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「逃げない」けど「戦わない」

きたきた、やってまいりました。鬱々とした時期が。

ここしばらく心身ともに好調だったけど、やはりPMSの関係もあるのだろう。予定通りだとしたら、あと数日で生理がはじまる時期だ。朝起きたらすぐに「人から来た嫌な感じのLINE」を反芻。そのモヤモヤした気持ちを引きずりながら今日1日がスタートしてしまった。

そして、わたしが現在もっとも苦手としているコミュニティの次回の打ち合わせの日取りが決まってしまった。その日に照準を合わせて私はこれから鬱々とすごさねばならない。

昨日、また別のコミュニティの知り合いRさんから連絡があった。そこに所属するメンバーがSNSでRさんに苦言を呈した。苦言の主は年配の方なので若い世代にちょっと言いたかっただけかな、と感じた。とはいえ、Rさんと同世代のわたしとしては、「かなり失礼な物言いだな」と感じた。

言われたRさんはひどく憤慨し、ひどく落ち込んでいた。その後、苦言の主がなにを言っても「わたしに言ってるんじゃないか、わたしへの当てつけじゃないかって感じてしまうんです」とわたしに吐露していた。

そして、わたしはRさんに、「あなたに向けてじゃないと思うよ、でもこないだの件は失礼だったよね。スルーで大丈夫だよ」って言った。このわたしが。この被害妄想が止まらないわたし自身が。

申し訳ないけど、そこでわたしはとても救われた。今のRさんは、わたしを客観的に見た姿だ。現在私がもっとも苦手とするコミュニティでは、わたしはちょっとした嫌われ者だ。嫌われ者だと自覚するまでにけっこう時間がかかった。というか、もはや嫌われものでもなく、興味の対象でないだけかもしれないが、もう、そういう風に処理するしか心のやりどころがないのだ。

Rさんが嫌われ者なわけではまったくない。けれど、本人はもう完全に疑心暗鬼になっており、なんだったらそのコミュニティの活動へのモチベーションすら落ちている可能性はある。だって苦言の主とまたやりあう可能性があるからだ。

わたしの苦手なコミュニティにおいて、わたしは同様の気持ちを抱いている。もう顔すら合わせたくないが、いかなくてはいけない立場だ。いや、本当は「そういう雰囲気ならわたしは行かない方がいいですよね」と思うが、そこはわたしのクソ真面目な部分。逃げられない。

少し前までは、こういったときに「逃げる」という選択肢をできることが大人であり、自分を守れる人間という少しレベルの高い行為だと思っていた。でもそれは一般的に「いじめられたら逃げなさい」「嫌なことからは逃げたらいい」という弱者を救う言葉が時代的に広まってきたからだと思う。わたしもわりと傷つきやすいから「逃げていいんだ」と言って一瞬安心することはできる。

ただ、ここ最近、この「嫌なこと」→「逃げる」という、ようやく浸透してきた弱者のための優しい提言を、果たして自分にあてはめていいのか?と考えるようになった。もちろん、本当につらいイジメにあっている子供たちや大人たちには運用すべき言葉だ。でも、ことわたしに関していえば、この言葉に甘えて、何かを放棄しているような気がしてきたのだ。

何かを放棄、というのは、簡単にいうと「考えること」だ。逃げることは思考停止を意味しないか、と。悩んでいるときは、もう四六時中そのことを考えていて、そのうち髪が抜けてくるんじゃないかと思う。でも抜けやしない。しかも、四六時中考えてしまうのは、自分の脳みそであって、これはともすればコントロール可能なことなのではないか、と。

「あー、考えたくない、考えたくない」と思いながら嫌なことを考えちゃうのは、もうバカみたいじゃないか。どうしても考えてしまうことはあるかもしれないけど、ほかに思考を移す努力もすべきなのだ。

でも、悩みで頭がパンパンになっている人間に対して、「ほかに考えるべきことがあるだろ!」っていうことって、昭和のスパルタおじさんが「何を甘っちょろいことを言っておるのだ!」と喝を入れるイメージと一致する。泣き言をいう子供に説教する、というか。いわゆるスポ根とか、そういった類だ。

それはそれで、あるはずの感情や心を無視して、えいやっと背負い投げ決めるような強引さがあって、嫌だ。逃げるという選択肢をとりたくないとはいえ、その強引な「えいや!」という方向転換もちがう気がする。

わたしは、いかに自分が完全にアウェーを感じるコミュニティにおいても、関係構築をあきらめたくない。そう思うようになった。だって逃げてもいつかはまた同じような場面に出くわす気がするから。ここで解決しておかないと、前に進めない気がするからだ。

しかも、完全アウェーを感じるコミュニティは、本当にわたしを疎外しているわけではないかもしれない、という風にも思えるようになった。Rさんのことを見ていて。Rさんの件を通して、被害妄想っていうものを形としてはっきりと見たのだ。絶対そうではないことに対しても「絶対そうなんだ、嫌われてるんだ!」と強く思い込むこと。それは、大いに私にも心当たりがあって、ハッとした。

Rさんは優しい人だけど、申し訳ないが今回は反面教師にさせてもらった。人間関係において、不信を抱くと、完全に冷静な判断ができなくなることってある。その感情に流されて、その結果「逃げる」という行為にいきつくことは簡単だ。でも、またきっと繰り返される。

次の打ち合わせまで、きっと反吐がでるような朝を何度も迎えると思うが、自分で紡いだこのnoteを手掛かりになんとかこの難局をクリアしてみたい。

これが、40代特有の心身の悩みであるかは疑問。ただ、私の人生経験が未熟なだけかもしれない。けど、やっぱり、こんなに悩んだことって社会人のときはなかった気がするし、感情のコントロールがうまくいかないのもここまでひどくなかった気がする。

40代女性特有の人間関係にも起因するのかもしれないなー、と、原稿の結びも近くなり、また新たなテーマを思い浮かべてしまうのであった。

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