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20代後半からの統合失調症。働きながら子育てをして自分の視点を変えていく話。

書くこと多すぎて、育児と仕事で時間も過ぎ去っていくし、今だよなということでnoteを再開した。よろしくお願いします。

先日、私の姉の子供である高校生の姪っ子が家出して防犯カメラで追跡され、遠く離れた地方で警察に保護されたあと施設に一旦入り、戻ってきた。

オムツの時から見てきた姪っ子が都会に出てキャバクラ嬢になるわ私、と金髪で言っている。

姪っ子の母である私の姉も、一旦は状況を冷静に受け止めたつもりだったがダメージというのは、あとから来るもの。姉もしばらく数々の手続きと平行して働いていたが、集中力とメンタルがプツリと限界を迎え一旦、休職した。

私も第三者かつ身内として落ち着いて話を聞いたが、ここにすべて書けるわけではない。
彼女が起こした衝動的な若さを伴う行動に統合失調症の持病が悪くなり、これはしっかり休んでサポートしよう、ついでに息子は進級でバタバタだぜと判断し3週間ほど休職した。
(現在は私も姉も復職)

姪っ子が施設に保護されてしばらくして1時間半の面談が2度、許された。何を話そうか、何から聞こうか、17の彼女に伝えたいことがあとから溢れてくる。

今回は統合失調症について。
姪っ子に伝えることや聞きたいことをシミュレーションしていたら症状である『独語』(頭の中で文章が止まらないひとりごとみたいな感じ)が止まらなくなり、強い陽性反応が3日ほど続いた。同時進行で料理をし、子育てをし、洗濯掃除をして保育園の合同懇談会に出席した。

体調が悪くなり3日目。6年ぶりくらいだろうか。全て短期入院セットを用意してから実家に伝え、救急車を呼んだ。息子5歳に『今から救急車が来るけどびっくりせんでいいけね。きちんとママの身体を診てもらうために、救急隊の人が家に入ってくるから、大丈夫よ』と伝えた。
息子は真っ直ぐな目でうなづいた。

サイレンを鳴らさずに来てもらえませんかと訪ねたがそれはNG、当たり前か。救急隊がピンポンを押したが私が立てなかったため、そのまま入ってもらった。過呼吸や統合失調症で体調が悪いことを手短にサッと伝えた。

精神科には運べない、ちなみに病院は満床で、さっき運ばれた人も1時間以上は待機していたとのこと。心電図を測ってもらい、とりあえず近くに住む父母を呼んだ。すぐ救急隊には帰ってもらい、実家に避難して泊まり、帰宅してまた普通にゴミの日は来る。

かかりつけ医に行くのがしんどすぎたため、電話で診療し、今だけ通常の2倍薬を飲む対処をした。息子は次の日ブロックで救急車を作り、おしゃべりしながら38度の知恵熱を1日だけ出した。子供なりに動揺したのだろう。私はなるべく普段通りに喋り、お笑い番組をみて、日常に戻した。

私の場合は今は幻視などはなく、極度に疲れていたりすると風で窓の外がヒューヒューいっている時やレンジの音がタ〜ラララ〜ような音楽に聞こえることはある。

日中は働いていて、5歳の息子と二人で暮らしている。離婚した夫が転勤族だったが、地元の福岡に戻ってきて実家が近いことは子育てする上でとても助けになっている。宮崎、博多、大阪、佐賀など転勤による環境の変化の中で私はバランスをくずし、統合失調症を発症した。

その土地のものを食べたり観光地に出かけたり働いたり。それなりに楽しんでいたが、家族も知り合いもいない土地で心身は消耗していった。

大阪で初産なのに里帰りしないで夫婦だけで新生児を育てる無茶な試みをし、母乳育児をするため薬を断薬して徹夜で授乳していた時に統合失調症が再発した。さっさと一旦、里帰りしてミルク育児に移せばよかった。

