見出し画像

旅が教えてくれたこと (4) 1983年夏、ニューヨーク

■その3

  ニューヨークの最新カルチャーの取材とは言っても、結局は自分が行きたい場所、見たいイベントへあちこち出かけていただけだ。まずはクラブ。当時よく行ったクラブとなると、やはりあのロキシー(Roxy)だ。
 18th St.のウェストサイドにあるロキシーは、巨大な体育館のようなディスコ系のクラブだった。当時、周囲は何もない倉庫街だったが、話題のクラブということで毎晩入り口にたくさんの人が並んで、異様な雰囲気を醸していた。チャージを払って中に入ると、入り口に近いバーコーナーでは、1ドル札を丸めて鼻に当て、コカインをキメてるヤツなんかがたくさんいた。ただ、従業員の見ているところであからさまにドラッグやると注意を受けていた。
 このロキシーやダンステリア(Danceteria)で、ニューヨークのクラブカルチャーってものを実感した。当時のクラブミュージックの主流はヒップホップ。また、1970年代の末期に生まれたヒップホップという音楽を、僕が初めて流行の音楽として体感したのもロキシーやダンステリアなどの巨大クラブでの狂乱だった。
 ウエスト・ソーホーのKing St.にあったパラダイス・ガラージ(Paradise Garage)にも行った。ちょっとテクノっぽい音楽が多く、リズミカルで軽妙なDJが新鮮だった。ただ、個人的な音楽の趣味から言えば、同じクラブでもRitz、そしてCBGBなんかの方が好きで、こちらの方がよく行った。当時Ritzはタバコ会社のCamelがスポンサーだったと思う。で、そのCamel Ritzでは、B.B.キングやチャカ・カーンなどのステージを見た。また、現在トライベッカと呼ばれる倉庫街にあったマッドクラブ(Mudd Club)は、確かその年、1983年に閉店したと思う。
 
 1973年に開店して、ラモーンズ、テレヴィジョン、パティ・スミス、トーキング・ヘッズなど数々のバンドが出演して伝説を作り、2006年に閉店したCBGB(CBGB&OMFUG)は、バワリー(Bowery)に面してキャナル(Canal St.)とハウストン(Houston St.)の中間にあった。地域的にはソーホーの東、イースト・ビレッジとチャイナタウンの中間あたりになる。一番近い地下鉄の駅はspringだ。CBGBの周辺は、1980年代の半ばまでは殺伐とした場所だった。当時のバワリーは「酔っ払いの街」と言われ、歩道には割れた酒瓶が散乱し、夜になるとドラッグの売人が至るところに立っていた。90年代以降になって、このあたりはバワリーのかなり北のほうまでチャイナタウンが侵食し、夜ソーホーあたりから歩いてきてもそれほど怖い思いをすることはない場所になったけれど…。

 当時、CBGBでは「ハードコア・マティネ」という午後から夕方にかけての興行が知られていたが、僕は、マティネではなく夜の方が好きだった。いつも、まだガラガラの7~8時頃に訪れる。出演するバンドによってチャージは変わるけど、まあウィークデイなら5~7ドルぐらい。適当な場所に座って、ビールを飲みながらボンヤリと時間を過ごす。この時間帯は無名のバンドが演奏していることが多いので、気に入れば耳を傾ける。
 夜も9時頃になるとお腹が空いてくる。そうしたら、いったん店を出てバワリーを渡ってイースト・ソーホーあたりで腹ごしらえ。CBGBの食べ物は不味いので、外に出て食べた方が無難だった。食事が済んだら、またCBGBに戻ってくる。CBGBは、入るときに手の甲にスタンプを押してくれるので、入り口でそれを見せれば何度出入りしてもOKだ。
 夜が更けてくると、少しづつ混んでくる。隅のテーブル席に陣取ってビールを飲みながら、名も知らぬハードコアパンク・バンドの演奏を聞くのは至福の一時だった。
 ちなみにCBGBは、80年代後半には観光地となっていた。90年頃だったか、開店直後の店の前にグレイラインの観光バスが停まっているのを見たことがある。
 
 一方でヴィレッジあたりの老舗のジャズクラブ、有名なVillage VanguardやThe Village Gate、Blue Note、Sweet Basilなどは、この旅では一度も行かなかった。この旅の前、最初にニューヨークに滞在していた時に全部行ってはみたが、個人的にジャズにあまり興味がない上、ちょっと気取った上品な雰囲気が自分には合わなかったからだ。
 そういえば、あのフィルモア・イーストの跡地や、ジミ・ヘンドリックスがレコーディングしたことで知られるElectric Lady studioの跡地、ケルアックが常連だったというWhite Horse Tavern、ポエトリー・プロジェクトで知られるセント・マークス教会なども、前回のニューヨーク滞在で訪れていたが、この時にはあらためて写真を撮りに訪れた記憶がある。いずれにしてもグリニッジ・ヴィレッジの中心部近辺は、1983年当時でも既に観光地化が進んでいて特に興味をひく場所ではなくなっていた。もっとも、個人的には中学から高校生の頃にはフォークギターを抱えてボブ・ディランの「風に吹かれて」や「時代は変わる」を歌った世代だし、「グリニッチ・ヴィレッジの青春」も好きな映画だ。4th St.にある、ディランとスージー・ロトロが住んでいたというアパートなどは、この頃だって前を通りがかる度に見上げたものだ。

