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在宅勤務が大好きなわたしは社会不適合?

わたしは在宅勤務が大好きだった。
同僚にお世辞を振りまくこともなければ、お客さんから嫌なことを言われても目の前にいない。

満員電車もなく、自分の部屋で快適な姿勢で仕事ができる。
自炊で健康的な食事もできる。誰かに話しかけられることもないので、作業に集中できる。わたしにとってはいいことばかりだった。

友人たちは言う。
「出社の時は終わらないほど仕事があるように感じるのに、在宅だとのんびりしちゃって何も進まない」
「体調がどんなに悪くても原則出社だと、単純にパフォーマンスが落ちる」
「出社しないと普通に集中できない」

こうしてみると、わたしは友人たちとちょっと違う視点にいる。
わたしは職人気質というやつなのかもしれない。

わたしにとって会社員として働くストレスのもとは、自分の集中できる時間ではなく決められた時間に働くこと、好きなコーヒーを飲みながらは働けないこと、周りの人の電話や話し声やちょっとした物音に集中力を削がれるのと戦いながら作業すること、自分の体に合っていないデスクや設備にちょっとイライラしながら働くこと。

わたしはもしかしたら、結構いろんなことに過敏なだけかもしれない。
うつ病になる前からそうだった。

中学時代に通っていた塾では、隣の席の男の子のペン回しと貧乏ゆすりが気になって集中できなかったし、
英検や資格試験のたびに、隣の席の人が物音を立てない人でありますようにと願ってきた。
大学時代に試験勉強をするときは、周りのテーブルとちょうどよく間隔が保たれているカフェで夜に勉強するのが好きだった。
仕事は、自分のデスクよりもフリースペースの方が、干渉を避けられるので集中できた。

そう考え始めたら、自分に向いている仕事はなんだろうかと思い始めた。
コアなしフレックス、在宅OK、電話応対が少なくて、突然のアポが入りにくい仕事。

研究者。

アメリカに移住したらどうせ今までのキャリアはすべて活かせないし、資格でも取るか。
USCPAだなと思ったと話すと、「やりたいことだったらいいと思うけど、結構しんどそうじゃない?」と友人に言われてはっとした。

わたしはやりたくない仕事をしていて辛かったのに、やりたいかわからないことをやろうとしている。
幸いにも、パートナーのおかげでお金に困らない生活は見えているのに、なぜわたしはお金を稼ぐ手段に走ろうとまたしてしまったのだろう。

研究者。
それはわたしが何回考えてもやっぱりやりたい仕事だった。

日系アメリカ人のアイデンティティの観察がしたいし、日本にいる間は自分と同じ米軍ワイフの日本人たちの価値観やその変遷を研究したい。
誰もできない、わたしだから持てる観点で。わたしが学んできた実践的な社会学の手法と、大学で学んできた学際的な研究方法で。

将来的に、アメリカでの自分の新しいアイデンティティを持って、日系人社会に貢献したい。

うん、ちゃんと社会貢献しようとしてるし、なんだか十分社会適合じゃん?

たまたまわたしには、営業とかそういう会社員が向いていなかっただけで、
こうして書くことが好きだったり、じっくり勉強するのが好きだとか、向いている・好きなことが営業職に当てはまらないだけだった。

好きなライフスタイルが、一般的に会社員として求められるそれに合わなかっただけだった。わたしだって集中はできるし、交渉ごとは正直言うと得意。でも自分の時間とアイデアを限られたくない。

いまいちフリーランスの道に進みきれていないのは、研究の方がずっと関心度が高いからかもしれない。
それと、仕事という名前をつけて行動するのが怖いのもある。

わたしは働くのが向いていないんじゃなくて、向いている働き方が違っただけ。
社会不適合なんじゃなくて、向いている“社会”が違うレイヤーに存在していただけ。

ただそれだけ!


もっと電車乗って人間つれづれ書きます🚃