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旅が教えてくれたこと (13)2014年春、パクセー

■その1
 
 パクセーと言っても、どの国の都市か知らない人が多いかも知れない。パクセーはラオス南部の都市で、チャンパーサック県の県都、首都のビエンチャンに次ぐ人口を持つ南部の中心都市だ。タイとの国境に近く、市中をメコン川が流れている。一応国際空港となっている「パクセー国際空港」には、ホーチミン、シェムリアップ便が就航している。
 ラオス第2の都市といっても、周辺部を含めた人口は10万人程度。けっして大都市ではない。高いビルなどないし、これといった産業もなく大きな工場もない。市内には観光地もない。だから観光客もあまり訪れない。あるのは街の中心部を流れる雄大なメコン川だけだ。そして僕は、そのメコン川が大好きなのである。
 僕はもともと、旅の途中で出会う「河川」が好きだ。特に「大河」が好きである。河川は国内外を問わず多くの場所で「ボーダー」となっている。国境であることも多いし、国内でも郡域、県域、市域等の境界になっていることが多い。例えば東海道新幹線に乗って東京駅から関西方面へ向かっていても、多摩川、早川、酒匂川、安倍川、大井川、天竜川、豊川、矢作川、木曽川、長良川…と川を越えるたびに、「こんなところまで来た」と実感する。海外で国境になっている大河を越えるのはもっと心が踊る。例えば、リオグランデに架かる橋を歩いて渡ってアメリカとメキシコの国境を越える…みたいなシチュエーションは、個人的には海外旅行の究極の楽しみの1つだ。
 そんな国と国を分ける大河がユーラシア大陸にはたくさんある中で、アジアにおいてはメコン川はダントツに面白い河川の1つだ。チベット高原に源流を持ち、中国の雲南省を通ってミャンマー・ラオス国境、タイ・ラオス国境、カンボジア、ベトナムを通って南シナ海に流れ込む。流域の国は文化的にも共通する部分が多く、経済的なつながりも濃い。流域に住む人間は数億人に達し、「メコン文化圏」「メコン経済圏」という言葉も広く使われている。流域には、僕が好きな国、好きな文化が多い。
 ともかく僕は、そのメコンに沈む夕日を見るために、パクセーに行くことにした。パクセーは、メコン川の流れの雄大さを実感として感じられる、もっともよいロケーションの都市だからである。バスで数時間行けば、コーン・パペーン滝とかワット・プーとか、観光名所があるにはあるが、今回の旅ではそんなところに足を伸ばす予定は全くない。あくまで目的は、「メコン川に沈む夕日を見ながらビールを飲む」だけである。
 
 2014年の3月、僕は急な仕事でバンコクへ出張しなくてはならなくなった。仕事の予定は月曜日から木曜日までで滞在期間4日間である。何とかこの出張を利用して小旅行をしたいと思った。そこで、前週の木曜日、金曜日と2日間の休みをとり、土日と併せて4日間でパクセーを往復することにした。タイとの国境は陸路で越える。タイとラオスの長い国境の中で陸路で越えられるのは、ウボンラチャタニからパクセーへ向かう道の途中にあるチョンメック(ラオス側はワンタオ)1ヶ所だけだ。チョンメックまでは、以前仕事の合間にウボンラチャタニを訪れた時にロットゥ(小型バス)で行ったことがある。その時にも、国境を超えたいと思ったが時間が無くてかなわなかった。今回の旅は、その時のリベンジでもある。
 旅の行程は次のようなものだ。1日目が日本からバンコクでバンコク泊、2日目はタイの国内便でバンコクからウボンラチャタニまで飛び、そのまま国際バスで国境を越えてパクセーまで行く。パクセーで1泊して翌日の3日目はバスでウボンラチャタニに戻り、ウボンラチャタニで1泊。4日目にバンコクに戻ってくる…という計画だ。ただパクセーで1泊するだけならもっと時間を詰めた計画を立てられるが、例え3日間でもゆっくりと旅をしたいために、あえて少しゆとりのある日程にした。
 
