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【詩】言えなかったさようなら

『言えなかったさようなら』

学校の屋上に一人たたずんでいる。
日の暮れた、夜のはじまり。
目の前に立ち並ぶビルの群れからぽつぽつと光があふれていた。
あの光の中には、無数の人生が横たわっているはずだ。
見も知らぬたくさんの、顔も名前も知らない人たちの。
そんな世界の中に、私は今たった一人で立っている。

下の方を見ていたら、一瞬ふらっと体が揺れた。
慌てて柵によりかかる。
がシャンと音を立て、柵は私を支えてくれた。

なんで、どうして。この期に及んで。
私はおかしくて笑ってしまった。
私は今、まさにこの柵を越えて世界の外側に行こうとしていたはずなのに。
危険を察したその瞬間、私は明らかにこの内側への未練を見せていた。
どうせ消える体なら、ふらついたまま転んで倒れて怪我をするくらいなんてことないはずなのに。
痛みはどうせ、すぐに消える。
それでもなぜか、私は。

私は。

まだ、さようならを言えていない。
お義父さんにもお母さんにも、ちょっと前、「今度、ランチ食べに行こうね」って
笑って約束したアキコにだって。

私はもうすぐいなくなるって、だからもう、会えないんだってこと。
この期に及んで、自分がいなくなるってこと、誰かに知っていてほしいだなんて。

私の存在がなくなる。
そうなった時に「誰かに悲しんでほしい」なんて思ってるのかな。
最後の最後までわがままな私。
最後くらい、静かに一人でいけばいいのに。

「バイバイ、世界」
そうポツリとつぶやいたら、なんだか本当に最後みたいで。

私は、泣いた。

最期の瞬間がどんなものか、私はまだ知らない。

でも少なくとも、こうして涙を流している間、
私は生きているような気がする。
まだ、この世界にとどまりたいんだ。心の底からどうしようもない欲がむくむくと育って。

私のこと、もっとわかってほしいと思って。

わがままだ、やっぱり。

わがままな私のままで、わたしはきっと。
この世界から本当にいなくなるのは、きっと、まだずっと先のことだ。

学校の屋上。眼下には、世界を生きるたくさんの人々の気配。

わたしもやがて、その中へと消えてゆく。
何事もなかったように、景色に溶けてひとつの世界を作っていくんだ。

いつか誰かに、「さようなら」を言えるその日まで。

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