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ピルクルとトランプ

 僕はここ数年、毎日風呂上りに乳酸菌飲料「ピルクル400」を飲んでいる。ピルクル(日清ヨーク)は「ヤクルトの廉価版」のように思われがちで、実際に販売価格にはかなり差がある。僕の場合は、別に安いから飲んでいるわけではない。たまたま同居人が購入してきたピルクルが冷蔵庫に入っていたので、なんとなく飲み始めただけだ。毎日飲むようになってしばらく経ったある日、「やっぱりヤクルトの方が美味しいのでは?」と思い、自分でヤクルトを買ってきて飲んでみた。微妙に味が異なるのだが、ピルクルに慣れていたせいか、結局ピルクルの方が飲みやすいとの結論に至り、それ以降はピルクル一筋で飲み続けている。ちなみに、健康のために飲んでいるわけではないので成分については関心がない。


■ドナルド・トランプの支持基盤

 本稿を書いている時点で、アメリカの大統領選挙は予備選の真っ最中だ。共和党の指名候補は7月に行われる共和党全国大会で決まるが、現在の状況からするとトランプが指名される可能性がきわめて高い。民主党はバイデンが指名されることがほぼ確実だ。そしてトランプとバイデンが対決する形で本選を迎えることになる。この2人が対決した場合、現時点での世論調査結果ではほぼ五分五分とのこと。そのトランプは、選挙運動の中でNATO離脱、ウクライナへの支援中止、自国産業保護のための関税引き上げなどを公約としている。80歳近いトランプと80歳を超えるバイデンの争いにさほど興味はないが、やはりトランプが勝利すると世界は混迷の度を深めるだろうとは誰もが思うだろう。政治的な発言をする気にはないが、個人的にはトランプが勝利したアメリカ、そしてそのアメリカが主導する世界には、大きな危惧を感じる。
 
 僕は、トランプに限らずポピュリストの政治家が好きではない。欧米において、ポピュリスト政治家は、概ね「右派」「民族主義」と結びついている。ドイツ、ポーランドに続いて、オランダでもゲルト・ウィルダースが率いる右派ポピュリストの自由党が、オランダ議会下院の最大勢力となった。ベルギーでも、民族主義政党「フランダースの利益」が2024年の国政選挙で最大政党に躍り出ようとしている。フィンランド、ハンガリー、イタリア、スロバキアではすでに極右勢力が政権を握っており、スウェーデンでも極右政党が少数派政権を支えている。そしてウクライナのゼレンスキーも典型的なポピュリストだ。南米の各国はポピュリズム一色に染まっている。
 一般的には、ポピュリズム政治は左右を問わず「共生」よりも「対立」「分断」との親和性が高い。ポピュリズム政治は、社会が本来持つべき多様性、理想とすべき多文化社会を崩壊させる方向に向かうことが多い。
 
 話をトランプに戻すが、共和党指名候補が確実視されるトランプの強力な支持層の中核を成すのが、「キリスト教福音派」と「ミリシア」だというのは、よく知られているところだ。ここでは民間武装勢力であるミリシアについて特に触れることはしないが、福音派について少し書いてみたい。

■福音派とは

 誰もがよく知る話であり、わざわざ解説するようなことでもないが、福音派について簡単にまとめておこう。
 福音派は、キリスト教プロテスタントの一派で、聖書信仰を重視し、積極的に伝道を推進するグループのことだ。英語では「Evangelicalism」と呼ばれる。
 福音派の始まりは、16世紀に西方キリスト教世界で起こった宗教改革に遡る。カトリック教会の腐敗や権威主義に対する改革を求めて、マルティン・ルターやジャン・カルヴァンなどの宗教改革者が声を上げた。彼らは聖書に基づいた信仰の重要性を強調し、キリスト教の原点回帰を目指した。この宗教改革によって生まれたプロテスタントの諸教派の中に、特に聖書の無謬性やイエス・キリストの贖罪を重視するグループがあった。彼らは「福音主義者」と呼ばれるようになり、これが現代の「福音派」の起源となった。福音派はその後、18世紀の英国におけるメソジスト運動や19世紀の米国における大覚醒運動などを通じて、世界各地に広まった。20世紀になると、アメリカの福音派は政治にも積極的に関与するようになり、社会保守的な立場から様々な社会問題に取り組んできた。
 現代における福音派は、世界中のプロテスタント信者の約4分の1を占めると推定されている。彼らは様々な教派や団体に分かれて活動しているが、聖書は無謬(むびゅう)の神の言葉と信じ、イエス・キリストの贖罪、個人の信仰告白、伝道の重要性といった共通の信仰を持つ。

