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やっぱり「居る」

お年賀お年玉騒動に代表されるように、とかく母は物を交換させたがる。
私は、友人知人にちょっとしたプレゼントをするのはむしろ好きだし、「自分では買わないけど貰ったら嬉しい物」を探すのは楽しい。けれど、母の日や誕生日のプレゼントは、もう強制でしかなかった。弟夫婦が母の日に煎餅しかくれなかったと、母が私に愚痴ったこともある。
でも結局、家をあげたのは弟の方にだったのだから、アホらしかったな。

前置きが長くなったけれど、そんなわけで今年から、母の誕生日に初めて何も送らなかった(絶縁したのだから当然)。
実家との連絡がなくなって毎日を過ごしているうちに、やっと少しだけ心理状態が良くなり、新年度を迎えた矢先、私の誕生日に郵便物が届いた。本当にちょっとした物と、メモ書き。
死者が蘇ったような恐怖を覚えた。そして、次に来たのは怒り。
せっかくこちらが毒親の存在を消そうと頑張っているのに、本当に母はとことん勝手だ。

この一件だけ切り取ったら、私がさぞ酷薄な娘に見えるだろう。けれど、長年母は弟のことを愚痴りつつ、結局あちらに援助して、私には何もなしだったのだ。
せめて、自分のしたことを正しく認識して、私とは完全に関係のない人になってほしかったけど、それすら叶わないんだな。

しばらくまた眠れなかった。そんな自分が、情けなかった。

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