勉強 〜知性とは、Lifeへの応用なのかも。〜

どんなものでも、じぶんのLifeに応用するには、わたしの知性を使う必要があると思うの。

そうでなければ、合わない服を着続けることになるわ。
合わない服を我慢して着続けることが、できる人はいいけれど、
根気強くないわたしは、「こんなもん、着れるか!」って、いろんな服を投げ捨てきた。

でも、投げ捨てるんでなく、ブツブツ、文句言いながら、仕立て直す。
塩味の足りない料理には、お塩を足す。

そういう、営みが、知性を使うってことなんだと思ったの。


今日の公衆衛生の勉強は、まさに、そんな感じ。
1行目の頭から、ツッコミどころ満載で、勉強中終始文句しか言ってこなかったけど、
ツッコミまくってる内に、
一面モヤがかかっていたようなフィールドにいたのに、
いつのまにか、雲のように、輪郭をちぎれちぎれ、目撃し始めたの。

いまも、ハッキリ明快に、見えてる訳では、決してなく、わからない事ばかり。
だけど、なんか、「見えた」って思う瞬間がある。
たとえば、今日は
「ああ。公務員のお役所仕事は、法律という働き・性質に因るものなのかな」
と思ったことがあったの。
公衆衛生という医学の一分野を勉強していたはずなのに、
普段のわたしのくらしの中で、いつぞや、社会に対して抱いた感情の訳が、
不意に、説明できるようなヒラメキや納得が、訪れることがある。
そういうのが、おもしろいの。


勉強は、全然得意じゃないし、むしろ苦手で、コンプレックスがある。
だけど、時々、やりたくなる。暇つぶしに。


さいきん、不思議なもんで、
バイトない日に、バイトに行きたくなる。
お金がないから、旅できないんだけど、
その分、家でどうやって、遊ぼうか、って思ったとき、
自分で自分に、気功染みたことを、してみたり、
Youtube観たり、
勉強したりする。

勉強って、結構、のめりこむと、身体が辛い。
それが、ネックだけど、
おもしろいね。
毎日は、続けてやりたくないけど。

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