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miss u


高校生の時に国語の授業で扱った坂口安吾の文章で忘れられない言葉がある。その時初めて坂内安吾という人物を知ったのだが彼の文章にすぐに惹かれた。私のクラスの先生は授業の初めに必ず生徒に音読させる人だった。まるが来るまで一人が読み続ける。私の前の席の子が「それならば、生存の孤独とか、我々のふるさとというものは、このようにむごたらしく、救いのないものでありましょうか。」と読んだ。

「私は、いかにも、そのように、むごたらしく、救いのないものだと思います。」
わたしはほぼ泣いていたとおもう。


逃げるにも逃げようのない私たちの突き放された
現実。むごたらしく救いようのない私たちの孤独。

心のどこかで感じていた感覚を、
彼が、今、言葉にした。と思った。
この文章を授業で取り扱い終わった後も、
なんどもそのページを開いてその度に、
泣きたいようなきもちになった。

私たちの突き放された現実、という言葉を考えた
ときに頭に浮かんだのは、 miss u という歌の
「2人笑っていた時だって 俺と君は違う星にいて」 という歌詞。
これが私たちの突き放された現実だ。

救いようのない孤独から私を救おうとしてくれたこと。それでも違う世界で生きていたこと。
それを感じてもまだ私を分かろうとしてくれたこと。そのあと、優しくもせず責めもせず、ただ、だんだんと離れていくことを選んでくれたこと。
結局、突き放された現実で救いようのない孤独と
常に向かい合わせで生きていかなければいけないのだとしても、あなたに出会えたことが私を、あのとき生かしていた。

追伸

これを書きたい!と思ってすぐに文学のふるさとを読み返しました。初めて読んだ時からもう何か月も経ってるのに、あの時と同じように感動しました。あの時感じていたことを全部思い出しました。
そして、私はやっぱり日本語が大好きです。
今、もう一度、小学一年生からのすべての国語の授業を受けなおしたいです。

この文章を授業で取り扱ってくれたことに本当に感謝します。






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