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旅が教えてくれたこと (5)  1983年夏、ニューヨーク

■その4

  とりとめのない話が続く…
 
 時々、ハーレムやエル・バリオ(スパニッシュ・ハーレム)、ブルックリン、ブロンクスなどにも歩いた。暑い夏だったその年、イースト・ハーレムはどこもかしこも道路が水浸しになっていた。住民が涼をとるために歩道にある消火栓を壊すのだ。少年たちも大人も、壊れた消火栓から勢いよく吹き出る水を浴びたり飲んだりしていたが、歩いてるとわざと水を掛けられたりもした。
 僕がハーレムでカメラ(Pentax MX)を持って写真を撮っていると、子供達が寄ってきて「自分を写してくれ」といってくることがよくあった。1人写すと、延々と何人も写さなきゃならなくなる。当時はフィルム代も貴重だったので、かなり困った。むろん、誰かを撮るときには必ず声を掛けていた。当時は治安の悪さなんて気にせず街角で平然と写真を撮っていたが、なぜかカメラをよこせと言われたとかカメラをひったくられたとかいう経験はない。今思うと不思議だし、幸運だった。
 
 エル・バリオは、何となくのどかな雰囲気を持つ。下町っぽい…とでもいうのか、プエルトリカン気質みたいなものがあるのだろう。街全体が人懐っこい感じがして好きだった。料理がうまい安食堂も多く、食事の値段はミッドタウンの半額ぐらい。当時は2~3ドルでステーキが食べられたりした。ただ、下手な店に入るとメニューが全部スペイン語で店員もスペイン語しかしゃべれなかったりする。そんなスペイン語の喧騒の中で、得体の知れない東洋人の僕が1人でランチを食べていても、そんなに居心地が悪くない。そして、エル・バリオは、今もそうだがストリート・アートでいっぱいだ。同じ落書きでもハーレムやダウンタウンの落書きとはテイストが違う。カラフルで明るい。街角で売っているTシャツなども、独特の柄のものが多く、安いのを見つけて何枚か買った記憶がある。
 
 そしてブロンクス。場所にもよるが、一般に言われているほど怖い場所ではなかった。動物園(Bronx zoo)もあれば、ヤンキースタジアムもある。そして公園や大学も多い。知人が住んでいたので時々行ったが、場所によっては日曜日の昼下がりなどのんびりと散歩するのも悪くない。そのブロンクスを歩いているとよく思い出したのがウォルター・ヒルの映画「ウォリアーズ」だ。ニューヨークのストリートギャング団「ウォリアーズ」が、ブロンクスから地元のコニーアイランドへ帰るために、他のギャング団の襲撃からひたすら逃げる姿、深夜のニューヨークの異様な雰囲気が印象的な映画だった。夜、ブロンクスを走る地下鉄の駅に行こうと高架の下を歩いている時など、近くの柱の陰からウォリアーズのメンバーが姿を現わすんじゃないかと想像したりした。
 
 面白半分にブルックリン・ブリッジを歩いて渡ったこともある。昔から映画に出てくるブルックリン・ブリッジが好きだった。この橋は数え切れないほどたくさんの映画に登場するけど、僕が特に印象に残っているのはパティ・デューク主演の青春映画「ナタリーの朝」だ。映画の中ではグリニッチ・ヴィレッジもたくさん出てくるが、何といっても主人公がブルックリン・ブリッジの上をバイクで走っていくシーンが、息を呑むほど美しく印象的だ。バックに流れるヘンリー・マンシーニの音楽も素敵だった。
 
 携帯電話なんて無い時代である。どこを歩いていても、街角には必ず公衆電話があった。その公衆電話が、誰もいないのに呼び出し音だけが鳴っていることがよくあった。一度、公衆電話を使おうと思って受話器に手をかけようとした時に、突然呼び出し音が鳴り出したことがある。びっくりして思わず受話器をとって「ハロー」と言ったら、「お前は誰だ?」と言われた。「○○を電話に出せ」とか言っているが、よく聞きとれない。結局切られてしまった。あれは何だったんだろう。
 
 毎日ビールを飲み、デリやグロッサリーで売っているサンドイッチやらピザやら安いものばかり食べていたけど、何ヶ月か過ぎた頃に突然日本食が食べたくなった。要するに「炊きたてのご飯」が食べたくなったのだ。当時のマンハッタンには日本食レストランが何軒もあったが、どこも高級店でその頃の僕の懐事情には合わない店ばかり。チャイナタウンの安い中華料理店ならご飯を食べることができたが、炊いたご飯ではなく「スティームドライス」、つまり蒸したご飯が主流。そんな中で、韓国料理レストランなら、安い店でも「炊いたご飯」を食べることができた。また、エンパイアステートビルの近くに中国人と韓国人が握っている回転寿司の店があって、数回行った記憶がある。あとは、当時スーパーで売っていたカップラーメン、確か日清のカップヌードルだったが、それを食べたくて電気湯沸かし器を買って部屋に置いたことを思い出す。この湯沸かし器でパスタを茹でて、ミートソース缶をかけて食べたこともあった。
 また、滞在中に会うつもりはなかったのだが、一度だけ、当時ニューヨークの郊外フォートリー(Fort Lee)に住んでいた日本人の知人に連絡して、自宅に招かれて夕食をご馳走になったことがある。久しぶりに食べる日本の家庭料理は、涙が出るほど美味しかった。
 当時のマンハッタンでは、ダウンタウンで営業している八百屋はほとんどが韓国人の経営だった。その八百屋で、自家製の絞りたてのオレンジジュースを売っていた。氷の上に並べて冷やしてあるオレンジジュースは安くてすごく美味しく、暑い夏の街中を歩いている時によく買って飲んだ。
 そういえば80年代に入ってすぐに「ビタミン・バイブル」なんて本がベストセラーになり、コロンバス・アベニュー近くのレストランに入った時、テーブルの上に「自由にお取りください」とばかりに各種ビタミンのタブレットが置いてあったのには驚いた。
 
