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愛すべき毒親友達

母校は嫌いだけど、今でも繋がっている数人の同級生は本当に宝物だと思っている。
見事に、ほぼ全員毒親育ち。赤の他人を毒親と私が断じてしまうのも失礼なのだが、話を聞く限り、どこからどう見ても毒としか言えない。

先日、そんな友人二人と会って、片方は母親がもう亡くなっていたのだけれど、それをもう片方の友達が「(今も健在であるよりは)まだ良かったと思う」と言っていて、その言葉の響きが本当に優しくて、感動してしまった。
相手への理解と信頼感があるからこそ、すうっと入ってくる労りの言葉だった。
この二人は頻繁に会っていて、私はたまに混ぜてもらっているような感覚なんだけど、勝手に同病相憐れむ的な不思議な癒しをもらっている。
稀な病気の症状に共感しあえるというか。

私達の共通点は、少なくとも学生時代は両親が健在で(精神はともかく肉体的に)、私立に通わせられる金銭的余裕があり、なおかつ教育に課金しようという意識も持ち、本人も五体満足で特に障害はなく、学力面では平均よりやや優れていたということ。
それなのに、人生とは、ままならない。中年と呼ばれる年齢になっても親に把握され続け、どんなに歳を重ねても親に「大人」扱いはしてもらえない。それがどんなにつらいことかは、想像しても、わからない人にはわからない。私達が、本当に貧乏なつらさを知らないように。

私は露悪趣味な部分があり、「箱入り娘だったんだね」とか「お嬢様だ」とか、ただの過保護だと言われると(相手としてはそうとしか言えないのも当然なのに)、つい毒母の強烈なエピソードを披露してしまうことがある。
「あ、ガチモンだ」という相手の反応で、ようやくハッとしたり。

毒親に関わらずパーフェクトな人生などなくて、それこそ持病を持って生まれた人だって、たぶん「なぜ自分が」と思うんだよね。そして、その疑問に答えなどない。
もちろん、毒親以外にも共通の感覚があるからこそ、楽しく会っていつまでも話していられる友人達なのだけど、実母という持病持ちみたいな二人にだからこそ、話せることがある。
生まれつき障害があったり、病気があったり、そういった方達と一緒だと表現したら怒られてしまうかもしれないけれど、持病だと思えば少し諦めがつくのかな。

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