2日で200件以上のいいねと90人のフォロワーが増えました。
これは私には初めての出来事だったので驚きました。

先日、私が母について投稿したツイートです。

そこで、母についてちゃんと文字に起こしてみようと思ったのです。
勘違いしてほしくないのは私は母が嫌いなわけではありません。
母を批判したいわけでもない。
実際に家事も育児も完璧すぎるほどにしてくれていました。
ただ、彼女の結婚や性に対する偏見、時代に逆らった生き方には寄り添えないのです。

LGBT当事者の中には家族に隠して生きる人も沢山いるでしょう。
それゆえに自分が望んでいない形で結婚してしまう人も耳にします。
そうかと思えば、高校生の頃から違和感のない制服を纏うことに協力してくれる親もいて、羨むこともある。

しかし、私たちは自分の環境を受け入れて、他に世界を作りながら生きていくしかないのです。

今を生きるのが苦痛な人の新たな世界の一つになれますように。

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1993年、3人兄弟の末っ子、長女として私は誕生しました。
小さい頃から母に言われてきた言葉は「待望の女の子」でした。

けれど私は、七五三の時から化粧を嫌がり着物を嫌がり逃げ回っていました。
天性の?トランスジェンダーだったのかもしれません(笑)
(表現として不適切なのは承知で、ここではニュアンスが伝わってほしいです)

母は昔からTVに映るおねえタレントや女装家を見ては「気持ち悪い」などと平気で言ってしまう人でした。
「女の子だから足を閉じなさい」などのテンプレはお手のものです。

そんな私は小さい頃からメンズ服を好み、着ていました。
下着も女性用ボクサーやシンプルなものを好んでいました。

第一の宿敵は「胸の膨らみ」でした。
成長期に母はかっわいいブラジャーを買ってきました。
私は絶対に着ないと拒み、シンプルなスポブラを泣く泣くつけていました。

第二の宿敵は「生理」です。
私は母に泣いて懇願しました。「お赤飯なんてやめて」と。

それでも他では優しい母で、どんな時も味方をしてくれます。
そんな母に嫌われたくなくて、悲しませたくなくて、私はずっと本来の自分を隠すように生きてきました。

でも、この「本体の自分を隠し続けたこと」こそが今の自分の元凶だと思っています。
他人の目に怯えて生きていく毎日になり、隠すことが当たり前になってしまうのです。そうして、潰れて鬱病を発症します。

うつ病になった私に母は「かわいそうに。何でこんなことに。」と泣くのです。
もう皆さんもわかるでしょう。

自分の人生は自分のために生きてください。
いくら大好きな人がいても、大切な人がいても、自分のために生きてください。
大切な人のために生きること。それが自分のためだと私もずっと思っていました。
それが違うとは言いません。
でも、まずは自分以外の全てを取っ払って、自分のためだけにどうしたいかを考えてみてください。

だって、自分の悲しみや辛さを乗り越えるのは自分だけですよ。
自分の後悔も過去も全て背負って生きていくのは未来の自分だけですよ。
一生自分と付き合って生きていくのは自分だけですよ。

自分のために生きていいんです。
自分のために好きにしていいんです。

自分のために生きて。

私もまだまだ自分のために生きることが難しいです。
それは小さい頃から染みついた「思考の習慣」が抜けないからでしょう。
自分のために生きる努力をしていきたいと思っています。
みなさんもどうか。

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