 金曜日の午前11時、成田発のタイ航空に乗って、まずはバンコクに向かった。午後3時過ぎに勝手知ったるスワンナプーム空港に到着。入国手続きを終えると空港内の現地キャリアTrueのブースでスマホ用のNet SIMを購入して、地下の鉄道駅へと向かう。ちょうど市内各地でデモや道路封鎖が行われている時期だったので、タクシーを使わずにバンコク市内と空港駅を結ぶエアポートレールリンクで行ける安ホテルを予約しておいたのだ。
 ホテルがあるラームカムヘーン駅までは、ほんの15分ほどで到着。すぐにチェックインして少し休んで近くの食堂へ夕食を食べに行き、翌日の朝が早いのでビールを飲んですぐに寝てしまった。
 
 翌朝は、パクセーまで移動するために早朝にチェックアウトした。まずは、午前6時過ぎのウボンラチャタニ行きのタイ航空の国内便に乗るため、午前5時過ぎにスワンナプーム空港へ到着。タイの国内便はバンコクではドンムアン空港を使う航空会社が多いが、タイ航空は国内便もスワンナプームを使う。そして国内便に乗り込むとわずか1時間弱でイサーン(東北)地方の中心都市であるウボンラチャタニの空港に到着した。
 ウボンラチャタニとパクセーを陸路で結ぶ国際バスは、1日2便しかない。ロットゥを乗り継いで国境を越える方法もあるが、以前乗って感じたように多少の危険もあるし、できれば後に仕事が控えている今回は国際バス1本で行きたい。そのバスの午前便の発車時刻まで、ウボンラチャタニ空港到着後1時間もない。空港から郊外のバスターミナルまではタクシーで20分ほどはかかる。急いでタクシーに乗り込み、バスターミナルへと向かった。
 バスターミナルでは、無事チケット購入して国際バスに乗り込むことができた。国際バスの料金は200バーツ、約700円である。ウボンラチャタニ-パクセー間の距離は約150Kmで、乗車時間は約4時間。ターミナルを出たバスは、一路国境の町チョンメックへと向かう。
 ウボンラチャタニからチョンメックまでは約90キロで、1時間半から2時間で到着する。国境が近づくと車窓からは広大なダム湖を持つシリンキット・ダムが右手に見えてくる。するとまもなくチョンメックに到着。
 ここで乗客は国際バスを降りて、まずは各自でタイ側のイミグレで出国手続きをする。次いで、徒歩で数百メートル離れたラオス側(ワンタオ)のイミグレへ行き、ラオスの入国手続きを行う。すると、国際バスがラオス側のイミグレの近くで停車しているので、それに乗り込む…という手順だ。
 タイ側のチョンメックはたくさんの店や市場、ホテルなどもあるけっこう大きな町になっているが、ラオス側のワンタオは小さなお店がぱらぱらと並んでいるだけ。イミグレの建物も、タイ側は立派だがラオス側は貧相、まさに2つの国の経済力の差を見せ付けている。
 ラオスは、観光目的で15日間以内の滞在の場合、日本人はビザは不要(ビザが不要になったのは最近のことだ)。ワンタオの小さなイミグレで50バーツ払って無事入国スタンプを押してもらい、運転手が乗客全員がバスに戻ったことを確認すると、バスは約60Km離れたパクセーに向けて出発した。かかった時間は30分ほど。それにしても、世界中どこもたいして変わりがない空港のイミグレとは異なり、「徒歩で国境を越える」というのは実に面白いし気分がいいものだ。しかも、「ここが国境?」というほど狭い道。このワンタオの国境には、さすがに日本人はほとんどいない。
 
