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38歳看護師乳がんになりました(3)

10月だけで一年あったんじゃないか

西洋医学だけじゃない私の心の支え

乳ガンと知った日。
知ってから1週間くらい。私は眠れぬ日々を過ごしました。
眠れてはいたんですが、目覚まし前に起きてしまったり、眠りが浅かったり、涙が止まらず、ティッシュで拭きすぎて目の皮膚が痛い、なんてことになったのがビックリでした。鼻かみ過ぎた人の目バージョン的な。

人生でそんなに泣いたことはない、というくらい泣いた気がします。

私は中医学の勉強のため、漢方メインのクリニックに週に1度行っていた時、勉強しに来て仲良くなった内科の先生もいたりしたので先生にも伝えました。
その先生は親身に話を聞いてくれたり、先生のパートナーが体のエネルギーの様子を見ることが出来る人だったりするので一度一緒にお昼を食べることになりました。

私はアーユルヴェーダも少し勉強しているので何となく話を聞いてて理解が出来ました。
第3チャクラまではエネルギーはあるが、第4チャクラはほぼない状態と言われ、第4チャクラは胸のあたりのチャクラで、感情に関するチャクラだそうです。左右として右は、陰陽の陰を表していて、陰というのは女性性を表しています。

私が癌になった部分は右の胸部だったので、なんだか関係あるんだかないんだか。

私が看護師になった一番の理由は、母がなりたかったけど、なれなかったから、もし私が看護師になったら喜んでくれるんじゃないか。ということが大きかった気がします。
私が看護師になったことで持っているプライドというものはなく、誰でも出来る大したことない仕事。という認識しかありませんでした。
車の免許を取るのと同じ感覚な試験。
勉強しないともちろん受からないけれど、学校へ通って勉強すれば誰でも合格する試験。
パワハラやモラハラに耐えながらも看護師として働いて、昼夜問わず、休みも少ない状況で、昔は3Kだと言われていた職業に、私は高校生のとき、一番やりたくないなと思った仕事でした。
なので、もしかしたら、やりたくないことをやっている自分に対するストレスが大きかったことも原因の一つなのかな。と考えるようになりました。
私は、母の第二の人生ではなく、私は、私の人生を歩むべきなんだ。と今では考えられるようになりました。

あとは、地元のなんだかすごい人のセッションを受けた時には今の彼との関係に不安があることも出てきて、確かに、いつまで一緒に居られるのか定かではないけど今一緒に居られる幸せはある。
でも、国も違えばビザの関係もあるこのやや不安定なのかもしれない関係性に対して私は怖かったのかもしれません。
何故なら自分には何もないから。っていう考えになってしまうのも良くない傾向だなと思っております。
とりあえずは、この病気になって、彼がいつも以上に私に対して気を使ってくれているのも何だか申し訳ない気持ちになりながらも嬉しいな。と思えている状態です。

大きい病院はまるで巨大迷路

話は変わりまして、大きな病院へ。
初めて受診する医大。
でかいし広いし、迷う迷う。
紹介状のある初診の人は8時半までにはいかないといけないシステムだったので、朝の通勤ラッシュも考え、8時にはついていました。
彼も休みを取ってくれて一緒については来てくれたのですが、緊張しつつ、絶対半日かかるだろうな、と思いながらも受付で待ち外来へ。
検査祭りでしたね。
採血、尿検査、心電図、胸部レントゲン、そして、胸部のエコー。
検査が全部終わった時点でもう11時は回っていました。
エコーの結果は今の所ステージ1だろうという結果で、造影CTと造影MRIをしないといけないから、と予約をしてもらいました。
癌のタイプによっては、手術後ホルモン剤の治療をするもの、放射線療法が必要なもの、抗がん剤の治療を併用するもの、等諸々と分かれているそうでした。
癌の増殖スピードを見るKi67という値も調べないと、術前に抗がん剤治療が必要かどうか決めれない、ということで、その結果も見る必要があるとのことでした。偉大で手術をする場合には、今年ギリギリか来年になってしまう。とのことでしたので、主治医の先生も行っている市立病院の方で手術をする方が早いとのことで、早く手術してもらえるよう市立病院へ行くことになりました。
手術をやっぱりしないと行けないんだ。やっぱり間違いなく癌なんだ。
先生の淡々とした説明を聞くと、まだ精神的不安定だった私に追い打ちをかけるようにドキドキしてしまい、彼の顔を見て、彼が手を握っていてくれて、最後まで先生の話をきちんと聞けた。そんな感じがしました。
先生の診察後はまた泣いてしまい、終わった時には13時頃で、疲れ切ってしまいながらも二人でお昼を食べに行ったことを覚えています。
彼も泣きそうになりながら、「もっと早く、検査に連れて行っていれば、もっと小さかったかもしれないのに。ごめんね。」と謝り私の頭を撫でる彼の優しさに、無性に涙がこみ上げてきました。

後日、造影CTと造影MRIを取りに病院へ。別日になったので毎日行っているような気分になりました。どちらの検査も初めて行ったのですが、造影CTは、終わったあとふわふわした感じがあり、造影MRIはまさかうつ伏せで行うと思わずビックリしたことを思い出します。

とにかく10月は本当に体感長く感じた1ヶ月でした。悩んで、泣いて、無気力感に襲われて、色んな人に迷惑をかけている自分が嫌になって、これから私は手術をしないと行けないんだと感じてまた泣いて、辛い1ヶ月を過ごしました。


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