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38歳看護師乳がんになりました(2)

1日の時間の感じ方はその日によって違う

彼と共にクリニックへ朝一向かう私。
車の中では、
結局何にもないただの良いものなんじゃないか。等せめて少しでもいい方向に考えたい私たちが会話を繰り広げておりました。

緊張しながらもクリニックへ。
朝一番だったのでまだ外来の看護師さんや受付の事務さんも来ていない状態で、静かな時間を二人で過ごしたあの瞬間は、本当に時間が止まっているようでした。

少し時間が経つと、きっといつもの患者さん達なのであろうおばあさんやおじいさんがきて、久しぶりだね。もう1ヶ月経ったんだね等話しながら過ごしていました。

そんな中私の名前が呼ばれ診察室へ向かいました。

「結果は癌です。大きさはエコーの結果だとリンパには問題がないのでステージ1だと考えられます。大きい病院で手術が必要なのですが、どこに紹介しましょうか。」

先生は
まるで
さも、とりとめのないことを言うような口調で淡々と説明をしていました。


癌だ、と言われた瞬間彼は私の手をそっと握ってくれて、私は初めてショックで手が震えていたことに気がつきました。

一瞬頭が真っ白になりましたが、腐っても私も医療者。
冷静に聞かないと、理解しないといけない、というモードになり先生の話を聞き、病院の選択肢を聞きました。
出来れば先生は女の先生がいいな、となんとなく思っていた私は医大への紹介状を書いてもらうことにしました。
いつ仕事を休めるか聞かれ、いつでも良いことを言うとすぐに受診の予約を取ってくれました。
先生と話をしているときは、あっ、治療しないといけないな。長くなるんだろうな。きっと一回仕事も辞めないといけないな。抗がん剤の治療とかどうなんだろう。吐き気とか髪の毛がなくなるのは嫌だな。

色んな考えが頭をよぎりましたが、とりあえず、強く、意識を保つことに集中していたような気がします。

先生の診察が終わり、待合室に戻ったとき。
彼の
「大丈夫?〇〇(私の名前)は強いね。」
と言う言葉に対して、私は泣き崩れてしまいました。

なんで、私が、癌になったんだろう。なんか悪いことでもしたのかな。
あー、心配性の母を、より心配にさせてしまう。
遠方に住んでる家族を、悲しませてしまう。
彼もこんなに悲しい顔をしている。

悲しくて、悲しくて、どうしたらいいかわかりませんでした。

家族に言うタイミングをどうしたらいいか迷ってしまい、彼と相談した結果。
きっと、母は、何時に伝えても結局は夜、眠れないだろう。
でも、日中に言うと、日中から悲しい気持ちで過ごさせてしまう。
それならば、夜に伝えるほうがいいんじゃないか。
そう思い、夜に伝えることにしました。
母の知り合いの地元にいる色んな施術をしているすごい知り合いには午前中すぐに伝えた記憶があります。

その日の夜。母に電話をし、父も仕事から帰ってきており、二人に癌だった。と言うことを伝えました。
二人は、私を心配させまいと、強い声で、
「大丈夫だから。頑張ろう。サポートするから。」
としっかりした口調で聞かせてくれました。

後から弟に聞いたところ、その後弟に両親が号泣しながら電話をしていたというの聞かされ、罪悪感に苛まれておりましたが・・・。

その日の夜は夜中まで眠れず、朝も朝日の前に起きてしまい、家に遊びにくる猫を家の中に入れ、いつもなら抱っこさせてくれないのにその日は何故かずっと膝の上に乗ってくれながら、私は子どものように泣きじゃくっていました。

泣きながら上を向くと、窓の外では、朝日が外の葉っぱに反射してキラキラしているのを見て、あー、世界は美しい。と感じたことを思い出します。

それくらいショックで考えすぎて、泣きじゃくってしまった長い長い、1日でした。

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