■その2
 
 国境のワンタオからパクセーまでは50~60Km。バスがラオスに入っても、車窓の風景はあまり変わらない。ラオス側の道も一応舗装はしてあるが、その舗装はガタガタでバスはひどく揺れる。イサーンと同じく赤茶けた土地が続く。タイ側には少ない高床式の家が増え、家の周囲では茶色い牛が草を食んでいる。当然ながら、タイのキャリアの携帯電話の電波は入らず、スマホは使えなくなった。そして、1時間ほど走ると前方に大河メコン川が見えてきた。パクセーに到着したのだ。
 メコン川に架かる長大な橋は、周囲の風景とそぐわないほど立派なものだ。この橋は、その名も「日本大橋」(the Lao Nippon Bridge)と言う。日本のODAによって建設された橋だ。全長は1380mだから、これは淡路島と鳴門市を結んで鳴門海峡の上に架けられた大鳴門橋より少し短い程度だ。この長さを見ても、このあたりのメコン川の川幅がいかに広いかよくわかる。
 
 橋を渡るとすぐにパクセーの市街地に入る。けっして小さい町ではないが、かといって大きくもない。市内の中心部の大通りに面したところでも高いビルはなく、せいぜい5~6階建てまでの建物が並ぶ。そんな市街地のはずれの小さなバスターミナルに着いた。結局、出入国の手続きを含めて3時間半ほどで着いた。
 バスを降りると、周辺にたくさんのバイタクが待っている。その中の1台、古いバイクに手製のサイドカーを付けたバイタクと交渉して、予約しておいたホテルに向かった。ちなみにパクセー市内は、ほとんどの店でタイの通貨バーツが使えるし、米ドルも使える。
 ネットで予約しておいたホテルは、「パクセー・メコン・ホテル」。市街地の中心部からはちょっと離れてはいるが、メコン川に面したリバーサイド地区にあり、眺望のいいロケーションだ。4階の部屋の窓からもメコン川が大きく見える。しかも、ホテルの前のメコン川沿いには、屋台がずらっと立ち並んでいる。まだ準備中の店も多いが、全ての店が開き始める夕方が楽しみだ。まだお昼過ぎ、部屋に荷物を置いて、とりあえずは周辺の散策に向かった。
 
 パクセーの街は、中心部を東西に国道13号線が走っている。ラオス南部の大動脈だ。そして、街を取り囲むようにメコンに流れ込む支流セードン川が流れている。このセードン川とメコン川に囲まれたエリアが、旅行者が泊まるホテルや旅行代理店などが集まる、比較的何でもあるエリア…ということになる。パクセー・メコン・ホテルを出た僕は、まずはこのエリアに向かった。
 歩き始めてすぐに、銀行を見つけたので手持ちの円をラオスの通貨キープに両替する。1円が70キープぐらい。とりあえず1万円分だけ両替することにした。
 ホテルはけっこうある。市街地に何もなくとも、ラオス南部観光の拠点なのでそれなりに旅行者が集まるのだ。ちょっとおしゃれなカフェなどもあり、欧米の若いカップルがくつろいでいる。そんなエリアで、携帯電話ショップを見つけたので、現地キャリアであるUnitelのデータ通信SIMを購入した。お店ではセットアップしてくれないので、昼食でも食べながら帰ってアクティベーション作業を行うことにする。
 適当な食堂を見つけて、昼食にする。適当に頼んだ麺を食べ、ビアラオ(Beer Lao)を飲みながら買ったばかりのSIMをスマホに挿し、APNを設定してアクティベーション完了。これでGPSとマップがつながるようになった。初めて歩く海外の街で、常に現在地を確認しながら地図が使えるのは大きい。70年代、80年代に不完全な地図を片手に海外を放浪していた頃と較べると、夢のような話である。世界中でスマホがネットにつながる現在は、小型のハンドヘルドPCとモデムを持ち歩いて旅をしていた90年代ですら遠い過去のように感じてしまう。
 もっとも、パクセーの街は小さい。日本の感覚、いやタイやベトナムの尺度で見ても「ただの田舎町」である。市街地の中心部は全て徒歩で回ることが可能だ。スマホの地図をみながらに2~3時間散歩していたら、どこにどんな店があるのか、ホテルからの距離と位置関係も含めて、だいたいのところはわかってしまった。パクセーの街に関しては、もう地図は不要だ。
 