当初、赤ん坊のおしっこの回数をメモしたりしていた。なんの意味があるんや、今ならそう思えるが布団に埋もれていないか、夜中も呼吸はしているか、死なせないように確認するのに必死だった。

それ以降は障害、持病として一生バランスを取って付き合っていくものだとして受け入れている。
『治る』または健常者に『戻る』んじゃなくて、共存していくもの。

文章をこうしてランダムにアウトプットしていくことにした。統合失調症で20代と30代で2度入院したときの人々との出会いは、また違うnoteに書いた。長くなるし、残しておきたい。

姉や母や同僚や周りの人とおしゃべりすることはあるが極度に疲れている時は、そうですね、、、はいなど相槌しかできないことも多々あった。
3週間の休職を経て、いつもの感覚が戻ってきて会話のキャッチボールも出来るように回復し、考えている思想と口から出てくる言葉の距離がグッと近くなる感覚があった。

予定詰めすぎ、人間関係の疲れ、身近な人のトラブル(死や病気など)で脳が休息を求めている時、人はそれを無視して普通に仕事をしたり予定を詰め込んだりすると必ずガタが来る。

脳みそや身体の疲れに心がついて行っていない状態だと思う。ちゃんと休息を与えれば、自分の思考や体験を言語化するくらいの元気、悲しいけれど受け入れることがゆっくりゆっくり出来たりする。

統合失調症というのは、体力が落ちるのでやっかいな病気だと感じることもある。症状が重い頃は幻視や幻聴もあったし、何より頭の中で音や文章が鳴るので日常生活に支障が出やすい。

精神疾患で自ら命を断ったり、他者を攻撃したりニュースを見ると、その境界線は何かと考えたりする。明確にはある。守るものがあるかないか、自分や周りの人を信じているかどうか。
自分には症状があるという病気の認識、『病識』があるか、ないかで対応が変わってくる。この違いは大きい。

薬を毎日飲み、食事や睡眠をおろそかにしない。調子がいいから勝手に薬をやめたりしていると、再発する人が多い。

小さなことでは一番症状がひどかった8年ほど前
、シャンプーの詰め替えがうまくできなかった。頭の文章を追いかけ、言葉にしてテンポの速い会話は出来る。黙って人の話も聞くことは出来る。ただ、考えが止まらないのでつい寝食を忘れるといった感じだった。

今は料理をしながら片付けをし、子供に対応しながら毎日仕事をし、こうしてSNSに記録を残し、買い物をしたり本を読んだり踊ったりしている。

統合失調症とめまい予防薬、睡眠薬を毎日欠かさず飲み、時間をかけて受け入れていくと、これだけ日常生活に回復できるものなんだと、こうして発信していくことで誰かの力になればいいと思う。

あくまで回復で、脳が疲れやすい病気なので20代の頃の病気をする前の体力に戻ることはない。だからこうして記録を残す意味はあるのかもしれない。

文章はnoteにまとめていくことにした。インスタは子育てやご飯などを記録。Xは主に音楽。
スレッズは楽しい息抜きだ。

SNSって知らない人や、ふと遠く離れた著名人や外国の人からいいね(読んだよという意味やね)が来たり、こちらからコメント出来たり、たまにコメントが返ってきたり面白い世の中だと思う。

楽しく、情報を取得したり、その人の投稿に好意を伝える手段として使えばいいと思う。言葉に関する怖さは、ある。傷ついたりする部分はあるから、ほどほどなんだけど私は結構SNSは好きだし、賢く使えばこんなに視野を広げられるツールは無いと思う。

入院した時の病院のプログラムは陶芸やお花、太極拳も体験した。病院で出会った17歳のADHDの女の子、摂食障害の読書好きの女の子、漫画好きの女性、ずっとパジャマのおばちゃん、双極性障害の研究職の男の子。忘れられない人々のこと、病気と共存していくうえで視点を変えていく重要さは、また書く。

読んでくれてありがとうございます。
ではまた。

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