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知と反知

地図もGPSも無しで深い森に入るというのがどれだけ怖いことなのか、想像しただけでも慄く。
私はフィールドに入り始めたときから国土地理院の地図を携えて歩いていたので、現在位置を知るうえで何も頼りになるものが無いというのは、耐えがたい。

そこで、ペンと紙を持って歩きながら、見たものを元に概念図を描き、記録を積み上げることで森の隅々までを知ろうとするのか。
森に入ろうとはせず、道迷いで恐怖に囚われるのが人として自然な姿だからと、知ること自体を拒否するのか。

これは、人がふたつの人種に分かれる場面だと思う。

「知」が他人から与えられるものだと思うのならば、それを拒否するという選択はできるのかもしれない.
しかし、自ら世界に出て動き回り、望みを適えるための手段として「知」を求めるのであれば、それを拒むというのは、自分の望みを断ち切るという意味合いを持つのではないか。

さらに進んで考えれば、世界と交渉し歩んだ後に残る記憶の構造が「知」の正体なのだとすると、知ることを拒否するというのは、生きてきた証を失うことに等しいのではないか。

森で迷うという状況を想像して、そんなことを考えた。

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