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《2010年からの“いちかばちか”なこと》

2000年代の伊丹アイホールは関西でダンス作品をつくるものの憧れの場所だった。

山下残「そこに書いてある」、砂連尾理+寺田みさこ「ユラフ」、BABY-Q「アラーム」、岩下徹「放下」等の公演を見ながら、いつかは私もアイホールでやりたい。やりたい!と散々言いまわったり、チャンスをもらって逃したり、しつこく密かに直談判したりしたが、音沙汰がないので諦めていた矢先に電話が鳴って、念願が叶い始まったのが、3年間の伊丹市アイホールとの新作共同制作「Take a chance project」だ。当時の企画書に説明が載っていたので記載したい。最高な企画だ。いまはもうない。

Take a chance projectとは?
アイホールでは<Take a chnce project>を2002年より開始しました。関西を拠点とするアーティストと共に新しい作品を製作します。ひとりの振付家・演出家・アーティストと1年に1作ペースで3作程度、継続的に共同製作を行います。米語で「いちかばちか」という意味のイディオム。アーティストの新しい挑戦と、劇場・観客の未知の才能に賭け、見守り育成しようとする気持ちを象徴します。混迷する現代におけるアートの役割を「それでも何かを始める」という未知の価値観の創造への賭けと考えます。

公演予算をサポートしてもらい3年間契約で毎年作品が作れるなんて夢のようで、あんなことしよう、こんなことしたいと散々考えた。同時に関西でダンスの観客数を増やさなければ未来なんてないと冷静に日々思い悩んでいた。助成金は採択されるようになっていたが、このままずっと助成金を支えに活動するなんて考えるだけでおそろしい。
助成金を取らなくても活動を続けるには観客数を増やすしかない、アイホールの3年間で最終年度は500人の観客を集めたい。ダンス公演で500人集まるようになれば何かが変わる。そのために作品内容はこれまでにしたことのないこと、例えばダンスを見ていない観客にも興味を持ってもらい、公演の情報が届くように色々と考えたい。と最初の打ち合わせで口ごもりながら伝えたことを覚えている。

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2010年3月【生まれてはみたものの】伊丹市アイホール新作共同制作「Take a chance project023」 ( 伊丹アイホール )  撮影:阿部綾子 

そういった経緯もあり、初年度は映画監督・小津安二郎をテーマに映画の観客層にアプローチした【生まれてはみたものの】を上演した。

当時の作品コメントがこれ
ダンスを始めてちょうど10年目になる。身体という物を扱っていく中で、繊細な部分にどんどん惹かれていく。そんな中で出会った、監督・小津安二郎の演出する身体感覚。彼の映画の中の役者達は妙な違和感のある身体性を抱えながら実直な嘘をつく。そこにある、身体の嘘をうまくつく演出、身体論、テクニックには舌を巻くしかない。少しの動き、リズム、力加減で身体の見え方はどんどん変化していき、繊細に身体を動かす難しさや美しさが見えてくる。そして演出された身体がどのように嘘をつくか、見物である。しかしまあ、嘘をつかないで生きることなどできない。生まれて死ぬまでに数えきれない程の嘘をつく。日常の嘘、舞台上の嘘、の中で許せる嘘、許せない嘘の違いを模索しながら実直な想いと大きな嘘で固めた舞台作品を創ろうと思う。これは、10年目の私自身の身体の哲学を見いだす為の大きなチャレンジだと思っている。

2010年はダンスを始めて10年目だったのか、と思い返す。大学を卒業して4年経ち、ダンスシーン(あるのか?)の仕組みを理解しながら、違和感を覚えたのもこの頃だ。
シーンに対することだけではなく、ダンス全般に対する違和感からダンサー以外の身体に興味を持ちはじめていたころに、映画「東京物語」の笠智衆が背中に座布団をいれてるという話を聞いて、映画の世界で不自然なフォルムを自然に演じる異形に興味をもった。

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2010年3月【生まれてはみたものの】伊丹市アイホール新作共同制作「Take a chance project023」 ( 伊丹アイホール )  撮影:阿部綾子

あと、真っ向から言葉での振り付けに対してアプローチしていこうと、日本語の( あ)から(ん)までの音にひとつずつ型をつけて、スクリーンに映し出される言葉通りにその型をなぞるという振りをつけた。
日常的な仕草や動作を繰り返すことで、目的のあった動きが目的から外れて崩壊する身体や、型を従順におこなう身体、「生まれる=生きる」ということを記号的に見せるためにスクリーン上に言葉や写真を映しだしつつ、身体の違和感を存分にのせた妙な作品が生まれた。自分で言うのもなんなんだが、振付家として新たな扉が開けたと感じる作品だった。だけど10年目に開いたその扉がなんの入口かはわからなかった。今思えば、あれはダンスと距離を置くための出口だったのかもしれない。

あーん

「生まれてはみたものの」日本語の( あ)から(ん)までの振り一覧表

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