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父、危篤る[自己中エッセイ]

先週の月曜日。
ドラフト会議があった日の夜。
同居している(というか「両親の家にオイラが同居させてもらっている」が正しい)83歳の父が、突然、意識を失った。


原因は色々考えられた。
だが、結果からいうと、「絶対にコレだ」という決め手になるものはないまま闇に消えた。

まず、直接的に引き金になったのは、風呂から出て2時間くらいして就寝の支度をしはじめたときに、たまにしか飲まない痛み止めの薬を飲んだことだった。
その直後、母に「なんか、おかしい。気持ち悪い」と言うと、すぐに生あくびを数回して、咳き込むような声を出したあと、意識を失ったそうだ。

だが、この日はその前に、ちょっとしたアクシデントもあった。
意識を失う数時間前のこと。
風呂に入っているときに、風呂の椅子から滑り落ちてしまい、その流れで桶を置く台と床とのわずかな隙間に両足が挟まってしまった。

父は20年前に胸椎のヘルニアを患って一時は下半身不随になってしまい、半日程度かかった大手術を経て治療したものの、結局、完治はならず、以後は両手杖で両足を揃えながらでないと歩けなくなってしまった。
それでも、トイレや風呂は自力でこなしてはいるのだが、床に尻もちをついたら、さすがに自力では立ち上がれない。

そこそこ体格も良いので、母が二階の部屋で仕事をしていたオイラを呼び、オイラが局所で担ぎ上げる&父が自力で踏ん張り、あーでもない! こーでもない! と、うるさくオイラに指示をしながら、時間をかけて風呂場から脱出するという、平時とは違う事件もあった。

このとき、父は両足のスネあたりを挟んでしまったため、一部皮が向けて小さな出血と打撲が残った。
簡単な処置はしたもののかなり痛かったようで、念の為痛み止めを飲んだ……という経緯である。

飲み慣れない痛み止めをいつもと違う時間に飲んだことが一番考えられる原因だろうが、風呂場で滑ったことによる外的な衝撃による影響も考えられる。
また、温かい風呂場から素っ裸で常温の居間に担ぎ出されてしばらくいたために寒暖差で血管の状態がいつもと違っていたことにも起因しているかもしれない。

とにかくにも、意識を失うという、これまでにない異常な事態になったことで、母はすぐに二階にいるオイラを再び呼んだ。
オイラが居間に降りてきたときには、父の肌はすでに真っ白になりかかっていた。

近くで状況を確認したところ、呼吸はしている。
だが、数秒に1回息が詰まったときのいびきのように「んが!」と大きく吐き出していた。
その間、母は声をあげて何度も父に呼びかけたが、一向に反応するそぶりはない。

母はすでにパニックになりかかっていた。
だが、オイラにしたって、緊急の救命術の心得があるわけでもない。
一度、母に代わって背中を叩いて大きな声で呼びかけたが、まったく反応ない状態は変わらない。
父は椅子に座ったまま体は完全に脱力しており、支えがないとアゴを引いた状態になってしまう。
気道が塞がれて呼吸が止まってしまうことが危惧された。

これはかなりヤバい。
1階に降りてきて、おそらく2分もたっていなかったと思うが、事の重要さを感じたオイラは、「救急車をよぼう」と決断した。
すると、これまでならば、「そんな大げさな」とか「近所の人が出てきちゃう。どうしても呼ばなきゃダメ?」などと日和ることがあった母も、今回ばかりは「うん。呼んで」と即答。すぐ119番した。

救急車が到着するまでの間、母には家の門の外に出てもらって待ち受けるようにしてもらい、オイラは父に抱きつくようなスタイルをとり、右肩に父のアゴを乗せた。
そして、頭の後ろが壁にあたるように位置を決めて少しアゴが上がって口が半開きになるように角度を作り気道を確保。左手で背中を叩きながら呼びかけを続けた。

しかし、父のの肌はさらに血の気が引き、白紫色になってきた。
左手で父の右手を握ったところ、少し冷たくなっている。体温もかなり低下している感触だ。
完全脱力状態は相変わらず。もはや人間を触っている感触ではない。

蝋人形? いや、違うな。
もっとずっと柔らかいのに生き物感がないこの感じ……。
以前に何度か巡り合った覚えがある。
そうだ! じいちゃんや、師匠の今宅海さんが息を引き取った直後に対面して、手を握ったときの生々しい感覚……。
つまり、死人のそれではないか!
このとき、オイラは心の中で覚悟を決めた。

(ひょっとしたら、このまま逝ってしまうかもしれない……)

とはいえ、父は顔や手こそ血の気が引いてしまっているものの、胸のあたりは汗が出ていて体温も感じられる。
呼吸さえ維持できれば、まだ完全におしまいというほどではなさそうな感じである。

