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過去の自分と、話す

2023年3月30日
「遠くに行きたかったから、遠くに行った」


精神の安定って素晴らしい。
noteを開くことが、良かったり悪かったりするが、日々のどうしようもなく長い気持ちをnoteにぶつけることにしているので、noteを書く期間が空いた時は、素晴らしい日常を送っていたのだと思うようにしている。

閑話休題。
突然行動力が爆発してしまうことが、自分にはままある。
そんなわけで、淡路島に行ってきた。

淡路島は二回目だ。空気が美味しいので再度訪れたいとは思っていたけれど、こんなに早く訪れることになるなんて。
実に三ヶ月ぶりという短スパン。片道合計、約四時間。距離は、そこそこある。

衝動的に遠くに行きたいことは、よくある。
それは日頃、自分が机と画面を相棒とする仕事に就いているからだとは思う。動かなかった反動で、動きたくなってしまう。
休みの日などは、基本外出しない。自宅療養に努める。過眠症なのもあるが、基礎的な体力が少ないのも原因。

けれど、「遠くに行きたいから、遠くに行く」なんて選択肢が取れるってことは、まだまだ自分が元気だという証でもある。

この<元気>が指すものはいくつかある。
精神的なもの、身体的なもの、それから、コンディションに対してもそうだ。

コンディションが元気か、どうか。
まあ、大元を辿ってしまえば、結局は精神と身体のどちらかで収束する。
けれど、そういった大きいところまで遡る必要のない些細な出来事に対して、こういった分類を与えたい。

例えば今日の話、
島で歩き回った結果、身体がべらぼうに軽い。運動の成果が即刻出るということは、身体が一時的に健康になったのか、精神的にスッキリしたのか、の大体二択だ。
それはそれとして、雨の日は、気圧に負ける。軽かった身体も半身重くなり、片頭痛に襲われる。
しかし、身体も精神も至って健康なのだ。ただ、天気という抗いようのない環境に身を置いているが故の、デバフがかかっているだけで。

デバフも、程度によっては健康と至って変わらないときがある。
そんな時に、「コンディションが元気かどうか」という表現がしたいな、と思った。なるべくマイナスのイメージを持たせない表現。
悪い、と口に出すと、悪いような気がしてしまうというのもある。元気か、元気じゃないか。
元気じゃない、のメーターが振り切れた時は、「悪い」で良い。じゃないと壊れる。メーターの基準とか、健康でなんともなかったはずの体とか、精神とか。

こういった線引きは難しいけれど、そうなのか、そうじゃないのか、なんていう、曖昧のままで過ごすのも悪くないと思うのだ。
多分。

書き出したくなって書き出したはいいものの、どうも散文な気持ち。
この書き出しが、後世の自分の一片になり得ることを祈る。

2023年8月24日
「遠くに行けなかったから、遠くなった」

コンディションに無理を言わせて仕事した案件が、無事に終わった。
どうしようもない虚脱感と、これから己がやるべき増えてしまった案件と、他。

不意に下書きのままだったものを見返したくなる時がある。
下書きは深淵で、それを覗く自分も深淵にいる。

コンディションに無理を言わせた6連勤は、過去の自分の記憶を凌駕していった。
ようやく手にした休みだというのに、何も出来ないのである。

この感覚は、自分が鬱で休んだあの時に似ている。
自分が思いのほか、ダメージを負っていたことにようやく気づく。

不思議なもので、いまは遠方に行きたい欲も、買い物をしたい欲もない。
しかし、頭を使わないポチゲーに労力を割いてしまったことは、記憶しておこうと思った。

このクッソ激烈多忙期間に、自分はポチゲーを新規に3つ開拓した。アホである。

ポチゲーとは、脳ミソを使わなくなるまでの過程がとても長い。序盤はゲームを遊ぶための体力が無限に回復して、軽く5時間は消せる。
つまり、5時間は確実に、脳をフル回転させていた。

フル回転以上のはたらきを日中しておきながら、帰ってさらに脳を痛めつけるこの所業。
無自覚ドMもドン引き。

けれど、これって、自分は多分、遠くに行きたかったんじゃないかと思っている。
物理的に行けなかったから、感覚的に、思考を“トバし”たかったんじゃないかな。

デジタルデトックスが早急に求められるな、と思った。

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