主人のはなし

誰に頼まれてやっているワケでもないわたしの音楽にまつわる活動。半ば呆れながらも遠くで見守ってくれている母と主人の洞察力とじぶんの意志の力の3つから構成される強力なサポートの核。名付けて『ミステリー トライアングル』。

ウチの主人は私が人によく呼ばれている『パリピ』からは、ほど遠い。

「アンタの旦那が良しとしているなら、お母さんにはもう何も言うことが無い。」と母は未だに聞こえが昭和初期。「女は男に仕えるもの」とへり下りながらも、私たちの対等である夫婦関係を尊重しようと頭では努めてくれている。でもなかなか心が伴わない模様。

普通の人たちには、パーティー遠征自体をを経済的にどうまかなっているのかだけを一番に聞かれる。逆にお金でしか愛を勘定できない淋しい人なのかもしれない。

フルタイムで働いてくれている主人には、安定した収入がモチロンある。だとしても、彼自身の安定感が無かったら、まずは成立していないこの「夫婦のカタチ」。かかる費用以上に「広く深い理解」が、彼から得られてなければ、踊り子の活動は可能でなかった。


パートナーから理解が得られず「嫁とはこうあるべき」あるいは「日本人女性に対するステレオタイプ」バリバリの相手を選んでいたとしたら「悲劇」が繰り返されていたハズ。

きっと肩身の狭い、中途半端な気持ちのまま。出かけながらも後ろめたく、やがて踊りに行かなくなっていた。それか、世間で聞く「仮面夫婦」を演じていたかもしれない。


主人はパリピでない代わりに『釣りキチ三平』だ。シーズン到来にさきがけ、携帯アプリで「潮の満ち引き予報」をしょっちゅうチェックする人。そしてやはりどんな環境や状況でもひとり向かう人。何処へでも、何時でも、何釣りにでも迷わず水辺へ直行する人。

そんな彼へクリスマスに双眼鏡をプレゼントした年があった。冬の時期には「自分よりよっぽど釣り名人だ。」と以前から褒めていた鳥たち、またはあがる月を眺めている。それでもやはり満足そうな顔をして帰ってくる。

近場に魚がやってくるや否や、仕事前、仕事後、昼休みにも抜け出して、釣り三昧。釣竿からテグス投げ過ぎ筋肉痛。それもやはり私のように睡眠時間を削って没頭し、目の下にクマを作って疲れきっている。でもなんだか、嬉しそう。


どうやら、興味の分野は違っても互いの持っている「パッション」が同じ域だったよう。


ある日、私がバスで片道4時間かけてワシントンD.C.まで行きDJハービーの2時間セットで踊る遠征を計画していた時のこと。正直なところ迷っていたじぶん。

その途端に開口一番で彼はこう言った。「深夜に仕事を終えてから、ロングアイランドの最東端のモントークまで片道3時間運転し、車内の寝袋で仮眠し、潮が満ちてきたら、日の出と共にその数時間の為、その時期そのエリアへ泳いできた魚をひたすら釣り上げに、自分だったら、迷わず行っている。」

そうただ淡々とさとすのを聞いていたら、こちらとしても『二度と無いこんな機会。D.C.に行って踊るしかない』と思うの当たり前。


客観的に聞いてもかなりありがたいお言葉。毎晩踊り狂っている既婚者であるワタシの主人がそれほどの理解者ならば、人々にとっては、私以上に会ってみたい人となる様。

この動画の音楽を演奏する『サン・ラ・アンド・ヒズ・ミスティック・サイエンス・アーケストラ』は主人と私の好きなアーティスト。わたしたちの共通項。ふたりのお気に入りの一曲である『他の誰かさんのアイディア』が、最初に話した三角形の「謎ときキーワード」なのかもしれない。


今日も、このミステリー トライアングルから
偉大なる愛のかがやきは、私へと放たれている。

48歳から人生の本編スタート。「生きる」記録の断片を書く活動みならず、ポエム、版画、パフォーマンス、ビデオ編集、家政婦業、ねこシッター、モデル、そして新しくDJや巨匠とのコラボ等、トライ&エラーしつつ多動中。応援の方どうぞ宜しくお願いいたします。