といっても、オイラは、ここまでの症状から「なにが原因なのか? どう応急処置をすればいいのか?」を特定できるような学習を過去にしてきた経歴はなし。
あまり強い力で叩きすぎたり揺さぶったりすると、万一、脳内の出血系の発作であれば致命傷になりかねない、という“にわか知識”だけが脳裏を走り、声による呼びかけは続けながらも背中を強く叩くことは避けた。
あとは呼吸を確認するくらいしかやりようがない。
なんの予備知識のない人間が肉親の危篤を目の前にしたとき、できるのはこの程度なのだということを、ただただ痛感するしかなかった。


随分待った気もするし、思いのほかすぐ来た感覚もある。
119番をしてからおそらく20分程度経った頃、救急車は到着した。

以後は部屋に入ってきた3人の救急隊におまかせしたが、状況を確認するためにオイラが一人の救急隊員と話をしている最中、父を担架に乗せる体勢を整えていた別の救急隊員から我が耳を疑うような報告の声が上がった。

「血圧80の50!」

高血圧症で、薬を飲んでも高い方が140、ときには150を越えることもある父の血圧が80ですと!?

覚悟は一層深まった。。。。



結論をいうと、、、、、

父は一命をとりとめた。

というよりも、命の心配をしていたのは、知識のないオイラを含めた家族だけだったようである。

救急車に乗っているとき、父は酸素ボンベによる酸素の供給を受けていた。
仰向けに寝ているため、ときおり唾液が溜まったときは管を入れて吸い出し、再び酸素吸入を続ける形である。

そして、もうひとりの救急隊員が血圧計を注視している。
読み上げる数字は、相変わらず「80の50」近辺である。

だが、それ以上に下がる気配はない。
さらに、救急対応のできる病院へ向かう途中、酸素吸入をしている一番年配とおぼしき隊員が、運転手の隊員に言ったセリフが決定的だった。

「おい、そんなに慌てふためて飛ばさなくていいよ」

その後も、病院到着までに二言三言オイラが救急隊員と交わした会話のテンションから、確信はできないけれども、なんとく悟った。

(これはどうやら、すぐに死ぬとかいう雰囲気ではなさそうだな)

救急車が病院に到着し、以後の処置は病院が引き継いだ。
その間は、新型コロナウィルス感染の観点から、オイラは別室で待機していた。
救急隊のリーダー格のひとりが、引き継ぎ終わって病院から引き上げる際に、「まだ、完全に意識を取り戻したかどうかはわかりませんが、医師の呼びかけに反応し始めたみたいですよ」と教えてくれた。

「では、生死が危ういという状況からは逃れましたかね?」

オイラは、今もっとも早急に確認したかったことを恐る恐る聞いてみたが、その質問には、「いえ、それはなんともいえません」とかわされてしまった。

自宅に残された母のもとには、近所に住む姉がすでに駆けつけてくれている。
ふたりに早く知らせて安心させたかったが、確定していない情報を流すわけにもいかない。

しばらく待機していたところ、ようやく担当医がオイラのもとに来た。
もっかのところ、処置には複数名が担当していて、その中のひとりだという。

だが、このときも、父が倒れる前に飲んだ薬の話や、元々抱えている病歴、現在飲んでいる薬について質問に答えただけで、やりとりはいたって穏便に進められたが、具体的な現状については知らされなかった。
オイラが覚えていないだけかもしれないが、明確に「意識を取り戻した」とか「とりあえず無事です」という言質はとれておらず、記憶にあるのは、

・現在、血液採取やCTスキャンによる検査を行っている

・(オイラから父の日常の行動について聞いたあと)おそらく大丈夫だと思うが、息子さん(オイラ)は2週間以内に渋谷などの繁華街を歩いているということなので、万一のため、コロナウィルスに感染していないかを確認するPCR検査を朝に実施する。同日昼頃には結果が判明すると思うので、それまではご家族は会えないことをご了承頂きたい。

・待機している間、検査や入院の手続きに際して、必要な書類に書き込みをお願いしたい。

といった説明だった。

この時点で、入院の手続きに関する書類を書かせるということは、どうやら、少なくとも命は助かったっぽいな……。

あわせ技で、なんとなくそう悟った次第である。


正式な説明がオイラになされたのは、それからさらに1時間くらい待機したあとだった。

このときまでに、家にいる姉とは、父の常時飲んでいる薬を巡って、何度もLINEによる写真のやりとりをしていた。
倒れるときに飲んだ痛み止めの薬が特定できず、お薬手帳の中身や、薬の袋などの写真を送ってもらったのだ。
最後には、くずかごから飲んだ薬の殻まで写メで送ってもらったが、これらは担当医の先生にとっても効果的な情報だったらしい。

また、記入書類に必要な情報についても不明なものはLINEでやりとりをして事なきを得ていた。
こうした連絡をしているときに、「今の感じだと、とりあえず、今すぐ生きる死ぬではなさそう」という、あくまでオイラの感触を伝えて、安心してもらっていた。
先走りだったかもしれないが、姉も母もプロセスはどうでもよくて、「で、結局、白なの? 黒なの!?」というタイプである。
まずは、感触を伝えて、落ち着いてもらう方を選んだ。


二度目の担当医(最初の説明時とは別の人)からは、詳細な現状の説明と、向こうが知りたい情報についてこちらが説明するなどのやりとりがスムースにかわされ、このあとの処置の流れについても説明を受けた。

ここでようやく、冒頭でも書いたとおりの原因の所見を聞いた。

原因はよくわからない。
CTスキャンの写真でみたところ、元々、60代頃まで長年タバコを吸っていた関係で肺に小さな穴が多数空いている(肺気腫)こともあり、肺から酸素が供給されずに酸欠になったのか。
あるいは、心臓からきたのか。
風呂場で椅子から滑り落ちたことも関係していないともいえないetc.