 ホテルに戻ろうとする頃になって、やっと日が傾いてきた。いよいよ、今回の旅の目的である、メコン川に沈む夕日をビール片手に楽しむ時間だ。
 メコン川沿いの道には、ホテルの前あたりから西へセードン川の合流点あたりまで、ずらっと屋台レストランが並ぶ。屋台レストランとは言っても、大きな店は数十人は楽に入れる規模だ。店先からは、魚やガイヤーン(鶏の炭火焼)を焼くいい匂いが漂ってくる。どの店に入ろうか迷う。その中で、メコン川にせり出した桟敷席のようなスペースを持つレストランを選び、川沿いの席を選んで座った。まずは、ラオスのビール、ビアラオを注文する。
 ラオス料理は、基本的にはタイのイサーン地方の料理と似ている。出張で行くバンコクではいつもイサーン料理ばかり食べている僕は、このラオスの屋台レストランのメニューに違和感がほとんどない。店先で焼いたり作ったりしている食材や料理を見ても、写真付きのメニューを見ても味の想像がつく。焼いた鶏肉、イサーン風ソーセージなど適当に見繕って注文すると、後はやることもない。ぼんやりと川を眺めていた。
 大きな夕日は徐々にメコンの川面に近づいていく。それをじっと見ていた。湿度も低く、川風に吹かれて気持ちがいい。ビアラオも美味しい。何ともいえない至福の時間である。雄大でゆったりと流れるメコン川に沈む夕日を眺めながら、この川の流域に住む何億人もの人々の日々の暮らし、営みに思いを馳せた。
 日がすっかり川面のすぐ上に広がる平原に沈んでからも、しばらくじっと川を見ていた。対岸の景色がシルエットになり、あたりが闇に包まれ始めた頃、屋台レストランには続々と人が集まり始めた。このあたりの店は、観光客と言うよりも、地元の人々の憩いの場になっているようだ。周囲のテーブルはラオス人の家族連ればかり。みんな楽しそうに、テーブルいっぱいに食べ物を並べて、大声で話している。それを聞いている僕も楽しくなった。
 その後、近辺の数軒の屋台レストランをハシゴしてお腹いっぱい食べ、すっかり酔ってホテルに戻ってきた。今回の旅の目的はこれで終了した。
 
 2日目の朝は、まず朝食を食べにホテルから歩き出す。目的はバインミー(フランスパンを使ったサンドイッチ)だ。かつてフランス領だったラオスには、ベトナムと同じくコーヒーとパンの食文化が根付いている。バインミーは長さ20センチメートルほどのバゲットに切り込みを入れて、バターやレバーペーストを塗り、野菜、香草、肉などをはさんだサンドイッチだ。ラオスでは市場内の屋台などで、どこでも売っている。ホテルを出て10分ほど歩いた街中に、早朝からやっているカフェを見つけてバインミーとコーヒーを注文した。ボリュームたっぷりのバインミーに満足したが、本当にパクセーは、物価が安くて食い物も旨い。とりあえずホテルへ戻る。バスで出発する時間が午後なので、午前中はパクセーの市場に行ってみることにした。
 
 トゥクトゥクに乗って10分ほどで着いた市街地の中心部にあるダオファン市場は、パクセー最大の生鮮食品市場だ。パクセー最大というだけでなく、ラオス南部でも最大の市場にひとつだそうだ。野菜や果物の店では、路上にまで商品があふれている。メコン川で捕れたいろいろな魚も路上に並んできる。小さなものから1メートル以上あるものまで、様々なナマズがいる。米屋も多く、多種のお米が売られている。日用品や雑貨を売る店も多い。乾燥した煙草の葉も秤売りしている。ポリタンクに入ったラオラオ(ラオスの焼酎)も売られている。そしてたくさんの人が行き交っている。なんとも活気にあふれた市場である。飽きることなく、1時間ほど歩き回った。
 