 そういえば、当時イーストヴィレッジの小さな映画館の前を通りがかったら、ディランの映画「Dont Look Back」を上映していたので、入って見たことがある。「Dont Look Back」は、1965年のボブ・ディラン英国コンサート・ツアーに同行してその様子を記録したドキュメンタリー映画だ。映画の中の若きディランやジョーン・バエズはカッコよかった。一瞬だがアレン・ギンズバーグが登場するのがわかった。
 
 1983年の夏、今でも鮮明に記憶に残っているのは、開業直後の「ABC No Rio」だ。ABC No Rioはロワー・イーストサイド、アベニューBのちょっと南に当時開業したばかりのアートギャラリー兼クラブだった。クラブスペースでは毎晩のように無名のパンクバンドが演奏していた。周辺は治安の悪いところだったが、ABC No Rio自体が何をやっているのかよくわからない変なスペースだった。怪しげな自称アーチストという風情の面々が集まっており、僕がカメラを持って「日本から取材に来た」と言ったら妙に受けて、みんなが勝手にポーズして「俺も撮ってくれ」「何と言う雑誌に出るんだ」などと言う。居心地がいいので、そのうちに怪しげなカクテルを飲みながら酔っ払ってしまった。ABC No Rioには、その後何度も遊びに行き、画家やら写真家やら友達ができて、ブルックリンのアパートに招待されて飲み明かしたこともある。集まったほぼ全員がマリファナ、コカイン、LSDなどドラッグをやっており、やたら勧められるのが困った。
 
 ヒップホップが、ストリートカルチャーとして当時のニューヨークに根付いていたかという話になると、思い出すのがラジカセだ。その頃、街を歩いていていちばん目に付いたのは、ばかデカい「ラジカセ」だった。若い連中は誰もが巨大なラジカセを持って街を歩いていた。10キロぐらいはありそうな大きなラジカセが、電気屋の店頭に並んでおり、それを肩に担いでダンスミュージックを鳴らしながら歩く黒人たちの姿は、もうニューヨークの風物詩のようなものだった。黒人とともにディスコや街中で目立ったのは、ラティーノだ。こちらは小柄な体にマッチョな筋肉を身につけて、足取りも軽やかにストリートで踊っていた。
 
 1983年の夏はあまりに暑い日が続いたため、よく海水浴に出かけた。行き先は地下鉄BラインかDラインで行けるコニーアイランドか、Aラインで行けるロッカウェイ・ビーチ(Rockaway Beach)。
 コニーアイランドに行くBラインやDラインには、海パンにTシャツという姿で地下鉄に乗ってたけど、同じような格好をした若者がかなり乗っていた。今はおしゃれになったコニーアイランドだが、当時は寂れた遊園地とスラムに近い汚い街が近くにあって、水もあまりきれいではなく、かなり安っぽい雰囲気の海水浴場だった。でもマンハッタンから近いせいか、暑いに日の海岸にはやたらと人が多かった。砂浜に寝そべっていると、黒人が「アイスビール、アイスコーラ」と声を上げながら飲み物を売り歩いている。海岸から少し離れたたところにあるデリでビール缶やコーラ缶の6本パックを買って、それを海岸で少し高い値段で売って稼いでいるわけだ。その声を聞きながら砂の上でぼんやり過ごした夏の午後は、今となってはいい思い出である。
 
 海水浴場として良かったのは、ロッカウェイ・ビーチだ。マンハッタンからビーチへ向かう地下鉄のAラインは、ジャズの名曲「A列車で行こう」のAだ。MTA(ニューヨーク市の地下鉄やバスの運営母体)の、ブルックリン東地区からハーレムを経てマンハッタン北部を結ぶ8番街急行(A Eighth Avenue Express)のことだ。そして。この列車に乗って着くロッカウェイ・ビーチ(Rockaway Beach)は、70年代にCBGBにも出演していたパンクバンド、ラモーンズの名曲のタイトルでもある。
 マンハッタンのミッドタウンから地下鉄Aラインに乗って、クイーンズを縦断した終点が、大西洋に面した広大なビーチになっている。クイーンズの一番南、ジャマイカベイを挟んでJFK空港の対岸にあり、東から西へ突き出した砂洲のような半島だ。半島の根元にあたる東の端は、もうロングビーチの海岸に連なっている。
 地下鉄のAラインは、ジャマイカベイの真ん中、つまり海の真ん中(地下ではなく地上の砂洲)を走っていく気持ちのよい電車で、ミッドタウンからは約1 時間できれいなビーチの真ん中に着く。海はすごくきれいだった。魚が泳いでいるのが見えた。浅い海の中にカブトガニがたくさんいた。砂浜で寝そべっていると、海に向かってJFKを離陸する飛行機がよく見える。当時は、1時間に1回ぐらいは轟音をたててコンコルドが離陸していった。それをぼんやりと眺めがら、泳いだり甲羅干しをしたりして一日中海岸で過ごしていた。

続く…


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?