■アメリカ政治への福音派の影響

 先に述べたようにトランプの最大の支持基盤は福音派、中でも「白人福音派」(White Evangelicals)だ。白人福音派は長年にわたり共和党を支持してきた。1980年大統領選挙では80%がロナルド・レーガンに投票し、2004年には78%がジョージ・W・ブッシュに、そして2016年には80%がドナルド・トランプに投票した。
 アメリカの場合、福音派は長老派、会衆派、バプティストといった特定の教派を指すのではなく、聖書の信仰に目覚めた保守的なプロテスタントの総称と考えればいい。1950年代からは伝道師ビリー・グラハムの活躍もあって、福音派は人種や社会階層の垣根を越えて広がっていった。アメリカ中西部から南部にかけて福音派が多く居住することから、その地域は「バイブル・ベルト(聖書地帯)」とよばれている。プロテスタントに多いが、カトリックのなかにも福音派は存在する。
 1960年代の半ばになると、ベトナム反戦運動や公民権運動の高まりとともに、性の解放やドラッグの自由化などを唄うカウンターカルチャーが勃興し、アメリカ社会は混迷の度を深めた。1970年代には「公立学校における祈りの非合法化」や「中絶の合法化」といった判決が出され、急進的にリベラル化が進む。福音派は、そうした道徳的荒廃や世俗的人間中心主義に対する反感を背景にして70年代から勢力を伸ばし、中絶や同性婚などに反対する声をあげて支持者を増やし、教会を超えて社会にまで影響力をもつようになっていった。福音派が政治に強い関心をもち始めたのは、全米規模での人工妊娠中絶を認めた1973年の連邦最高裁判所の「ロウ対ウェード判決」以降である。この判決以降、妊娠中絶規制を訴えた共和党の政治家たちが接近したこともあり、福音派は急速に政治集団化していく。「すべての子どもは神が祝福して生まれてくる」という立場から、妊娠中絶に強く反対する「プロライフpro-life(妊娠中絶禁止)」派の運動が福音派によって広がった。1980年の大統領選挙で福音派がこぞって支持したレーガンが当選したことで、福音派の政治的な影響力が広く知られるようになった。レーガン以降、共和党から大統領になったブッシュ父子、トランプはいずれも保守派の判事を連邦最高裁判所や連邦控訴裁判所、連邦地方裁判所に任命していったため、連邦政府の権限を抑制し、州の権限を重視するほか、法の解釈を限定的に行う司法の保守化が進んでいった。
 近年の調査では、概ね25%前後、つまりアメリカ国民のおよそ4人に1人が福音派であり、アメリカ最大の宗教勢力とも言われている。

