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「嫌いだ」とすぐに気づけ

またひとつ、嫌なことが起きた。今年度もあと少しだというのに。

昨年の春先のときのように、人間関係の悩みで日々の生活がグレーに染まり、常に不安や恐怖と戦いながら暮らすようなことになるのかと思って一瞬うんざりしたのだが、一度経験ずみなので今回はいろいろと対処のしようがある。そういった意味では、学びをくれたストレスの元凶である人物に感謝だ(嫌だけど)。

対処のしようがある、とはいってもダメージはダメージなので、また今日ヨガの先生にメンタルが落ちていることを打ち明けてみた。「結局のところ、メンタルは自分でなんとかするしかないんですよね…」と言われた。本を読んだり人にアドバイスしてもらったとしても、自分が心から納得してないと打破できないのでは? ということだった。

それは、そうだ。哲学の本まで読み漁り、なんとかこころの平穏を保とうとしたこともあった。いろんな価値観を入れてなんとかましにもなったが、やっぱり人間関係の事故にあうと一度はがっくりと落ちてしまう。これをなんとかできないものか。

ヨガの先生が今日教えてくれたことは、「変な踊りを踊ったり、変な動きをしてみるのもいいですよ。あと推し活もいいですね。とにかく、自分の中にそのストレスを受け入れない、別のことに集中してストレスをはがしちゃうことが大事です」と。あとは、ひろゆきが実践しているという、ストレスに当たったときは最大限に息を止めてみるっていうのがあるらしい。窒息寸前までいったら嫌なことは忘れる、と。それはヨガの先生いわく、瞑想の論理にも似ていて一理あるのだという。

そんな話をきいて、帰ってきた。さっそく、いやな出来事がフラッシュバックしそうになると、変な踊りを踊ってみたが、頭の中では引き続き嫌なことを考えてしまう。たぶん踊りに対する集中が足りてないんだと思う。今日はこんなところだから、また明日試してみようとは思う。

それより、今日のヒットはこれだった。Xで福尾匠さんという文筆業の方が書いていた投稿だった。

文化って、嫌なことをすぐに嫌と気づけず、すぐに嫌と言えずに時間がかかるひとのためにあるものだと思っていて、これが嫌だろ、嫌だと思ったらすぐ言え、というのはやっぱり別のことのように思う。それがすぐに言えたら本を読んだり物を作ったりしないで済むわけで。

では喫緊のことに文化は無力なのかというと、やはり半面はそうでそれは認めるよりほかなく、しかし喫緊のこともまたもう半面をもっていることを示すことができるのは文化しかないだろう。

福尾匠/Xより

ストレスまみれになったとき、わたしは今まで文化にしか逃げる手段を得られなかった。好きな音楽をきいたり、映画に集中したり、本を読んだり。ピアノを弾く、というのもやったりする。どれも文化的行動だ。その文化は喫緊のことには弱い、というのだ。そうかもしれない。どうにかこうにか逃れられはするが、凹まないメンタルを持つまでには至らない。わたしが心から欲しいのは、ストレスに耐性のある心身である。

最近、よく人から言われる言葉で気になるものがある。「だって(あなた)、優しいもんね」というセリフだ。どうしようもなく傷つきすぎる40代になってから幾度となく言われてきたが、これは100%褒め言葉とはとらえられずにいる。なぜなら、これを言われるのはきまって、ストレスを人に打ち明けたときだからだ。

要は、「そうやって誰にもいい顔をするから、つけ入れられるんだろうね(ナメられるんだろうね)」という意味のような気がする。優しい、というのはあまり褒め言葉ではない。主張がなく、日和見主義なのをこう言うのだ。言ってくれた人に罪はまったくないけれど。

で、先ほど引用したXに戻る。

このXの投稿は、「これが嫌だ、ということにすぐに気がつき、すぐ嫌だと言うことができれば文化に頼ることもない」という意味だとわたしは理解した。ということは、だ。「これが嫌だ」「あの人が嫌いだ」と思っている自分の本心にすぐに気づき、その気持ちに呼応する行動が取れれば、文化は必要ないということであり、わたしにとっては文化に逃げる必要もない=悩みまくる必要がなくなる、ということではないか。

わたしにとって文化はとても大切なものではあるが、文化をストレスから目をそらすためだけの手段にしておきたくない。イチ娯楽として楽しみたい。でも、それを娯楽ととらえている時点でもうわたしはストレスと無縁の生活者ではない、ということかもしれないけれど。

ストレスに当たったとき、すぐに「嫌いだ、なんとしてもアイツから離れよう!」という決断ができる人間であるならば、こんな投稿なんてするわけないが、「すぐに気づくようにする」と、意識するだけでも、ずいぶん違うんじゃないか。人と相対するときには、常に自分に聞いてやるのだ、「この人、好き?」と。このやり方に突如として期待を寄せ始めている。

たしかに私はお人好しで、人との摩擦を避ける、を信条にして30歳からこっち、生きてきた節はある。仕事をするうえで必要なスキルでもあった。でも、人に依存しすぎず、気持ちを汲み取ろうとしすぎないようにすることを常に意識して人と接する必要が出てきている。

とにかく、嫌いな人には「嫌い!」。これでいいのだ。

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