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きたまりインタビュー 新作『老花夜想』をめぐって

創作にたどりつくまで

――今回は太田省吾さんの戯曲を題材とする新作です。太田さんは、きたまりさんが卒業した京都造形芸術大学(現:京都芸術大学)映像・舞台芸術学科で学科長をされていましたね。
きた 太田さんと初めて会ったのは大学入試の面接で、扉を開けて挨拶すると、いきなり「挨拶はいいから、さっさとやって」と言われて……。でもその後、実技を披露すると太田さんはすぐにニッコニコになったんですよね(笑)。ちゃんとしていそうなのに何か変だな、新しいタイプの大人だなというのが最初の印象でした。いろいろとエピソードはあるんですけど、私は太田さんの実習を半年でリタイヤしているので、ちょっと何とも言いがたいところもあります。太田さんは「きた君とは合わないなぁ」と言っていたけど……。
――その「合わない」には、何重もの意味が込められていそうですね。
きた そうそう、いろんな意味で。なんで実習に出なくなったかというと、太田さんの言葉で、私はダンスをやろうと自覚したことがあって。太田さんの授業では、毎週、ひたすらゆっくり歩く稽古をするんですよ。テンポのこと以外に、ほとんど何も言われないから言葉のイメージも、音楽もなく歩いていて、ある日、私にとって最高の歩きができた、「ここじゃないどこか」へ行けたという感覚があった。その時、太田さんに「きた君の歩きは舞踊なんだよね、演劇じゃないんだよ」と言われて……。私は自分のつかんだ歩きをやりたいなぁと、それは演劇ではなく舞踊なのかと自覚して。演劇とダンスの違いという種を、私に植えたのは、たぶんあの一言だったのかなと。

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――太田さんの仕事には、どのように触れてきましたか?
きた 演出作品は『だれか、来る』(2004年)、『聞こえる、あなた?―fuga#3』(2005年)などを観ています。学生の頃から戯曲や評論にも触れているけど、でも直接、言葉を受けた人の本を読むのは、結構、時間がかかるんですよ。しばらくはその人の像、関係性の中で出てきた言葉が生々しくて、別のかたちで言葉を受け取ることに違和感もあって……。「老花夜想」は、在学中、白川通りの古本屋でたまたま見つけた雑誌(『新劇』)に戯曲が載っていて、初めて読みました。きれいなのか汚いのかわからない、猥雑な世界観が面白いなと。学生時代から、私はいつかダンスでやってみたいと思った戯曲は残しているんですよ。
――言葉と向き合いダンスを創るという意識が、すでにさまざまに働いていたんですね。
きた 『サカリバ』(2004年~)という作品には、実は伊藤比呂美の詩を使っているし、言葉と振付のことはずっと考えています。でもテクストと振付の距離感とか難しい問題もあり、どうやって戯曲でダンスを創るのかちょっとわからなかったんですね。卒業後しばらく、ミュージシャンと一緒に創る機会が多くて、ただ音楽とダンスの関係となると、身振りがどこから生まれるのかあいまいになることもある。それで振付に裏付けがほしいと感じ始めて、2010年頃から改めて言葉へのアプローチをいろいろと試しました。


――きたさんは、最近では木ノ下歌舞伎『娘道成寺』(生演奏版)、嵯峨狂言に材を得た『あたご』、マーラーの交響曲を振り付ける連続公演等を手がけています。これらと今回の創作はどのような関係にありますか?
きた 伝統芸能、クラシック音楽と同時並行で向き合いながら、言葉と音楽について考え続けていました。伝統芸能には、踊りも演劇性も全部入っているけど、『娘道成寺』は単に物語を追うダンスにはしたくなかった。マーラーのプロジェクトでは「楽譜は作曲家の文章」「交響曲の枠組みは音楽の戯曲」と思って、楽曲を読み解いてました。それと『あたご』を創る時、嵯峨狂言で身振りを裏づける意味がすごくはっきりしていることにインスピレーションを受けたんですね。『あたご』の稽古あたりには、物語性と音楽性のバランスが上手くとれそうな気配というか、戯曲で振付をできるという手応えはあって……。それとちょうどその時期から、どこに行っても、不思議と太田さんの話題に出くわすことが多かったので、太田さんが近づいてきたな、呪いだなという気がしてきて(笑)、「老花夜想」を上演することが、段々、決まってきたという感じですかね。

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創作の作業について

―――マーラーのプロジェクトでもそうですが、今回も素材をまるごと扱うこと(戯曲全篇と対峙すること)を、創作上の制約としていますね。
きた 私は制約なしに自由になろうとするのは嫌いで、別に不自由を求めているわけではないけど、制約されて、制約されて自由になる方がいい。それとコラボレーションの相手となる作曲家や劇作家が、かつて創作していた心持ちに向き合いたいんですね。
――具体的にはどのように戯曲を読んでいますか?
きた 太田さんの初期作品を読んでいると、死者の臭いというか、「登場人物は、みんな人間のかたちをしていない死者」という感じがする。それと読み手の側に考えさせる、問いかけのようなト書きが沢山あって、そこに惹かれるんですね。「老花夜想」のベスト・オブ・ト書きは、冒頭の「ひとりの娼婦が寝ている。/目を凝らすと、それは、彼女の立ち姿であることに気づく。」という一節です。このト書きはどういうことなのか、私はたぶん十年以上考えてきたんですよ。

