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”魅せ方”に余念のない人間たち

日本人の性質なんだろうけれど、同調圧力、という単語がある。

そんな言葉が存在するくらいには、「周囲の雰囲気に合わせなければ」なんていう風潮が、特に強い。
カメレオンのような人間が、この国にはたくさんいる。

ついにマスク生活に終止符が打たれると、そういう話になった。

けれど今更、マスクを外して生活できる人って、どのくらいいるんだろう?
自分は、思っていることが顔に出やすかったりするし、リアクションもつい言葉(音、発声)として溢れがちだ。
そういう時に口元が覆われていると、素知らぬふりが出来るので嬉しかった。

あと、個人的に、口紅が苦手だ。
可愛いし、憧れもあるが、口の形状的に前歯が死にがちになる。
口紅が前歯についてしまう現象、世の中の同類たちはどうやって解決していたんだろう?
というか、自分はどういったふうに対策をしていたんだろう?

気がつけば三年近くも経っているらしい。正直、全く実感がない。
時の流れが早く感じれば感じるほど、大人になってしまったんだな、としみじみ思う。

同調圧力の話に戻る。
さてマスクを外す、となった時に、自分の意見を周囲に違和感なく伝える方法について模索してしまった自分がいた。

というのも、もうマスクありきの生活に慣れてしまった人間たち。
もうマスクは顔の下着、といった記事も読んだ。確かにそう。
無いと違和感のある場合もある。

で、まあ、マスクを世間が外す方向で動き出す。
もちろん先陣切って、というか、外したかった人たちは外すだろう。

そうすると、「なぜマスクをまだ付けているのか?」という意見を気にし出す未来が見える。

マスクを着けている人たちは、マスクを着けなければいけない、着けたい理由があると知っているから、何も言わないだろう。
けれど、マスクをしていない人からすると、「もう解禁だよ?なんで?」みたいな質問が、絶対飛んでくる。知ってるぞ。

そういった時に、マスクのステッカーとか、マスクチャームとかで、「花粉症です」「アレルギーです」等々、アピールしなければならない。
自分としては、お前にものは言わせない、ここに書いてあるんだからそういうことだ、というかするもしないも自由だろうが、みたいな過激思想くらいの気持ちで付けたいね。

そういった「無言のアピール」がうまい世界になってしまったなと思う。
ものごとの”魅せ方”に余念のない人間たち。
自分もそのひとりだ。如何にして自分を”普通”に見せるか、どうか。試行錯誤しながら生きている。

そう考えると、同調圧力に負けない、というよりは、自分をどう魅せるか、といった幻惑の方法について詳しい人間になる必要があるのかもしれない。

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