 しかし、パクセーの市街地見物も、これでおしまい。まだバスの発車までにかなり時間があるが、見るところはない。それで最後にメコン川を見ながら昼食を食べてビールを飲もうと、もう一度川沿いの屋台レストランへ行くことにした。
 開いている店を見つけて川に面したテーブルに座り、ビアラオとガイヤーンを注文する。目の前を流れるのは、昼間のメコン川だ。やっぱり川幅が広い。川の向こう岸に立つ家は芥子粒のようにしか見えない。時々、大きな船が通る。小さなボートのような漁船も浮かんでいる。晴れてはいるが川面全体的に靄がかかり、それが川幅の広さ、川の大きさの全貌をわかりにくくしている。このぼんやりした感じ、これはこれで最高だ。パクセーこそが、最もメコン川を堪能できる場所だとよくわかった。
 
 ホテルに戻り荷物をまとめてチェックアウトし、呼んでもらったトゥクトゥクで、バスターミナルへと向かう。今日は昨日の逆の道順でタイのウボンラチャタニへ戻り、そこで泊まるつもりだ。走り出したバスの中で、今夜はウボンラチャタニでイサーン風焼肉「ムーガタ」を食べようと考えていた…
 
■その3
 
 パクセーの旅の記録は、ここで終わる。
 さて、僕はここ10年ほど、仕事でタイやマレーシアを年に5~6回は訪問している。仕事で行くのは、バンコクやクアラルンプールとその周辺の工業団地などで、5~7日の日程を忙しく過ごす。確かに夜だけは、好きな屋台やレストラン、バーなどを回ってのんびりと過ごすが、やはり仕事だけで過ごす海外出張はフラストレーションが溜まる。だから、なんとか予定をやりくりして、海外出張のうち3回に1回は1日か2日の休暇を加えて、まだ行ったことのない地方への小旅行を敢行している。そんな旅の1つがこのパクセー旅行だった。
 そして本章ではもう1つ、2011年に敢行した、同じラオスへのたった24時間のミニトリップの記録を書いておこう。
 
 2011年の6月初旬、クアラルンプール、バンコクへの1週間の出張があり、その出張の合間、土曜日の午後から日曜日の夕方まで、約24時間の短い休暇が取れた。その短い時間を利用して、メコン川を見に行こうと思い立った。
 選んだ旅先はタイ東北部の町、ナコンパノム。メコン川西岸に位置するナコンパノムは、対岸のラオスの町ターケークに船で渡れる場所だ(近くに橋が完成した2015年現在は外国人は船で国境を越えられなくなった)。
 簡単に行けるところで、川を船で渡って国境を越えられる場所というのは、世界的に見てもあまり多くはない。アジアやヨーロッパなど「川が国境」という場所は非常に多いけれど、イミグレーションがあるような都市、町にはたいてい橋が架かっていて、外国人は陸路でしか通れないケースがほとんど。船で渡 れるのは、普通は地元民だけだ。
 タイ-ラオス国境もたいていは陸路。ノンカイからビエンチャン方面へ行く場合も、国境越えは陸路。ナコンパノムの南のムクダハンも、友好橋が完成してからは外国人は陸路でしかラオスへ行けなくなった。知っている範囲では、タイ北部のいわゆるゴールデントライアングル地域のチェンコーンからラオスのラオス国境の町フェイサーイ間が確か船で国境を越えられると思うが、ここはバンコクから24時間では往復できない。
 この時に行ったナコンパノムも、町の北部にメコン川に架かる橋を建設中だった。2011年の時点では外国人でも船で国境を越えられるし、ラオスは日本人は短期間の滞在ならその時期は既ににノービザだった。そして橋が完成すれば、外国人は船での国境越えが出来なくなるはず。ナコンパノムからメコン川を船で渡って国境を越える…、これが最後のチャンスだと思った。
 
 そのナコンパノム、バンコクからは飛行機で行けるが、2011年当時は1日1便だけ(現在は2便)。ドンムアン利用のLCC「ノックエア」の便だ。この便を、前日の金曜日の午後にネットで予約した。ノックエアと言えば相変わらず冗談のような鳥の顔の機体デザイン。とてもタイ航空の子会社とは思えないユニークさ。
 仕事が終わった土曜日の夕方、小さなデイパック1つに1泊分の着替えとデジカメを入れて、タクシーでドンムアン空港へ向かった。かつて国際線で何十回も降り立ったドンムアンは、スワンナプーム完成後は国内便専用空港になったが、やっぱり市内に近くて便利。久しぶりのドンムアンを、非常に懐かしく感じた。
 搭乗したノックエアの機体は双発のプロペラ機、ATR 72。小さなプロペラ機に乗るのは久しぶりだったが、離陸後の旋回で機体がぐっと傾くところが、けっこう気持ちよくて好きだ。ノックエアは座席番号が予約されるし、1時間半のフライトでも軽食が出るのが、他のLCCよりちょっとハイクラスだ。
 
