見出し画像

プラセボの盲信

体調の周期が安定しない。
昨日まであんなに元気だったのに、というか、昨日休みだったのに、どうして休み明け一発目に、喉が苦しくなってしまうんだ。
別に今日は職務上苦しいことなんて何も無かった。午前中の3時間を頑張っただけなのに、喉の違和感と胃の苦しさに耐えながら食う昼飯なんて、あまりにもあんまりじゃないだろうか。

幼少期から、急な体の変異には耐性がある。
悔しく思う間もない、今日は本当にヤバい。喉から胃に落ちる食べ物を、どれだけ咀嚼していても、胃に落ちる頃には泥沼に浸かったような、そういう感覚に襲われる。
食べ物の味はする、が、自分が今口にしているものは、果たして”食べ物”なのだろうか?

こういうときにモノをいうのが、『空想力』。
ひたすらに、連想ゲームに勤しむ。連想ゲームが得意な人ほど、ひとりでもものをモノを試行できる人、だと自分は思う。
昨日の出来事。やってたゲームのシナリオはこう、主人公の意図は、その意図を汲む人と汲まない人、その人たちの関係性と思考、今後の展開、来る最終回の”もしも”の世界。
こうして、思考をトばすのが早い。何も感じなくていい。自分の思考だけに没頭する。

小さな弁当箱と、きっかり45分向き合った。
空っぽになった瞬間に、いつもの半夏厚朴湯。それから、百草丸。これだけ飲んでおけば、大丈夫だろう。精神的に。
物理的な治癒の効果は、はっきり言って分からないが、この世の中の3分の1くらいは、思い込みから来ていると思う。

幼少期から、急な体の変異には耐性がある。
そのほとんど全てを、百草丸とロキソニンで解決してきた。
下すような腹の痛み、胃のむかつき、これらの類には百草丸を。
刺すような腹の痛み、頭痛、これらの類にはロキソニンを。

漢方は特に、じわじわと効く遅効性のはずだ。
けれど、「薬を飲んだ」という安心感が、飲んですぐに体調を和らげる。
刺すような痛みは、ときにどうしようもないが、それでも「薬を飲んだ」のでなんとかなるだろう、という脳内にシフトする。

今日のこの苦しさが、何から来るのかはさっぱりわからない。
しかし、自分が唯一信頼しているのが、プラセボ効果である。
今日も、とりあえず飲んでおくか、なんて思って飲んだ。苦しいのは嫌だ、

今日は寒いし、雨も降ったし、風も強い。
外気に一喜一憂するみたいな体。一番わかっているのは、自分だ。
この体を健康に保つために必要なのがプラセボ効果だというのなら、一生自己暗示をしていこうと思う。

プラセボ効果って、暗示や自然治癒能力が背景にあるらしい。知らなかった。
自己暗示のことをプラセボと呼んでもいいのかもしれない。実は。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?