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あまりに何気ない日常への、究極の懺悔

自分のことを話した時の猛烈な懺悔が許せない。

今日は比較的、心も体も元気だった。
自分以外の人間とふたりで一時間車に乗る。仕事仲間だ。仕事の話もするが、その他の話にもなる。そんな時に飛び出すのは、自分の近況、過去の体験、今の心情、などなど、自分に関するいろいろなもの、その切り落としである。

切り落として相手に渡す自分の情報は、自分で取捨選択できる。
それなのに、今、相手に話してしまったことへの猛烈な後悔と懺悔がある。

別に、話したって相手はなんとも思わないことも分かっている。
いや、自己暗示の一種かもしれないが、ほとんど何も思っていないことが多いだろう、きっと。
その話を第三者にされたって何も困ることはない、そう、困ることはない。

別に過去心から病んで身体を壊したことが恥ずかしいことなんかじゃない。
今、自分の立ち位置を誇りに思っていることも、多少誇張表現になってしまったかもしれないが、別に、誰もその発言について責めることはない。

安心したいんだ、と気づいた。
相手がその言葉を受けてどう思ったのか、何を考えているのか、リアルタイムで全部教えてくれないと困る。私が鼻高々、この位置にふんぞり帰っているなんて思われていたらどうしようとか、そういうふうに考えている。きっと今。

でも事実だ。
事実であり、自分の所感である。つまり、事実とは異なる可能性が、

いやうるさ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜wwwwwwww


いや本当にね、分かってる、気にしすぎだってことは重々承知だ。
けどもう本当に、この先一切口を開かない方が良いんじゃないか?くらいに思うわけ。
マジでめんどくさい。これしきのことで何を悩んでんだって感じです。
別にほんとになんだっていいじゃんね。そこにぶつかったときになんとかすれば良いって知ってるんだもんね。

あ〜あ。もうダメです。解散しよう。
今日は大人しく作業して風呂入って飯食って寝る。
最低限の作業だけで良いです、無理しない。買い物明日でいいです、ほんと。

この無意味な懺悔の時間が本当に嫌いだ。
なんとかなりたい。

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