 さて、実質1時間ちょっとのフライトで、無事ナコンパノムの空港に到着。約20kmはある川沿いの町までどうやって行こうかと考えていたら、リムジンサービスがあり、乗合のミニバンでホテルまで50バーツだった。
 ホテルはメコン川のほとりに立つ、「ナコンパノム・リバービューホテル」。ナコンパノムでは最大で唯一の近代的ホテルだ。ゲストハウスや小さいツーリスト用ホテルに泊まるのは面倒だったので、事実上このホテルしか選択肢がなかった。前日夜に電話で予約しておいた、リバービューの5階角部屋に通された(翌日のレイトチェックアウト料金込みで約2500バーツ)。広い部屋の窓から見えるのは、息を呑むような夕暮れのメコン川。対岸のターケークの町の背後には中国の桂林のような石灰岩の奇峰が連なり、薄暮の空を背景にした墨絵のように幻想的で不思議な光景だ。
 
 その夜は、近くのレストランで食事でもしようと考えていたが、ホテル近辺には何も店がない。ホテルのスタッフに聞いたら、南へ10分ほど歩いたところに川沿いのレストランがあると…。そこへ行った。メコンの河原にせり出した木組みの桟敷のような席に座り、どっぷり日暮れた暗いメコンの川面と対岸のラオスの点々とした明かりを眺めながら、正体不明の焼き魚とガイヤーン(鶏の炭火焼)でビールを飲む。小雨が降る中、自分以外に誰も客がいない静かな店でイサーンの夜が過ぎていく。食事の後は、早々とホテルに帰って寝た。
 
 翌朝、早起きしてホテルで朝食を摂り、朝8時にラオス行きの船着場へ向かう。雨季なのに、この日は運良く快晴だった。ホテルからトゥクトゥクに乗って川沿いに10分ほど走ると、イミグレーションがあった。ここで、まずはタイの出国手続きを済ませ、川に面したイミグレーションの建物の裏手から急な階段を下りると、そこが船着場。
 泊まっていた渡し舟は30人乗りぐらいで、料金は60バーツ。乗船者はパスポート不要で普段着で行き来するラオス人とタイ人以外に、ベトナム人が多い。ナコンパノムはベトナム国境まで150kmしかないため、陸路ラオスを横断してタイまで買出しに来るベトナム人が多いのだ。ちなみに、ターケークのバスターミナルからは、ベトナムのハノイやビン、ダナンへ行くバスが1日何本も出ている。
 このあたりのメコンの川幅は約1km、対岸のラオスの船着場がよく見える。いったん上流に大きく迂回した船は10分ほどで対岸の船着場に到着した。
 手すりもない急な階段を恐る恐る登ると、そこがラオスのイミグレーション。入出国カードを渡され、記入して入国手数料とともに軍服姿の女性に渡すと、入国目的と滞在期間を聞かれ、今日中に戻ってくると言うと、パスポートに簡単に入国スタンプを押してくれた。女性の入国係官2人が、パスポートの僕の名前を声に出して読み上げて、なぜかクスクス笑いあっていたのが面白かった。日本人の名前が面白いのだろうか、ともかく晴れてラオスに入国だ。事前に何も調べず、ガイドブックも読まずに来たので、本当に入国できるかどうかちょっと不安だったが、簡単に船でラオスに入国できてちょっと感動だ。
 
