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38歳看護師乳がんになりました(6)

乳がんの手術方針について悩む?いよいよ決めた手術方針

毎回ドキドキしながら受診をしている私ですが、先生の話的には、エコーの結果は撮る人、見る人にもよるからなんとも言えない、とのことで、全部取った場合には放射線療法はしないが部分切除の場合は放射線治療はする、とのことでした。抗がん剤治療は、私の場合はトリプルネガティブのため、推奨します。とのことでした。
そのため、私は、全摘出術を選びました。
リンパ節に関しては術中の判断で取るかどうか決める、多分転移はなさそうな所見だから大丈夫だと思う、と言われました。
リンパ節の切除をしてしまったら重いものが持てない、手術した方の手で採血とか血圧測定ができない、何ならきっと筋トレが出来ない。不便だ。等色々考え、リンパ節切除はしたくない、祈る気持ちでいっぱいでした。

北海道と埼玉から心配でやってきた父と弟

彼は中国人で、日本語は話せるんですが、主治医の先生が話すのが早いため全部理解ができないとのことで、北海道から父が、埼玉から弟が来てくれることになりました。
父は入院の数日前から来てくれましたが手術当日14時頃には帰らないといけないとのことで、弟が手術当日と手術翌日の一泊いてくれることになりました。
入院した日は父と彼の生活になるのがちょっと面白いなと、思いながらも、来てくれる家族の有難さに心が沁みました。

やっぱり入院って嫌だよね

さてさて入院当日。朝コロナの検査を受けて陰性を確認し、最終的に胸部エコーで腫瘍の位置をマーキングされました。その後外来で歯科受診をし、麻酔科の受診をし、そして入院となりました。(この流れは病院によって違うと思います)
入院した先はもちろん外科病棟。4人部屋の廊下側のベットでした。出来れば窓側がいいなと思った私はもし空いたら窓側が良い希望を伝え、あと牛乳が苦手なので牛乳を禁止にだけしてもらいました。
病棟の説明は軽くシャワー室の使い方くらいでしたが教えてもらい、手術の日に必要なオムツ類とバストバンドを売店で購入。
ご飯は何だかやっぱりあんまり味気のないご飯でしたので父と彼にふりかけとか何か欲しいことを伝え、夕方面会の時に持ってきてくれました。
もう何だかうちのお父さんは泣き上戸で、朝ドラを見るたびに泣いているような父なので、私が入院・手術ってなったら何だか泣きそうにしていたのを覚えています。
手術当日は9時前には行く、とのこと。果たして弟が無事に来れるのか、とか、父は新幹線で帰る時間が大丈夫なのか、うちの彼は父と一緒でストレスを感じてないか、とかもう何だか色々考えながらも、きっちりぐっすり寝ました。

ドキドキ?手術当日

案外緊張しなかった手術前

看護師っていう職業が長いからでしょうか。私が働いていた病院が、手術室のほんっと結構ギリギリまで入れて、よく患者さんを送ったり何だりしていたからでしょうか。
手術前は全然緊張はしませんでした。
ただ弾性ストッキング履きながら、スリッパがないのでビーチサンダルでウロウロとしておりました。
いよいよ入室になり、病棟の看護師さんとともに手術室へ。手術室の独特な薬品の匂いと、コンビニよりも眩しいライトがあまりやっぱり好きじゃないなと思いながら本当に緊張せずに入室しました。きっと流れがわかっててイメージできるから緊張しなかったんだな、と思いました。
酸素マスクを付けられゆっくり深呼吸を促されます。
「あー、これで寝たら後は術後だな。術後どうなんだろう痛いんだろうか。」
と考えながら看護師さんのカウントとともに意識が遠くなるのも感じずにすっと寝てしまいました。

傷の痛みは全然痛くない!腰が死にそうに痛かった手術後

目を開けるとそこには父と、弟がおりました。
病室に入れるのが2人まで、とのことで一旦彼は外に出ていたんだそうです。
弟の奥さんの地元で厄除けに作る人形を弟が持ってきてくれてたのでなんだかテレビの上に置かれておりました。
弟に、転移はなかったよ。リンパも取らなくてよかったよ。
と言われてすごく安心したのを覚えています。
ラッキーだったな。と思いながら酸素マスクを付けて息苦しさを感じておりました。オシッコの管と血抜きの管、そして点滴の管と3つの管に繋がれており、足のふくらはぎから下に血栓予防のポンプも付けられ、なんだか窮屈に横になっておりました。
弟は、先生からの説明の時、安心して泣きそうになったけど、隣で父が大号泣してたから何だか泣けなかったよね。と言われ、さすが我が父。
と思い情景を想像してちょっと笑ってしまいました。
切り取られた私の創部を見たそうで、弟はなんだかいくらみたいだったといい、彼はBB弾みたいだったと言っておりました。
うちの彼に写真撮らなかったの?と聞いたら、そんな空気感じゃない。と言われてしまい、ちょっと見たかったな、と思いました。
その後父は函館へ、弟はホテルへ、彼は家に帰りました。次の日、弟は面会に来てから帰るとのことでした。
そして一人になり、ラインで何人かに無事手術が終わったことを報告しました。
結構大きい傷なんですが、傷の痛みはほんっとになかったです。
徐々に管が多いため横向きにもなれないことから腰が痛くなってきました。
本当腰が取れるんじゃないか、くらい痛みがしんどくなってきたので、看護師さんにクッションを借りました。
そして夜19時頃に、少し起きてみるか声かけられ腰かけた状態で起き上がってみました。大丈夫そうだ、と伝えると、オシッコの管を抜けたら、足のポンプ取れますけどどうします?と言われ、迷いましたがオシッコの管を抜くことに。まさか手術当日にオシッコの管を抜いて動いていいということになると思わなかったので、驚きでした。
点滴が手の甲に入っていたので、それもまた動きにくい要因ではあったのですが、血抜きの管を引っ張らないように気をつけながらゆっくりとトイレに行く。その動作が腰痛がひどいとほんっとうに辛かったです。
ちなみに手術時間は大体2−3時間くらいでしたかね。

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