『機関銃の社会史』を読む
その昔ゲーム情報サイト「4Gamer.net」紙上で連載された「ゲーマーのための読書案内」というコーナーは色々なジャンルの本を読み始めるのに大変便利であった。
私もそんな新しい分野の本に乗り込みたい人達に向けた記事としてnoteを充実させたいなぁ。
というわけで今回は『機関銃の社会史』を紹介する。
平凡社から発行されているジョン・エリス著 越智道雄訳の本書は歴史上における機関銃……つまり人間の力ではなく何らかの外部から得られた機械的な動力によって弾丸の装填・発射・俳莢を行う銃器がもたらした影響について解説した本だ。
本書の中で著者は、機関銃こそ、人類が初めて産み出した戦略兵器であり、後の毒ガスや核兵器などの大量虐殺兵器に先んじた存在であるとしている。
機関銃が戦争に導入されたことで、それまで戦場に残っていたロマン的な空気は急速に過ぎ去り、いかに効率的に相手を殺傷するかが加速度的に追及されるようになったという。
その究極が第一次大戦をモチーフにした映像作品で見られる、『鉄条網で守られた長大な塹壕線を突破しようとする兵士の群れを機関銃でなぎ倒す』という酸鼻に絶えない光景だ。
それらは産業の高度化が無ければ産み出されなかった道具でもある。だれも手作りで鉄条網用の針金を作ったり、機関銃の弾をせっせと制作したりとは思わないだろう。
最も初期の機関銃は植民地を獲得する過程で原住民を虐殺するために使用され、やがてそれらは自分たちにも向けられる。
夢も希望もなく命を奪う恐怖の道具として機関銃は戦場を席巻した。
だが、機関銃は決してその存在によって戦争を終わらせたりはしなかった。
機関銃を上回る兵器として戦車が登場したからだ。
どんな恐るべき兵器が世界を席巻しても、何れはそれらは陳腐化して、新しい現象を起こす別の兵器が生み出される。
その繰り返しが19世紀から現在に至る世界史の実際の所だ。
それは結局のところ、機関銃はただの道具であるからだろう。
道具がなんであれ……陳腐な言い方だが、それを使う人間がよっぽど恐ろしいのだ。
第一次大戦前の時点で、人類は南北戦争や日露戦争で『多量の弾丸を叩きつけ合う戦争』をしているのだが、ヨーロッパの各国はそれらが次の戦争のひな型であるとは考えなかった。
あいつらは辺境の野蛮な二流国であって、より文明の進歩したヨーロッパではそんなことは起こらない……そんな風に捉えていた。
おおっと、なんだかまだまだ現代に近しいテーマなのではないだろうか。
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