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つらいと思ってしまう気持ちも受け入れる

怪しい自己啓発本のタイトルみたいだけど、本当にこれが、言うは易く行うは難しで。
何かのきっかけで毒親のことを思い出し、怒りや悲しみが湧いてくると、「なぜ私はこんなふうになってしまうんだろう」ということの方に落ち込み、さらに自己嫌悪に陥る…というループを辿ることが多い。
よく、イジメは、やった方は忘れていると言われる。残酷だが、事実なのだろう。自分が人を傷つけたと思えるような人は、たぶんそもそもイジメなんてしないんじゃないだろうか。
それと同じで、毒親もおそらく、悪いことをした自覚はない。それどころか、「子供のためを思ってしたことだ」と勘違いしていることさえあるのだから、たちが悪い。

嫌なことをされた方だけがいつまでも苦しむのは、悔しい。忘れられない自分に、腹が立つ。
向こうは何も思っていないのに。
毒親ときょうだいに対する怒りそのものと、そういう「いじめられた方だけが苦しみ続ける」構造についての怒りと。
せめて後者だけでも減らせたなら。

大丈夫、今の私は幸せなんだということと、彼らはもう自分とは関係のない人なんだということを、怒りと悲しみに飲み込まれる前に、常に思い出せますように。

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