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自己紹介 〜私と地中海〜

きょうは自己紹介をしてみようと思う。

32歳、女性、精神的なバランスを崩し現在休職中。老齢の両親と3人で暮らしていて、私のほかに兄弟はいない。

小さな頃からマイペースで人付き合いは苦手。小学校、中学校、高校、大学、そして社会人生活と事あるごとに壁にぶつかり、生きづらさと奮闘してきた。この辺りについてはまた別の機会に書きたいと思う。

それからとても大事なことが一つ。それは、私が大の地中海好きであるということについて。

私と地中海の出会い

地中海って? と思った方のために一応説明しておくと、南欧、中東、北アフリカに囲まれたあの海のことだ。私はその海とその周りを取り囲む国々のことが昔から好きでたまらないのだ。

きっかけは何だったか。今となっては、もうあまり思い出せないが、小さな頃、祖父にイタリアの画家であるモディリアーニの展覧会に連れて行ってもらい、えらく感銘を受けたことを覚えている。
それから、私が中学生の頃『冷静と情熱のあいだ』というイタリアを舞台にした小説・映画が大ヒットした。フィレンツェで絵画修復士として働く男性主人公が出てくるのだが、美術の教科書に出てくるような作品に溢れ、街全体が中世から時を止めたかのような佇まいにただただ感動し、私もいつかイタリアで暮らそうと思った。これが、私が初めてイタリアを自分の憧れの地として心に意識した時だったと思う。

地中海はいつもそばにあったのに・・・

時は流れ、高校卒業後の進路について考える時期が来た。今となっては、何故一つの言語を習得する道を選ばなかったのかと、当時の自分を叱りつけたい気持ちなのだが、当時の私は、一つの言語だけを学ぶことはなんだか自分の視野を狭めてしまうような気がして、観光業と広く文化について学べる国際文化系の学科に進んだ。

大学に進学した私は「大学生活」を楽しみ、卒業に必要な単位をこなし、そうこうしている間に就活を始める年を迎えてしまった。

もちろん、大学生として目標や夢がなかったわけではない。当時の私には大きな夢があった。それは、大学在学中に「世界一周をする」というものだ。
今はどうだか分からないが、私が大学生だった頃、今から約10年前は、一部の大学生たちの間で世界一周がちょっとした流行りになっていた。大学を卒業したら、仕事を辞めるでもしない限りもう二度とそんなに長い期間旅行に行くこともできない。そんな焦りが大学生たちを旅に駆り立てていたのかもしれない。
そんなわけで、私も御多分にもれず大学2年生が終わった春に休学し、約7ヶ月の世界一周の旅に出た。そして、この夢を叶えた私はちょっとした燃え尽き症候群に陥ってしまう。この辺も話し出すと話が長くなってしまうので、別の機会に譲りたいと思う。

話が前後してしまったが、私は結局大学在学中も、世界一周でも、その後の進路でも、自分の中に眠り続ける「地中海への情熱」を呼び覚ますことができなかった。確かに大学の第二言語にはスペイン語を選んでいたし、世界一周でもスペイン、フランス、ギリシャ、トルコ、シリア、ヨルダン、エジプト、モロッコと多くの地中海文化圏を訪れた(ここに何故イタリアが加わっていないかというと、あまりにも好きすぎて世界一周中には周りきれそうにないから、別の機会に行こうと先延ばししてしまったのだ! そしてコロナ禍の今、それを激しく後悔している)。

20代前半の私は、自分の「好き」の正体が何なのか正確に掴むことができなかった。たらればの話をしても仕方ないが、もし大学生の私が自分の興味を包括する「地中海」という概念に気がつくことができていたら、私はそれをもっと積極的に自分の軸に据えて大学で学んでいたかもしれないし、その枠の中で仕事や進路を決めていたかもしれない。

迷走していく人生

就活の話に戻るが、私は結局合同説明会の段階で早々に就職活動からドロップアウトした。元々中3時には不登校→高校を中退し通信制の高校へ編入→集団行動ができなさすぎてゼミから破門されるという経歴のある私だ。日本の就活に自分を適応させることなんてとてもできなかったし、それどころかまだしっかりと学問もできていないのに次は就活だなんて、と日本のレール社会にひどい憤りすら感じていた。

そういうわけで、私は半ば逃げるように手に職がつけられそうだという安易な気持ちで専門学校に進学した。ただ、それも結局うまくいかず中退した。当然といえば当然だ。だって、心の中で最初から「逃げ」だと感じていたのだから。結局今も返済し続けている奨学金だけ抱えることになってしまった。

それからの私は日雇い派遣をしたり、トルコレストランで働いたり、ライターの仕事をしたり、ちょっとだけメキシコで働いたり、スペインの巡礼路を歩いたりしてようやく地元で就職した。

心を病み、そしてようやく地中海を思い出す

就職した会社では、アルバイトでのライター経験を買われネット編集者の仕事に就いた。こんな歪でまともな職歴もない私を拾ってくれた会社には本当に感謝している。だけど、年を重ねるごとに仕事上の責任が重くなっていき、そこに元来の要領の悪さ、様々なストレスも加わり、私はとうとう休職してしまった。

いろんなものを失ったと思った。
何もかも中途半端。これといった特技も経歴もない。毎日毎日泣きながら昔から要領よくこなせない自分に腹が立った。

私は人生で何がしたかったんだっけ?
残りの人生で何をしたいんだろう?

そう自分に問いかけた時、ようやく思い出したのだ。
私は、ただ地中海が好き。言語が好き。

動き出そう!

私はやっと自分の好きなものの輪郭を捉えることができた。32年もかかった。なんだ、自分の人生振り返えればなんとなく分かりそうなものなのに、なんでこんなに時間がかかってしまったんだろう。
もっと早く気がつけていれば、言語系で進学し直したかもしれないし、現地と日本をつなぐ商社に絞って就活したかもしれないし、はたまたワーホリできたかもしれない。でも、もう32歳。まともな貯金もないし、医者から病気と障害の診断も受けている。余りにも長すぎる時を失った気がしてまた泣いた。

でも、残りの人生を「本当は〜したかった」で過ごすほど悲しすぎるものはないじゃないか。人より遠回りしているけれど、やっと好きなものを認識することができたんだ。あとはやるしかない。
さあ、動き出そう。

終わりに

ここまで読んでくださってありがとうございました。
この note では、日々の雑記や言語学習の様子、これまでの旅行記、そして地中海に少しでも前進していく様子を届けられればと思いますので、よかったらたまに覗いていただけると嬉しいです。
ではでは、今回はこの辺りで。またお会いしましょう。

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