 先にフォートリー(Fort Lee)という街の名を出したが、このジョージワシントンブリッジを渡った対岸のニュージャージーにあるフォートリーと、地下鉄7号線の終点にあるクイーンズのフラッシング(Flushing)の2つの町が、当時は在ニューヨークの日本人、特に長期滞在のビジネスマンが多く住む街だった。フラッシングには、ちょっとした日本食スーパーや日本印向け雑貨店などもあった。このフラッシング、1990年代には日本人が去ってコリアンタウンとなり、現在は中国人が増えてかなり大きな規模のチャイナタウンになっている。
 ところで、このフラッシングへ行く地下鉄7号線、クイーンズに入るとほとんどが高架鉄道になるが、この高架鉄道の下でカーチェイスを繰り広げた映画が、ジーン・ハックマンが主演したあの「フレンチ・コネクション」だ。
 
 話をマンハッタンに戻そう。
 7番街の30丁目付近には、花屋、植木屋が並んでいた。多くの店の店頭に「BONSAI」が置いてあった。当時、どうも日本の盆栽が流行っていたらしい。でも、店頭にあるほとんどの「BONSAI」が日本の盆栽とは程遠いもので、何の木かもわからない小さい背丈の木を、浅い鉢に植えただけという代物だった。たまたま通りがかったある花屋の店先でそんな盆栽をじっと眺めていたら、店主らしき親父が話しかけてきた。「BONSAIに興味があるのか? これすごくいいだろう」と自慢げに言う。僕が「これは日本のBONSAIとは違うようなので、興味があって眺めていた」と言ったら、「あなたは日本人か? BONSAIに詳しいのか、どこが違うんだ?」と言うので、BONSAIに関する話になった。その時僕が具体的に何をしゃべったかまではよく覚えていないが、要するに「本当の盆栽とは“小さい宇宙”を表現している。盆栽はもっとスピリチュアルなものだ」…みたいないいかげんなことを言ったら、彼が「それは“ZEN”の精神が必要ということか?」と言うので、その後「ZEN(禅)」の話へと発展した。僕が面白がって適当な話をしていたら、そのうちに「あなたは日本で何をやっている人なのか、なぜニューヨークに居るのか」と聞いてきた。当時の僕は無職に毛が生えたようなしがないフリーライターだったが、そこは適当に「日本のnoveliSt.(小説家)で取材に来ている」と答えた。そうしたら、彼はとんでもないことを言い出した。「実は、うちのお客さん達とBONSAIのサークルをやっている。今度その集まりに出て日本の盆栽と禅の精神について話してくれないか。盆栽に詳しい日本の有名な小説家だと紹介するから」。困った僕は適当に話をごまかして、その場から逃げた…
 
 6月にニューヨークに到着し、ロクに着るものも持ってこなかったから、秋が深まり、朝夕の気温が低くなると着るものに困った。何と言ってもきちんとした服を買うお金が無い。というか、服にお金を遣うのがもったいない。街のあちこちで日曜日に開催されているフリーマーケットもよく覗いたが、好みの服というか自分の体のサイズに合いそうな服はほとんど見つからない。そんな時、クラブで話していた誰からか、ブルックリンに大きな古着屋があって、いい服が何でも安く手に入るという話を聞いた。場所と店の名前を聞いて、後日行ってみた。
 ブルクッリンのプロスペクトパーク(Prospect Park)の隣、地下鉄のMラインの駅近くにあったその店は、なんと巨大な倉庫のような店だった。中学校の体育館のような建物の中に入ると、底辺の直径が10メートル、高さが5メートル近い巨大な古着の山がいくつもある。山ごとに、子供服、女性服、男性服と分かれているようで、要するにその山から買いたい服を掘り出してレジに持っていくと、値段をつけてくれる…という仕組みだ。全部が「Washed(洗濯済み)」との書いてある。その時の僕は、ジーンズを2本とジャケット2着、さらにキルティングのジャンパーなど、ゴミ袋のように大きなビニール袋いっぱいの服を買って帰った。確か全部で5ドルぐらいだったと思う。この店には、ニューヨーク滞在中にもう1~2回行った記憶がある。

 続く…

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