『重心』を考えることになった
久しぶりに会う人と話すと、思いがけない自分が見つかることがある。
例えば、大学生ぶりに会う友人との話だ。
相手は、フリーランスで仕事をしていると言った。自分の中の熱量と、会社の熱量の差で悩んだ挙句、個人で活動をしていく道を選んだそうだ。
個人で活動するということは、団体に属していないが故の不便さも発生するということだ、と相手は言っていた。
自分も絶賛、今後をどうするかの分岐点を作るか作らまいかを悩んでいるところだった。相手の話はとても新鮮に感じたものだ。
自分と似たところを、うまく言語化できる人間だった。
相手は根っからの理系で、論理的な思考を好んでいた。話せば話すほど、相手の話に共感できて仕方がない。ふと、自分は社会に溶け込んだ時に理系になってしまったんだなと思った。
実は、普段はあまり考えないようにしていた。生きてきて今まで、自分を理系と思ったことがないし、理系の人間がどういった思考をしていたかをすっかり忘れていたから。
相手が、「いつの間に理系思考になったんだ?」と言った。
当事者に言われると、なかなか刺さるものがある。
そんな相手と話していると、日頃の自分の思考がいかに偏ったものだったのか理解できた。
根元の深掘りは得意で好きなはずなのに、その先が自分となると、どうしても選択肢を見慣れたものにしがちになってしまう。
今までの自分は、右側に重心を傾けて生きてきた。
それが話していくうちに、左側の方が生きやすいのではないか?と気づいてしまった。
現状は右でも左でも、自分にとってメリットやデメリットは両方存在する。これからその重心をどう寄せていくか、もしくは、どう中間をとっていくか。細かい調整が試されている。
自分を運行することに、こんなに悩み続けるなんて考えてもいなかったあの頃。きっとあの頃にこれだけ考えることをしていたって、<悩み続ける>なんてことはきっと考えていなかった。
思考することは永遠。生涯学習を学んでいた身だが、本来の意味を理解していなかったのかもしれない。
そんな気づきを得た、なんとも充実した休日だった。
反動で体力がだいぶ持っていかれたのはいただけませんがね!お身体さん?!
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