■アメリカにおける福音派の起源

 アメリカの福音派の起源は、1620年にメイフラワー号でイギリスのプリマス港を出航して65日間の航海の末にアメリカに渡り、プリマス植民地を建設したピューリタン(清教徒)達に遡る。
 言うまでもなく、ピューリタンとは、16世紀から17世紀にかけてイングランド王国で活動した改革派(カルヴァン派)のプロテスタントのことだ。「ピューリタン(清教徒)革命」を知らない人はいないだろう。
 ピューリタンはイギリス国教会の主教制度などに反発したため弾圧され、1640年に「ピューリタン革命」を起こし、クロムウェルに指導されて共和制を実現した。しかし、「名誉革命」で国教会体制が再建されると衰退する。16世紀後半のエリザベス1世の時期にイギリス国教会体制が完成すると純粋なプロテスタントの信仰を求めるピューリタンは、中道的でカトリック的儀式や主教制をとる国教会に対する不満を強めていった。さらに17世紀に入り、イギリスのステュアート朝の国王ジェームズ1世は「主教なくして国王なし」と称して国教会の主教制度を柱として王権を強化し、それに従わない聖職者を追放した。それに対して一部のピューリタンは信仰の自由を求め、1620年に「ピルグリム・ファーザーズ」としてアメリカ新大陸に渡ったのである。
 このグループが「ピューリタン」ではなく「ピルグリム・ファーザーズ」と呼ばれるのには理由がある。メイフラワー号に乗船していた102人の中のピューリタン(41人)は、アメリカに渡る前には一時オランダのライデンに移住するなど、信仰の自由を求めて移動していたので、「ピルグリム」=「巡礼」と呼ばれたのだ。
 実際には、この集団によるプリマス植民は失敗に終わるし、この時の102人の人々は必ずしも篤い信仰でまとまっていたわけではなかった。しかし、失敗の悲劇性などを強調することで、19世紀の後半に「ピルグリム・ファーザーズ(巡礼始祖)伝説」として復活し、アメリカ人の国民意識の形成に利用された。(「粋なカエサル 面白きこともなき世を面白く」参照)
 現在のアメリカの福音派、ドナルド・トランプの支持基盤となっている白人福音派は、「ピルグリム・ファーザーズの末裔」…と言ってもよい。

■ピルクルとトランプ

 ここまで書いてこれば、多くの人は「ピルクルとトランプ」という本稿のタイトルの意味、そして本稿の「オチ」に気が付いたであろう。いやここまで引っ張らなくても、タイトルだけで本稿のオチに気付いた人もいるかもしれない。
 
 僕が毎日風呂上りにピルクルを飲むようになって数年経ったある日、「ピルクル」という商品名がどこからつけられたのか、その名前の由来が突然気になって、メーカーである「日清ヨーク」のWebサイトを開いてみた。
 そこには「ピルクル豆知識 ピルクルの由来って何」との一文があり、次のように書かれていた。
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ピルクルのネーミングは、1620年に英国から自由を求めてメイフラワー号で新大陸(アメリカ)に渡った人たち「ピルグリム・ファーザーズ・クルー(Pilgrim・Fathers・Crew)」を略してつけたものです。彼らの持つ人生の新しい可能性に向けてひるむことなくチャレンジする精神に共鳴し、また、お客様がいつもフレッシュで健康な日々を送られるよう、願いを込めて商品名といたしました。
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 いや、これを読んだ時には驚いた。思わずひっくり返りそうになった。乳酸菌飲料「ピルクル」の名が、まさか「ピルグリム・ファーザーズ・クルー」から来ているとは…
 
 この事実を知って以降、僕は風呂上がりにピルクルを飲む度に、中学・高校の世界史の授業で必ず習う、しかも世界史を学ぶ上での最重要事項のひとつとして誰もが覚える「ピルグリム・ファーザーズ・クルー」、そして「宗教改革」「ルター」「カルヴァン」「ピューリタン革命」「クロムウェル」…といったワードが頭の中を駆け巡るようになった。おかしなことになったと思う。ピルクルを飲みながら、遙か昔にヨーロッパで起こった宗教改革や独裁者クロムウェルに思いを馳せるなんて…。さらには、ピルクルを飲みながら、アメリカの大統領選の行く末を案じるなんて…。
 
 サイト内にある「ピルクルの歴史」に書かれている説明によれば、この名称はピルクル商品化当時(1993年)の社長が独断で考えたそうだ。ぜひともその社長さんにお会いして、乳酸菌飲料に「ピルグリム・ファーザーズ・クルー」にちなんだ商品名をつける、その奇抜な発想のきっかけを聞いてみたい…

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