色々複合した条件の中で起きた可能性があり、体調がすぐれない中で痛み止めの薬を飲んだことが引き金となったのだろう。
そもそも、血圧、泌尿器科、整形外科等、随分たくさんの薬を飲んでいるので、その影響も考えられる。

だが、ともかくも、ハッキリしているのは、今現在はもうなんともなくなったので、とりあえず今日はこのまま入院して、明日、経過観察ののち、異常がみられなければ、最速で明日退院もありますので、ご家族の方はまた明日来てください。午前中に連絡を入れます。

とのことだった。


実は、翌日無事に退院とはいかず、年に数度おこしてしまっていた目まいが発生し、目が回って立ち上がることができなくなってしまったため、もう1日入院して、水曜日に目まいが収まったのを確認してから仕切り直して無事に退院となったのだが……。

その後は、木曜日に丸一日様子をみて、まったく問題ない状態に戻ったと本人も確信するに至り、とりあえずひと区切り。
もちろん、色々と抱えているので、元気一杯というわけにはいかないし、3日間といえども入院して寝たきりになってしまったことで、足がまたさらに弱ってしまい、取り返すのにしばらく日数が必要だな、大変だな、という不安は残されているが、とりあえず今は倒れる前に近い状態になってほっとしている。

まずは、ご心配してくださったみなさまに、心から御礼申し上げます。
ありがとうございました🙇

余談だが、緊急搬送された直後に CT スキャンを撮った際、肉親であるオイラが見せてもらって説明を受けたのだが、脳については血管が詰まるなどの疑いはまったくなかったそうだ。

「年齢からくる収縮は少しはありますけど、83歳にしてはかなり詰まってますね。実際お話をしていても大変しっかりしていますし」
というお褒めの言葉を担当医からいただき、それを伝えたところ、父は超ドヤ顔で帰ってきた😅

足腰については、椅子から立ち上がるにも一発では立てないし、部屋の中では伝い歩きで、外では二本杖。一日200mくらいしか歩けないほど。
網膜剥離の手術をして以来、目の調子もイマイチで、両目の焦点が微妙にズレて常にグラデーションが発生した視界になっているし、ヘルニアの手術以後、神経への影響があったらしく膀胱の制御がうまくできず紙おむつを常につけているなど、体は超よぼよぼなんだけどな。

とはいえ、座ってるときの弁はあいかわらず達者だし、今回こそ痛み止めを飲んでおかしなことになったが、普段は4箇所通っているそれぞれの医者の薬について、医者と協議をしながら飲み合わせの良い悪いを長年かけて調整して積み上げ、管理もすべて自分でしているし、毎日やたらとメモ帳にメモを書きまくり、トイレの時間や回数、体重なども毎日記録。日経新聞を午前中かけて舐めるように全面読むなど、とにかく頭だけはしっかりしておられる。

今回の危篤については、確定的な原因までは結局わからなかったものの、救急隊の正確で迅速な処置により早い段階で酸欠状態から脱することができたことで事なきを得られたのは、本当に幸運だった。
その点については、一転の曇りなく感謝するのみである。


むしろ、問題は自分自身の方だな😅
三日間まるまるサボったことに関してのリカバリーをどうするか。

病院で待機しているとき、とりあえず、直近の締め切りや公私の約束事については、メールやメッセージを送ってすべて後送りにさせてもらった。

その後、通常の生活に戻ってからは、まず先に後送りにしたものの直後に控えていた締切の仕事を、なにごともなかったのごとく先に終わらせて提出。
現在は、後送りにしたもののリカバリーに奔走している。

その先については、結構な量の計測ごとを3つくらい引き受けてしまっているものに着手せねばならないが、これはある程度日数をかけてやらねばならないものなので、気を入れていけばなんとか追いつけるだろう。

ただ、父が倒れた翌日の火曜日に行く予定にしていた高校野球関東大会の取材だけは、取り戻すことはできない。
こればかりは仕方がない。


noteもしばらく更新しない状態になったのは、こうした事情があったということでご勘弁を。

なかなか、思うようにいかないアクシデントとなったが、なんとかリカバリーしたので、これからこれから。

とにかく地道にやっていきませう!

できましたら、サポート頂けると助かります。テレビとか出ているので一見派手ですが、フリーライターの実情たるや寒いものです。頂いた資金は自腹になることが多い取材経費にあてさせて頂きます。