 こうして朝のターケークの町に着いたけれど、地図もなく町の概要もわからない。前々夜にバンコクのホテルでネットで調べた時には、ターケークは数軒のゲストハウスがあるだけの小さな町で、ほぼどこへでも歩ける…とあったので、まあなんとかなるだろうと、イミグレ近くに一軒だけあった小さなお店で、アイスコーヒーを飲みながら、メコン川を眺めてしばし休憩。歩くには暑過ぎるので、イミグレ横の小さな広場に集まっていた数台のトゥクトゥクのうちの1台のドライバーが片言の英語を話せるので、町を見物したいから1~2時間乗せてくれと交渉すると、結局150バーツで話がついた。ターケークではラオスのお金だけでなく、バーツやドルも使える。対岸の電波が届くのか、川沿いではタイのAISのSIMを挿した携帯電話もそのまま使えた。
 
 一応舗装してあるメインストリートは、家も商店もまばら。道端のあちこちでは茶色い牛が数頭の集団を作って草を食んでいる。まずは町の中心部、郡のオフィスがある一帯へ行ってみる。辺りは少し街並みが賑やかで、ぶらぶらしながら写真を撮り、次に市場へ行く。数百軒は店があろうかという大きな市場は、売っているものも珍しくて非 常に面白く、キープを持っていないのでタイバーツでちまきなどを買い食いしながら、1時間近く見て回った。
 ターケークでは現地の人に英語はほとんど通じない。一方で、誰でもタイ語は普通にしゃべる。特に国境を接するイサーン地方の言葉とは共通点が多いらしい。
 市場を出て、その後トゥクトゥクのドライバーに街中をぐるっと回ってもらい、お昼近くにメコン川沿いのイミグレ付近へと戻ってきた。川沿いに南へちょっと散歩して、正午過ぎにはイミグレでラオスを出国、往路と同じ渡し舟に乗ってナコンパノムへと戻ってきた。ナコンパノムの町を少し散歩してホテルへ戻り、夕方にはチェックアウトをして空港へ。そしてその夜、無事バンコク・ドンムアン空港へと帰ってきた。
 
 たった24時間のミニトリップだったが、大河メコンの印象的な夕暮れと朝焼け、街の背後に連なる石灰岩の奇峰群、牛やヤギが道端で草を食む赤茶けたラオスの大地を堪能し、短時間ながらとても満足した旅になった。ちなみに、ターケーク郡があるカムムアン県には東南アジア有数のカルスト地形が広がり、大きな鍾乳洞などもあるので、機会があればまた別ルートでゆっくりと行きたいと思っている。
 
 さて、本章の冒頭で触れた「メコン経済圏」についてだ。今世紀に入って、メコン川流域は大きな変化に見舞われている。中国、タイ、ベトナム、カンボジア、ラオスなど流域諸国の急激な経済発展に伴う人口増、進む環境破壊、中国の経済的影響力の増大など、まさに激動の時代を迎えている。ほんの十数年前まで、タイーラオス国境のメコン川に架かる橋は、タイのノンカイとビエンチャンを結ぶ友好橋1本だけだった。それが現在は、アジアハイウェイ上にあるムクダハン-サワンナケート間、ナコンパノム-ターケーク間、チェンコン-フアイサーイ間と4本に増えた。メコン川を渡る物流は、信じられないほど急増している。国境を越えての人の往来も激しくなった。
 メコン川の環境問題は深刻化している。流域の人口増に伴う河川の汚染はむろん、上流域の中国による相次ぐ巨大ダム建設のために中流域の流量が激減し、川の生態系全般に深刻な状況が発生している。漁業は大きな影響を受け、流域の人々の生活を支える漁獲量が激減している。メコンの川イルカは絶滅の危機に瀕している。中国の経済的影響は、特にラオスにおいて著しい。首都ビエンチャンには、ここ数年の間に巨大なチャイナタウンが出現した。
 悠久なる大河メコンが、今後どのように変化していくのか誰にも予想はつかない。メコン流域の風土や文化が大好きな僕は、今後も幾度となくメコン川を訪れるだろう。そして川の変化、流域に住む人々の暮らしの変化を静かに見守るつもりだ。環境問題に関しては、何か自分にも出来ることを見つけたいと思っている。

次へ…
 

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