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理系を信仰する人の正体を考えてみた。

理系信仰とは

ここでいう理系信仰とは、とにかく理系は文系より"上"であると吹聴し、文系を見下す人のことを指します。

この記事では私が理系信仰をする人はこういう人なんじゃないかと妄想をします。暇な方は是非最後までご覧ください。

理系信仰をする人の正体

私が思うに理系信仰をする人の正体は、①日々が充実していない理系学生、②社会で上手く行っていない文系学部出身者、③貧乏人です。

日々が充実していない理系学生

理系学生は勉強で忙しいです。そのため比較的時間に余裕がある文系学生に対する身勝手な妬みのようなものを募らせてしまうことが多いです。そのため「将来は理系の俺が勝つんだ」「文系なんてアホばっか」などと自分に言い聞かせて日々のストレスを解消する理系信仰をしてしまうことがあるのです。
エジプトで虐げられていたユダヤ人の如く、理系である自分は選ばれし者で、課題におわれる辛い日々も乗り越えれば、いつか報われると信じているのです。

また男性の理系学生はいわゆる「陰キャ」が多く、同じ学科に女性が少ないこともあり、女性との接点が極めて少ないため、時間に余裕があり尚且つ女性と楽しく遊ぶ日々を過ごす文系学生が羨ましく思い、理系信仰型学歴厨へと変貌を遂げてしまうケースが多いです。

余談ですが、私の従兄弟は現在大学院生ですが、未だに女性と手を繋いだことすらないと言っていました。

社会で上手く行っていない文系学部出身者

社会で上手く行っていない文系学部出身には、「理系学部に進んでいたら就職はうまく行った。」「理系ならもっと収入は高かった。」などと、自分のキャリアの失敗の原因を理系ではないからという単純に捉えてしまい、文系学部出身なのにも関わらず理系信仰者になる人がいます。

特に自分の子どもに対しては理系の道を進むよう強いてしまいがちです。自分の人生の失敗は果たして本当に文系だったからなのでしょうか。文系で上手く行っている人はたくさんいます。

貧乏人

そもそも理系信仰者が理系を信仰する根拠は、「理系の学問を学べば高い収入を得られる。」「理系学問の方が社会(産業)に貢献している。」「理系学部の方が文系学部より入試や学問内容が難しい。」といったものです。

貧乏人は、お金の余裕が少ないために、上記の「高い収入を得られる」という理由で異常に理系を信仰してしまうのです。そして大学をお金を稼ぐための知識を学ぶ場所と捉えています。この価値観は、金持ち家庭の子どもとして生まれ大学で文学や哲学などを学んでいるような豊かな人は決して持ちません。

また貧乏人は心も貧しいことが多いので、学問の良し悪しを、どれだけお金が稼げるか、どれほど社会に貢献しているか、入試の難しさなどで判断してしまうのです。心が貧しいので、純粋な"知"の探究、文化や文学、芸術などの素晴らしさがわかりせん。

終わりに

ここまで書いてきましたが、あくまでこれは全部「理系を信仰している人はこういう人なんだろうなぁ」と考えてみた私の妄想にすぎず、彼らが「日々が充実していない人」「社会で上手くっていない人」「貧乏人」であるという結論も文系を馬鹿にする嫌な人はこうであってほしいという私の無意識の願望が、多分に含まれます。

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