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音楽とわたし

知らず知らずのうちに「努力すれば大抵のことはできるようになるはずだ」と思ってしまう自分がいる。それが小中高と続けていたピアノの影響なのではないか、と最近思うようになった。

先生に勧められて初めてピアノの全国コンクールに出たのは小学5年生のときだった。そのときは地区予選を通過できたのだけれど、地区本選ではあがってしまってボロボロになってしまった。

それまでは街の音楽教室みたいな場所だったが、先生を音大にも勤務している先生に変えた。以前の場所では予選を突破するだけで随分と褒めてもらえたが、その先生の門下生は本選までは進んで当然、全国進出者も何人かはいるというような環境で、自分の劣っている部分を強く意識するようになった。

高校受験で一度中断してしまったけれど、その先生のところには高2の秋まで通い続けていた。中2では地区本選2位で全国まで一歩までのところに行き、高2の時には全国大会に初めて進んで、全国5位になった。3位までが入賞なので悔しい気持ちはあったが、自分に最高得点をつけてくれた審査員の先生もいた。

大学受験をきっかけに教室通いはやめてしまったので、今は趣味として多少嗜む程度だが、それでも音楽は好きだ。先ほどちらっと書いたように、自宅には防音の音楽室がある(というか、音楽室のある家を建てるために東京住みだったのを埼玉県の田舎に引っ越している(笑))くらい楽器が好きな家庭で育ったので当然と云えばそうかもしれない。もっとも両親共に楽器はたいして弾けないが、とにもかくにも音楽を楽しんでいる。

たがコンクールというのは、はっきり言ってそんな楽しい場所ではなかった。ピアノの演奏に0.1点刻みの点数をつけるということにすら無理があるように思うのに、その採点制度で7人の審査員から平均して高得点をもらわなければならない。どんな演奏がよい演奏なのかという答えのない問いに向き合いながら、それを実現するための技術を磨かなければならない。始めたのが小学3年生と遅かった自分は、特に技術が足りていなかった。だから何度も同じフレーズを延々と練習するのだが、そんなに簡単にできるようになるわけではないから、とにかく自分に厳しく訓練を積むしかない。そうやって夏休みの間ずっとピアノを弾いていたのに、結局当日のステージで一回ミスをしたらコンクールの日々が終わってしまう。本当に厳しい世界だった。

それでもわたしは音楽を嫌いにならなかったし、たぶん今後も趣味として細々と楽器を弾きながら生きていくことになると思う。褒めてもらえた経験、めったにステージに上がれない立派なホールで、めったに触れないような大きなグランドピアノを弾く楽しさの経験、そしてコンペティションの入賞経験。なにより、奏でることの楽しさ。点数のためにたくさん練習した日々がなかったら、そういうポジティブな経験もできなかったのではないか、とも思う。コンクールが終わったときにはまたひとつ上達できた実感があったが、音楽教室の発表会ではそれがなかったように思う。

そういうひとつひとつの過去がいまのわたしをかたちづくっている。苦しんだ先には何かがある、と、幻想的で夢のような何かをつい描いてしまう。それはときに危険な思想であることに、どこかで自覚的でありたい。

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