私に求めても、私が了承するわけがないというのもキチママはわかっていただろうから、そのためにもサリサリストアを経営して、その売り上げ+私からの仕送りを当てに家族を養っていく計画を建てたようだが、そのサリサリストアの資金を私が払うことに同意しなかったので当てが外れてしまったのだ。


そのため結局キチママは今住んでいる家を引き払い、家賃が掛からない叔母が住んでいた家に住むことになったのだが、そこには文太おじさんと一郎が住んでいた。

今まで叔母の家を我が物顔で使っていた一郎にとってはキチママ一家が引っ越すことについて当然よく思っておらず、最後まで反対しキチママと大喧嘩になった。

そもそも経済的にキチママが困窮することになったのが、一郎が働かないからなのだが、やはりこの一家の人間はどこまでいっても自分のことしか考えていない。一郎も今年34歳で働こうと思えば働ける年齢だし、探せば周りに幾らでも仕事はあるがそうしなかった。

過去に一郎がボホール島から仕事をするために出てきたときに、仕事探しを手伝ったことがあった。

はじめ私が務めている会社で働きたいと無茶苦茶なことを言ってきたが、キチママが昔言っていたように、特別待遇しろと言いかねないので、色々な人に聞いて回り、やっと知人の経営する会社で内定をもらったのだが、結局その後も働からず、もっと給料が良いからという理由で工業地帯にある製造工場で働いたが、結局続かず2日でやめてしまった。

その後も土木工事やレストランの厨房などいくつか職を転々としたが、どの仕事も長続きしなかったところは、妹のキチママとそっくりだ。

キチママもホテルやレストランのウェイトレス、英会話スクールの講師などいろいろやったが、上司に注意されたりちょっとでも難しいと感じるとやめてしまった。

そもそも一郎に島を出て仕事をさせるようにキチママに提案したのは私で、キチママと付き合い始めたころ、ボホールにいる無職の兄が私にバイクを買えと言ってきたので、一郎が島から出て働いたら仕送りの負担が減るとアドバイスをしたのだが、結果逆に負担にしかならなかった。

話を戻すが、妹一家が自分が住んでいる家に引っ越そうとしているのを反対し、喧嘩になり島に帰るとまで言い始めたが、それでもキチママは無理やりその一郎が住んでいる家に家具を移したので、関係は悪くなる一方であった。

ただ叔母の家がある一帯は私が一番行きたくない「スコーター」と呼ばれる貧困層の人たちが多く暮らすスラムで、そんなところに子供たちを住まわせたくなかった。

ましてや生まればかりの息子をそんな不衛生極まりないゴミ溜めのような場所で育ててほしくなかったのでキチママに言ったら「だったらもっとお金を頂戴」という答えしか返ってこなかった。

さらに、キチママは自分には言わないでコリアンタウンで夜の仕事をするようになっていた。

それがわかったのも、ある日キチママがラインを返信しないので花子にどうなっているの?とチャットをしたら、どうやらすでにバイトを始めたということだった。

キチママはこれまで子育てに疲れたから日中は仕事に出たいと無茶苦茶なことを言っていたが、今はコロナがあるし、子供も生まれたばかりだから、外で働くのはまだやめてほしいと頼んだが、

「あなたがお金払わないから、こうなるんだからね。全部あんたの責任よ」と、結局そういう話にしかならなかった。

あとになってわかったことだが、私に一言も言わず精神科への通院もやめてしまい、精神状態が不安定ないつもキチママに戻っていた。

通院をやめた理由は仕事のこともあるだろうが、何よりいっしょに行ってくれる人がいないから心細かったというのが一番の理由だろう。今回に限らず、ちょっとした検診でもいっしょに来てくれというキチママだ。いつも強気で横暴な彼女もこういうところがあるのはやはり精神的に依存体質なのだろう。

通院をやめ、精神安定剤を飲まなくなったことで、キチママは精神的に不安定な状態に戻り、以前のように私や子供たちを小さなことで怒鳴り散らすようになっていた。


当時、私は無性に胸騒ぎがしてならなかった。キチママの精神状態もそうだが、キチママが働いている間、子供たちの面倒を花子や紀子がしてくれていたが、彼女たちもまだ未成年だ。フィリピンではそれが普通かもしれないが、治安があまりよくない地域に引っ越して、家にいるが一郎も無責任極まりない人だ。そんな状況で母親は夜な夜な仕事をしている。そんな状況に不安だった。

どうすれば、この状況を変えられるんだろう?いっそ、子供を引き取れないだろうか。そんなことを考え始めたのもこの時期からだ。できれば父と母が別れて、兄弟が離れて暮らさないといけない状況にはしたくないと今まで思っていた。たとえ自分が悪者になってでも、兄弟仲良くいられる環境を作るのが一番だと思ってきた。

でもキチママはこれまでも、そしてこれからも子供たちを犠牲にして自分が思ったこと、自分がやりたいことを実行することしか考えていない。

キチママもまた理不尽で、身勝手な身内に対して、自分が何とかしなければという責任感で動いているのも知っているが、そのために私や子供たちを犠牲にしていることに変わらない。

キチママを見ているいつも思う。理不尽が理不尽を生み、理不尽は連鎖する。

その理不尽の連鎖から、私は子供たちを守らなければいけない。

できれば息子と娘二人を引き取るのがベストだが、それは彼女はぜったいに了承しないだろう。なぜなら、彼女にとって私からお金を得るために子供たちは必要なのだから。

でもそのためにこんな破滅的な母親と暮らし続けさせるのも、リスクでしかないと思う。そう考えたら、たとえどちらか一方だけでも引き取るべきなのではないか?そんなことを日々考えていたのだが、それでも私は決断できなかった。

この決断の遅さがさらなる不幸を招いたのだが、この時は知る由もなかった。

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