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――登場人物の台詞は、主に2人のダンサーが担っていますね。
きた 久しぶりに竹ち代(毬也)さんに出演してもらい、2人で台詞を喋りながら稽古しています。竹ち代さんはこの20年、見た目がほとんど変わらないので、つい年齢のことを忘れて、負担をかけ過ぎていないか心配してます(笑)。今、役柄によって少しずつ身体の使い方を変えているけど、そこが混ざるというか、例えば主人公の「はな」にしても、途中で若返ったり、もの凄い年をとったりする感じなので、そういう切り替もある。上演台本は、稽古場で身体の流れとの関係をはかりながらアップデートしてます。
――創作の中で、戯曲の言葉はダンサーの身体に溶け込んでいく、あるいは跡を消していくのでしょうか?
きた そこは難しいところで、言葉との境界線がなくならないと踊りにはならないけれど、言葉はそんなに簡単になくなりません。他人の視線に育てられる部分もあるから、再演を重ねるうちに言葉が身体に浸み込むことになるのかなと。

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――生演奏と唄を導入しているのも大きな特徴ですね。
きた
 音楽をどうするのかすごく悩んだんですよね。太田さんが演出し
た『老花夜想』の音源を聴いて演出家の意図を汲み取ったり、それと最初に楽器のことを考えて……。西洋楽器と邦楽器を合わせたいという思いから、当初、ベルリオーズの『幻想交響曲』も使おうとしたけど、これは止めました。邦楽器の方は、やまみちやえさんにお願いして録音してみると、これは絶対、生演奏がいいなと。それから唄は、邦楽とはちょっと違うものを取り入れたくて、前から一緒にやってみたかった下村よう子さんにお願いしました。身体は言葉よりも音に反応し易いので、音が入ることで言葉が遠くに逃げてしまうおそれもある。そのあたりはこれから調整するつもりです。


――上演空間には、四隅に柱のある三間四方のアクティングエリアが設定されています。
きた 
去年、この公演が延期になった後、太田さんの仕事が能に影響を受けていることをしみじみと感じて、能を意識するようになりました。能舞台と曼荼羅の仕組みには同じところがあると思うのですが、限られた空間でどこまで宇宙的な広がりを出せるのかを基本に創っていければと。能を観ていると、一々の取り決められた所作などに、ある種の儀式性が感じられる瞬間、私はものすごい興奮するんです。たぶん今回はあまり上手く活かせないけど、そういうことも身振りを創ることに関係してくるのかもしれない。

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――最後に、公演に向けて今、感じていることをお願いします。
きた 
「老花夜想」は、私にとってはずっと取り組みたかった戯曲だけど、そもそもこれは有名な作品でも、わかりやすく書かれた作品でもないんですよね。そういうなかで、観る人が舞台から何を受け取るのだろうと思う一方で、どう読んでも「よくわからない」と言いたくなるテクストを堂々とやる楽しみはありますね。京都の後に、東京で公演する予定ですが、全部、創り直すことになるかもしれない。何が起るかわからない気がしています。

2021年8月11日、稽古場(京都芸術センター制作室)にて
聞き手・構成:新里直之

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  掲載写真『老花夜想』京都公演 2021年9月THEATRE E9 KYOTO             撮影:井上嘉和


きたまり/KIKIKIKIKIKI『老花夜想(ノクターン)』

身体で言葉を掬いとり、織りなす老娼婦の時間

マーラーの全交響曲を振付するプロジェクトをはじめ、領域横断的なアプローチで身体表現を追求してきた振付家、ダンサーのきたまりが、戯曲のダンス上演に取り組む。シリーズ化を見据えた第一弾ともなる今回、取り上げるのは、太田省吾の『老花夜想(ノクターン)』。のちに『水の駅』などの沈黙劇を手がける太田の初期戯曲だ。 本作では、12名の登場人物による、老娼婦をめぐるコミカルかつ酷薄で切ないやりとりをふたりのダンサーの身体と唄・囃子・太棹三味線の生演奏が担い、「老い」の背景に積み重ねられた時間を鮮やかに露出させる。言葉とつながりながら、言葉としては現れない「上演」は、演劇とダンスの境界線を見つめ、揺るがすものともなるだろう。東京芸術祭2021  https://tokyo-festival.jp/2021/program/kitamari 

 日程:10月22日(金)〜10月24日(日)アーカイブ配信:11月18日(木)〜11月30日(火) ※視聴券の発売など詳細は後日発表

場所:東京芸術劇場 シアターウエスト

原作:太田省吾 
振付・演出:きたまり

出演: きたまり 竹ち代毬也 下村よう子(唄)
演奏: やまみちやえ 望月庸子 望月実加子 望月左太晃郎* 藤舎呂近* 堅田 崇 富澤優夏
声:山道太郎

*ダブルキャスト(10月22日、23日:藤舎呂近 出演 10月24日:望月左太晃郎 出演)

音楽:やまみちやえ
舞台監督:浜村修司
照明:三浦あさ子
照明オペレート:小沢葉月
音響:佐藤武紀
衣装: 大野知英
ドラマトゥルク:新里直之
宣伝美術:升田 学
撮影・編集:川端将来 西本至則
制作:山崎佳奈子(カンカラ社) 柚木桃香(東京芸術祭)






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