新型コロナウイルスは人口抑制策だったのか
……という表題ではあるが、本文は「人口抑制策」を支持する意図は無く、むしろ逆である。 完全に否定し切れるほどの材料を、私個人は持ち合わせていないのだが、この手の「陰謀論」がほぼ不確かである事は主張できる。
まず、人口抑制が世界的に見て必要だ、という主張は、私も賛成できる。 食料生産能力、医療や教育や社会保障の能力、エネルギー源、飲用水をはじめとする生活・工業用水の確保……それらの資源には限りがあって、72億人が100億人になったら破綻しかねない。 だから人口抑制が必要だし、なんとなれば、人口増が著しい新興国や後進国にこそ、大幅な人口抑制が必要だ、という考えも、私は理解できるし、それが適切な手段で成されるなら、同意してもよい。
そうした考えの人は、たぶん少なくはないだろう。
しかし、だからこそ、そこに陰謀論の付け入る隙もある。 「多くの人が賛成しやすい論」にこそ、警戒が必要だ(環境問題や、人種差別問題も然りである)。
私なりの結論を述べてしまうと、
「陰謀論は、『他人と世間は、少数の賢くて資本を持つ人間の思惑通りに動かせる』という、『根拠の無い考え』に基づいている」。
確かに、他人も世間も、ある程度は制御できる。 そうでなければ社会は営めない。 ほとんどの人は法律に従って生活するし、欲しいモノを買う時はおカネを払う。 社会の構成員は、多くの他人が「社会の思惑通りに」働き続ける事を期待し、実際その通りだからこそ、社会は回して行ける。 ひと月さきのカレンダーに書き込んだ予定は、ひと月たてば、その通りになるはずだと、誰もが確信して生きている。
しかし、歴史や、あるいはここ数年ばかりの出来事を見るだけでも、一部の人間の狂気、一部の人間のうっかりミス、突然の病や怪我、新しい科学的発見、老朽化した設備による事故、予期せぬ自然災害などなど、「思惑や予定通りにはいかない、制御できない事象」というものが、かなり有ることがわかる。
そんな事をすれば死刑になることは分かっているのに、複数の人間を死傷させてしまう人は、後を絶たない。 私だったら絶対そんな事はしないのに、と思いはするが、その人だって私と同じ人間である。
もし私が、その人と同じような人生、同じような境遇に置かれたら、果たして同じような狂気を抱かないと断言できるだろうか。 私は正直言って、自信が持てない。
こんなにも不確定で不確実な世の中で、陰謀論を計画して、100パーセントその通りに実行し通すことは、ほとんど不可能だと私は考える。 もしそれが可能なら、人間社会の全ては未来永劫に渡って予見可能のはずだし、会社が倒産することなど有り得ない。 保険業は、すべて成り立たないだろう。
だから、陰謀論は、ほぼすべてが虚構だと私は判断している。
ここまでは「話の枕」、ここからやっと表題の新型コロナウイルスについてだ。
人口抑制策は必要だ、大規模に抑制するなら感染力が強く致死性も高い「新しい病気」が適している、というのは、確かにひとつのアイデアである。
もし私が、そのような計画を立案する立場だったならば、「完全に確実な防御策(たとえば100パーセントの効果があるワクチン)を、まず作り出してから」にする。 ウイルスは見えないし、普通に生活していて検出する事は難しいから、事前の予防が重要だ。
ところが、「100パーセント確実に効果があるワクチン」など存在しないのである。 医学に100パーセントは有り得ないからだ。
免疫の仕組みは完全に解明されたわけではない。 新型コロナウイルスにしたって、発見から4年以上経っているのに、今もって感染者の予後は予測不可能だし、予後の軽重の個人差についてもよく分かっていない。 分かっているのは、「感染しなければどうという事はない」くらいである。
そんなに不確実で恐ろしい策を、果たして「頭の良い少数者」が考えて実行するだろうか。 自分自身が感染してしまうかも知れないのに。
「この策の実行側は、2019年には、すでに『完全なワクチン』を作り出していたのだ」と主張する事は可能だが、もしそんな「完全ワクチン」が有れば、とっくにノーベル賞もので、隠しきれるとは思えない。
たとえば中国や米国の軍事組織が、秘密裡に、「世界の最先端研究よりも何歩か先を行く研究を完成していた」という主張は可能だが、そんな事は、まず無いと言える。
科学研究や医学研究は、おおよそ過去300年くらいの膨大な論文の積み重ねの上にある。 ワクチンがどう効くかの仕組みや、免疫の仕組みもだ。
軍が、そのさらに上を行くなら、軍はすべての大学を超越した学問を持っている事になる。 主体が軍ではない、何か別の組織なのだとしても、そんな事は「普通に考えて」あるわけがない(「ショッカー」や「死ね死ね団」のような存在を大人が信じるだろうか)。 むしろ現実はその逆で、大学や企業の先端研究を、軍が採り入れているのである。
大学の教育や、大学院の研究や、医薬企業の研究、それらすべてを超越した科学力を持つ「卓越組織」、しかもその科学力は世間から隠蔽されている……もしそんな組織があるなら、その構成員は、どこでそんな超高等教育を受けたのだろう。 なぜ栄誉を求めて姿を現さないのだろう。 人類の進歩に貢献した人達として、ノーベル賞連発は間違いないし、科学の歴史に名を刻むこともできるのに、なぜわざわざひっそりと暮らしているのか、それも生涯にわたって、組織ぐるみで……。
……ここまでお読みいただければお分かりと思うが、陰謀論は、想像力の欠如から生まれると言ってもよい。 想像力は知識を基にする。 想像力の欠如は知識の欠如から来る。
世間という不確実なものを知れば知るほど、陰謀論は実行不可能だと分かるものだ。 100パーセント確実に履行できる物事など、この世の中にありはしないのだから。
知識と想像力が欠けたところに、「多くの人が賛成しやすい論」が入り込むと、陰謀論が形成されやすいのだと私は考える。
そう考えてみると、えらそうな事を書いている私自身も、すでにいくつかの陰謀論に染まっている可能性があると言える。 全ての分野において、充分な知識と想像力を持っているわけではないから。
よく知らない物事に関して、「分かりやすい話」を見聞きしたら、それが自分の見識になってしまう……それは、たぶん「普通にある事」だろう。 よくよく用心したいものである。
(了)
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