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今、名門大学はアニメ学科を作るべきである。

私は高校生の頃、映画監督になりたいと考えていた。そのため大学受験では日本大学芸術学部映画コースを志望した。

しかし、この決定には少々のジレンマがあった。私の実際の学力はさておき、私は「もし大学に行くならば国立大学やMARCH、早慶に行くべきだろう」と思っていた。程度の差はあれど、名の通った大学に行きたい、行くべきだという考え方は世間の殆どの人が考えていることだろう。

しかし上述した国立大学やMARCH、早慶には映画制作を専門に学べるコースは無い。東京芸術大学にもそのような学部コースはない。それと引き換えに日本大学芸術学部は映画制作を専門に学べるコースがあるだけではなく、数々の映画監督、俳優、脚本家を輩出した実績があるため、映画監督になるという目標においては最適な学校なのだ。

だけども「うーん、日大か。」と思ってしまう私がいた。当時の世間ではちょうど日大のアメフト部の大麻使用事件がニュースになっていた。映画監督を目指すという目標のために、この日大に行かなければならないのだ。

一方、アメリカではコロンビア大学、南カリフォルニア大学など、数々の名門大学が高い実績を誇る専門の映画コースを擁しており、私がアメリカに生まれていたらあのようなジレンマとは無縁だっただろうと嘆いた。アメリカを例に挙げたが、例えばカナダの東大ことトロント大学にも映画制作のコースはある。名門・難関大学に映画制作のコースが全くないという日本が珍しいだけなのかもしれない。

これは何が問題かというと、進学校にいるような勉強ができる人、頭の良い人が映画制作を学びたい場合、専門学校や日大に進学しなければならないのだ。なかなか心理的ハードルが高い話ではないか。ただでさえ日本では名の通った大学に行く人が偉いという風潮が強いため、進学校ではなおのことだろう。そんな中、今まで小学校、中学校と勉強してきて高い学力を有している生徒が日大、専門学校に行こうと簡単に決断できるだろうか。

例えば早慶やMARCHといったレベルの大学に映画制作を学べるコースがあれば、勉強ができる人は迷うことなくそこに行けるだろう。しかし現実はそうでは無いのだ。

これはつまり、今の日本では、いわゆる受験エリート、高学力層から映画人が生まれづらい環境になっているとも言える。もちろん映画制作を大学で学ばなくても映画監督や俳優、脚本家にはなれる。早稲田大学には実績のある複数の映画サークルがある。

しかし、大学で専門に学ぶのと、サークルで取り組むのでは本気度も環境も全く違うだろう。例えば日芸では、同級生に将来の俳優、脚本家、映画監督がいると言っても過言ではない。(有名なA監督とB監督が日芸では同級生だった、一つ上の先輩だったという例は少なく無い。)

本気で映画人を志す仲間が集まり、4年間それを専門に学ぶという環境はサークル活動では再現できない。サークル活動で映画を制作してる人のうち何割が本気で監督や俳優を目指していようか。

だから既に述べたように、日本ではいわゆる受験エリート、名門大生という属性の人から映画人が生まれづらくなっている。

さて、ここまで映画の話をしてきたが、さらに深刻なのはアニメだ。日芸にアニメを専門に学べるコースはない。当然、国立やMARCH、早慶にも無いし、東京芸術大学の学部課程にもない。

こういう点で映画教育の現状とアニメ教育の現状は似ていると言えるだろう。しかしアニメの方がより深刻な問題がある。

まず映画に関してはまだ「日芸」という存在や、早稲田大学などの「有名映画サークル」という存在がある。しかしアニメにそれは無い。アニメ制作のサークルはあるにはあるが、それほど活発ではないのだ。

なぜかというと、アニメというのは映画よりも制作のハードルが高い。映画というのは演じる人とカメラさえあれば成り立つのだが、アニメは絵が描ける人間が何人かいないと成り立たないのだ。

同じ30分の話を作ろうにも映画とアニメでは労力が全く違う。だからこそ映画サークルのようなノリで素人が集まってアニメを作ることはできない。

つまりアニメの方がより専門の技術が必要な訳で、むしろ映画よりアニメの方が専門教育が充実していないといけないのだ。だが現状は逆である。

アニメは美術の範疇であるが、困ったことに東京芸術大学や武蔵野美術大学、多摩美術大学、そのほか地方の有名公立芸術大学にもアニメを専門で学べるコースは無い。
美大受験、美術のエリート層からもアニメ制作に携わる人間が生まれづらいのだ。

アニメ制作のハードルが映画以上に高いのにも関わらず、アニメ制作の人材育成は専門学校だけが行っており、大学は全く貢献していないというこの現状は、本来アニメ制作に適正があるはずの人を取り込めないことにつながっている。新海誠のように中央大学という比較的名門大学に進学しておきながら、新卒カードを捨てて、正社員への道を棒に振ってまでも独学でアニメ制作の道を行きたいという人間が現れるのは稀なのである。

日本映画はかつては栄華を誇っていたが、今では世界で見る影もない。そしてアニメも将来的にその二の舞を演じるかもしれない。今、日本ができることの一つは、アニメに関する教育を充実させることだ。

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